プルートーの胤裔

ゆさひろみ

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エクレクトス~神に選ばれし人~

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「敷島、いくらなんでも無茶だ。宮國瑞希は、君をもしのぐ頭脳の持ち主なんだろう? それが、数日かかって解読した暗証番号なんだ。そんな無理難題を、たったの十秒って、いくらなんでも」
 敷島は、〝静かに〟と口に指を立てて、祠の隅々を見て歩いた。その向こうで不知火は、ひざを突いて立ち上がり、興味深そうに見守る。
「不知火、瑞希はいつもどこにいた? 瞑想とやらは、いつもどこでやっていた?」
 不知火は、祠のほぼ中央に向かって、まっすぐに指を差した。一同、その方向へ顔を向ける。敷島は、感謝の意を込めて、右手を上げ、祠の中央へ進む。トレンチスカートを手で折って、小さくなって、床の上を指でなぞる。宮國のものと思われる頭髪(かなりの本数があった)を拾い、さらに、血が固まって黒ずんだ床のしみに、顔を近づけて、目の前でそれを見た、その直後、
「石動、止めろ!」
 何事にも型破りな敷島が、この十秒間に一体何をしでかすのか、無心に見入っていた石動は、急に呼ばれて、我に返って、あたふたとストップウォッチを停止した。
「止めました!」
 敷島はゆっくりと立ち上がって、華麗に腕を組んだ。
「何秒だ」
「えーっと、九秒です、九秒三三」
 石動は自分でそれを読み上げながら「え」という顔を見せた。
「どうだ瑞希」
 敷島は、万感の表情で天を仰ぎ、
「お前の最期の言葉、きっちり守ったぞ」
「ば、馬鹿な!」
 矢も楯もたまらずに、わたくしは叫び声を上げた。
「本当に君は、十秒以内で暗証番号を解いたのか⁉ この暗号は、晦冥会の最高機密だぞ⁉」
 敷島は、〝静かに〟と口に指を立てて、さみしそうな笑顔をつくった。
「宗村、瑞希がここに監禁された数日間と、九秒だ」
 コツコツとヒールの音を響かせて、敷島は、ダイヤルの付いた正面の壁と向き合った。その先にいる不知火、期待と不安の入り混じった、へんにはにかんだような表情で、ゆっくりと道を空けた。これほど願わしい展開に、何か一言あっても良さそうなものだったが、余計な一言が凶と出て、相手のやる気がそがれてしまうとでも思ったか、不知火は、トランプで三角形を組み合わせていく、トランプピラミッドに最後の一枚を乗せた後のように、恐る恐る、敷島の背中から離れて行った。
「不知火、君は確かに、瑞希を殺害するつもりはなかったようだ」
 四つ足の御神体二体の間を抜けて、敷島は壁中央のダイヤルに手をかけた。
「余罪は別として、今回の件に関して君は、死体損壊罪、逮捕・監禁罪に問われるが、殺人容疑には当たらない」
 言いながら、どこからともなく測定器を取り出した。何を測定するものなのか、オレンジ色のバックライトに照らされた、ディスプレイのデジタル数値を確認している。なんだ、あれ。晦冥会の暗証番号と、何か関係があるのか?
「四週間前、瑞希はこの扉を開けなかった。君は、その理由が分かるか?」
 敷島は、ゆっくりと、ゆっくりと、ダイヤルを回転させた。
「さあ。どうせ、つまらない事に決まっている。こんな狭い所に監禁した、その意趣返しに、晦冥会の秘密を私から取り上げて、吠え面をかかせたかったんでしょう。私より一つ上の立場に立って、今までよくもやってくれたな、と」
 不知火は適当に答えて、冷たい笑みを見せた。
「違うな、不知火。それは違う。瑞希は、健康のまま君は里親の所へ帰って欲しかったのだ。今ならまだ間に合う。早くここから立ち去れと。それなのに、それなのに君は、どうしてこうも愚かなのだ」
 右に六回、左に五回、右に四回という要領で、敷島は、合計六回錠ダイヤルの数字を合わせた。その後で、真鍮の棒を落としたような、高い金属の音色が響いた。
「開いた!」
 加藤の興奮した声。その後に続く短いどよめき。
 敷島は、晦冥会が隠しに隠し通した暗証番号の、その世紀の大解読に、喜びもせず、ひけらかしもせず、ただ、変わらぬ背中を見せた。
「四週間前、瑞希がそうしたように、俺もこのまま、もう一度ダイヤルを回して施錠したい気分だ」
 不知火は、走り出すのと同時に、左手のベレッタを抜き出した。
「だが、それは、許さないのだろう?」
「当たりまえ! 早くそこから離れなさい、敷島レナ!」
 敷島の頭部に銃口を突き付け、ダイヤルを手にした敷島の手を払い除けた。
「敷島レナ、あなたにはとても感謝する。この扉を再び開けられるのは、宮國以外、あなたしかいない。思えば四週間前、宮國がしたこの扉の施錠に、私は恐ろしい敗北を味わった。二度とこの扉は開けられないのではないかと、絶望の淵に立たされた」
 耳もとにささやくように、敷島と壁の間に入り、相手を押し返しながら、
「でも、こうして現実に、晦冥会の秘密の暗号は再び解かれる事になった。ああ、骨を折った。やっと、ここまで戻って来られた。忍の一字は衆妙の門、昔の人はよく言ったものだ」
 敷島は、くるりと相手に背中を見せて、両手を広げて歩き出した。
「美咲、宗村、さあ終わりだ。俺たちは帰るぞ。我が敷島探偵グループとしての任務は、これにて終了。早くここから退散して、天然の露天風呂で祝杯をあげよう」
 わたくしは不知火を指さして、
「え? なんで? 晦冥会の秘密が、今まさに明かされようとしているのに」
 敷島は、わたくしの肩に手を置いて、
「宗村、晦冥会の問題は、晦冥会の連中に任せておけ。俺たちは、天道葵の死の真相を明らかにし、不知火の犯行を解き明かした。これは、岸本の調査依頼に対して、一定の成果が得られたといって良い。これにて敷島探偵グループの業務は終了だ」
 敷島は去って行く背中で、不知火、と呼び掛けて、
「ところで、君のポケットにある封筒は、一体なんだ」
 一同、不知火の姿に目を向けた。彼女は右肩を引くような姿勢をとって、
「あなたには関係がない」
 不知火の目が、刃のように鋭くなった。
「関係ない、か。確かに、関係はない。では、最後に一つ」
「なに」
「君は、晦冥会の統主、不破昂佑を崇拝していた。その信仰心は、今でもきっと変わりはしないと思う。しかし君は、そんな崇拝した統主の、尊い腕に噛み付いた一匹の狂犬。バイフーという晦冥会の鎖を引きちぎって、今まさに、晦冥会の闇の扉を開かんと、復讐を企てている。それは、とどのつまりは、〝あの男〟を討つため、そう考えて間違いはないのだな?」
 敷島の背中を藪睨みすると、ややあって、口もとを緩ませた。
「本当に恐ろしい。よくそこまで調べ上げたものだ。つくづく感心する。あなた、まったくの堅気って顔じゃない。どこかで会った? まあ、そこまで調べて、知っているのだったら、〝あの男〟がどれだけの人間か、当然知っているでしょう?」
「無論だ」と敷島は天井を見上げて、
「あの男、不破巽という男は、つい先頃、晴れて晦冥会の統主の座についた。彼は、上月加世の連れ子で、不破昂佑の継子として正当な継承者という事になっている。このたび正式に、晦冥会の最高即位についたというニュースは、大々的に全国放送された」
「そんな上っ面の事を聞いているんじゃない。不破巽が、どんな人間なのか、知っているんでしょう?」
 天井に上げた目を、そのまま不知火の方へ向けて、
「どんな男、か。そうだな。巽は、俺の知る限りワーストな男だ。とんでもない悪党だ。今もこの国に多くの犯罪を生み出し続けている。麻薬の密売、特殊詐欺グループの受け子の斡旋、売春斡旋所の元締め、インターネットを使った無店舗型オンラインカジノの普及、九頭龍会という反社会的勢力との交際、委託殺人など、晦冥会が犯罪の巣窟と化してしまったのは、統主不破昂佑の息子、巽ただ一人のせいだ」
 わたくしは、開いた口がふさがらなくなった。
「そんな奴が、晦冥会の統主になったのか?」
「そういう事だ。そんな事はあってはならない。晦冥会が悪の組織と化してしまう。誰の胸にも明確な危機感はあった。にもかかわらず、つい先日、どういうわけだか元紀瑛総連の老師たちは、晦冥会の経典に則って、巽の継承式が執り行われた」
「大悪党の、継承式典」
 わたくしの言葉に、不知火は笑って、
「あなたたちは、私の事を悪魔のように言うけれど、本当の悪魔は、晦冥会の統主、不破巽。あいつは」
「義理の妹、不破斎を暗殺した」
 敷島のその言葉に、不知火の目は大きく開かれた。
「え?」
 わたくしは、同じように衝撃を受けた美咲と目を合わせた。
「巽は、生まれながらにして口が達者だった。そして、人間を鑑定して我が物にできる特異体質だった。社会心理学者ロバート・チャルディーニが唱えた、六つの影響力の武器は、彼は生まれながらにして血肉化していた。見返り、誓約と一貫性、社会的証明、権威、好意、希少性、これらを高度に使い分けて、相手の心を意のままに動かす。
 こんな事があった。統主となった母の影響で、中学校の転校が重なり、登校初日からいじめを受ける事もあったそうだが、しかしその翌日には、巽は、自分をいじめた奴らを背中に従えて、悠然と校舎を歩いていた。およそ中学生と思えない気高さで、足を組んで椅子に座り、一言、二言、言葉を口にする。そして、相手の額の汗を眺める。涼やかに笑って、相手の感情を手のひらに転がして、あっという間に主導権を握って行く。
 それは人を食い物にするサイコパスと同じ手法だった。
 その頃から巽は、絶対的な権力というものに強い憧れを抱くようになった。何としても人の上に立ちたい。人を蹴落としてでも、てっぺんに立ちたい。今ある自分の優位な立場に飽き足らず、さらなる頂きに強い憧れを抱いた。さいわい、晦冥会の統主、不破昂佑の長男となった自分は、その経典に従えば、しめやかに儀式が行われ、じぶんは晦冥会の統主になれる、そう誰かに教えられ、狂ったように、高笑いした。そうなれば自分は、全国に二〇万人の信者がいると言われる晦冥会、大臣を有するほどの巨大な宗教団体の、その頂点に立つことができるではないか。これは、国政にも手出しができる、途轍もない権力。暗い部屋に一人、巽は大きく目をひらいて、鼻息を荒くしていた。
 ところが、次の統主が約束された希望の道は、彼の義理の妹、〝斎〟の存在によって、いつしか思わしくない局面を迎えていた。妹、不破斎。彼女は、父、不破昂佑の誠実な人柄を一身に受け継いだ、天性の人格者だった。物心がついた頃から、修行場の冷たい床に、裸足で正座をして、一時間も二時間も、身動ぎもせず、じっと瞑想にふける、ブッタのような少女で、全国の巡回大会にも余念なく参加して、信者一人一人のとなりに立って、ともに心月正法書を読経した。自分を厳しく律し、周囲の人びとに慈愛の手を差し伸べる、異常なまで神聖な少女だった。会場の設営、精進料理の仕込み、それらも自ら率先して参加し、信者の事を第一に考え、日々精進していた。
 したがって、各地の信者たちは、斎を一目見ただけで、ひれ伏して、拝んで、涙を流した。信者たちから絶大に寵愛されていたのは、不破斎、ただ一人だった。晦冥会の次の統主は、不破昂佑の生き写しのようなお方、実の娘である斎だと、誰もが疑わず、拍手喝采がわき起こった。その取り巻きの後ろには、不知火忍、君の姿もあった」
 不知火は、これが人殺しの顔とは思えぬ、おだやかな表情を見せて、
「斎様は、神聖なお方だった。その御心に一点の曇りもなかった。誰かを救わんと立ち上がる時、迷いはみじんもなく、かえって私がご無理をなだめる次第。斎様こそ、晦冥会の統主にふさわしいエクレクトス(神に選ばれし人)だった」
 敷島は踵を返して、不知火と真正面に向き合った。
「君は斎の事をよく知っていた。誰よりも、誰よりも、彼女の事をよく知っていた。なぜなら君は、晦冥会の継承者の一人、不破斎のいわば護衛だった。継承者の身の安全を守護し、彼らの影となって、卑しき外敵を退けて行った」
「それなのに」とわたくし、
「その、斎って少女は、義理の兄によって」
 それまで春うららのようだった不知火の表情が、一変、悲痛な面持ちへと様相を変えた。敷島は静かに目を閉じて、
「巽は、手を打たなければならない、と思った。そうしなければ、思わしくない展開が待っている。そう彼は、精舎の屋上に立って、信者らに囲まれている斎の姿を眺めた。手を打つとは、それ即ち、邪魔者の排除。巽がそこまで斎の存在を恐れた背景、それは、彼が悪も悪も大悪党で、物心ついた頃から犯罪を繰り返し、仏道修行には一切同行せず、信者たちの顔など一つも覚えていなかったからだ。信者たちにしてみても、信仰心のかけらも見せない、名ばかりの継承者に対して、遠い噂話にその存在を知るしかなく、人望と言ってみれば、ほとんどゼロに等しかった。
 このままでは、熱狂した信者たちの勢いに押されて、晦冥会の経典がくつがえらないとも限らない。いや、ありえる、十分にありえる。あの、お人よしの義父ならば、信者たちの声を聞き入れて、経典破りを犯すに違いない。そうなれば最悪、あんな、無知で世間知らずの義妹が、分不相応の統主の座につき、こちらはただひざまずくだけの、下等の立場となってしまう。そうなる前にどうしても、義妹の存在を退けたい、今すぐにでも。こう巽は、爪を噛んで懊悩した。
 そうは言っても、斎の背中にはいつも、不知火忍という謎の女が付き添っている。彼女は史上最強のバイフーと囁かれ、ほとんど誰も近寄ろうとはしない。嘘か真か、狙撃手から狙われた時も、不知火は、事も無く斎を避難させたらしい。ある雨の夜、巽は物は試しと、配下にあったバイフーを数名、刺客として送り込んだ。それから数日がたって、刺客たちの消息は、それっきり分からなくなった。巽は、暗い部屋に一人、雨に濡れる窓をながめながら、そうだ、整合法では不知火に勝てない、それでは、どんな手を使ってでも、斎さえ殺せれば良い。巽は、義理の父を崇拝している、不知火の信仰心を逆手にとって、彼女の一時的な足止めを企てた。殺れないなら、封じればよい。突然不破昂佑が倒れた、病床の上で苦しい息をしながら、不知火忍の名を呼んでいる、そうウソの伝言を与え、火急の様相で飛び込んで来た不知火を、空の部屋へ閉じ込めた。その日は斎にとって、厳しい滝行の日。いつも同行するはずの不知火がいない事に、首を傾げながらも一人、水垢離の修行へと山道についた。君は、鋼鉄のドアノブの破壊をあきらめ、天井のボードを破壊、屋根裏伝いに精舎を脱出し、一足遅れてU山の水行の地へ姿を現した。しかし、その時にはもう、変わり果てた斎の姿が、浅瀬の水に揺れていた」
 不知火は、めまいを起こして、ふらついた。
「君は、主君を失った。自らの命をかけて守るべき主君、君がこの世に存在しそれが許される唯一の存在意義。それが、ほんの隙をつかれて、君の手のひらから消えた。君は、斎の亡骸に突っ伏して、金切り声を上げた。その叫び声は、山中の野鳥の全て飛び立つのに十分な、すさまじい殺気に満ちていた。
 斎の本当は、滝行が苦手だった。気を失って流される事がままあった。そうなると君は、流れから彼女の体をすくって、焚火の火を起こした。斎は、ぱちりと目を覚まして、うるうると目を潤ませては、冷えた体を焚火に当てて、泣いた。こんなのではダメだ、もっと精進しなければならない、そう唇を噛んで、再び苦行へ向かった。そんな直向きな斎を間近に置いて、君は、心の中である変化が起きていた。元来が浮薄な傾向にあった君は、斎の完全なる慈愛の精神に触れて、強い力に引っ張られる形で、まったく別な何かへ生まれ変わろうとしていた。君はおだやかに笑うようになっていた。もしも斎様が統主となられる世界があるとするならば、それも悪くはない、この世界は、正しい方向へと舵を取るのだろう、こう周囲に漏らすようになっていた。その、ほんの矢先に起きた、絶望。君は斎の冷たい体を抱き起して、金切り声を上げた。それは悲しみに泣くというよりも、絶望。君は、とうとう、正気を失った。ありとあらゆるものを失って、ふつりと糸が切れて、とうとう、正気を失った。
 突然の斎の訃報に、手にした湯呑を割った氷室は、即時、F支部精舎の地下室へ、可能な限りのバイフーたちを駆り集めた」
 F支部精舎の地下室と言えば、一年前、晦冥会の信者だった美咲が忍び込んだ、幹部たちの集う謎の地下室だ。
「氷室は、晦冥会の最有力候補の後継者、不破斎の死という、最悪のシナリオに突入して、バイフーが暴動を起こさぬよう、身勝手な仇討ちに出ないよう、必死に呼び掛けた。
 いま動いてはダメだ。いま動けば巽の思う壺。奴は必ず手を打ってある。恐らくは九頭竜会の組員と、配下のバイフー、チンロンらその全てを終結させて、牙城を築いている。万全の態勢で、我々の怒りに火を点けて、斎の仇を討ちに来た抵抗組織、レジスタンスを一掃するつもりだ。頭を冷やせ。冷静に考えろ。我々の起死回生の方法はある。必ずある。今ここで我々にできる事、それは怒りを鎮め、じっと耐え忍ぶ事だ。
 しかし斎を失ったバイフーらの混乱は、想像を遥かに超えていた。理事長の言葉など、まるで頭に入らなかった。この時ばかりは、軍でいう大佐に当たるような氷室に対して、反発の声が上がった。斎を殺られた彼らの腹綿は、恚忿と殺意で煮えくり返っていた。あちこちで怒号が飛び交って、治まる気色がなかった。敗走と変わらぬ、理事長の無様な指揮に対して、誰一人として従う者はなかった。一対三〇、議論は無秩序を極めた。それでも氷室は、壇上に立って彼らに呼び掛けた。ここから無駄な死者を出してはならぬ。踏みとどまれ。このとき少し離れた所に、君もいた。放心状態で宙を見つめ、ひざを抱えている。怒りに任せて、君の責任を問う者もあった。君は、何も聞こえなかった。何も見えなかった。バイフーたちの激昂は、暗くなってもまだ続き、疲れ果て、そのまま眠る者も中にはいる中で、ふと誰かが、ある異変に気が付いた。ほんのついさっきまで、部屋の隅に座っていたはずの君の姿が、どこにも見えない。近くの者をつかまえて、聞いても、誰も答えられない。壇上で腕を組んで、厳しく目を閉じていた氷室は、騒動を聞きつけやって来た。その顔がぷるぷると震え、血相が変わった。
〝まずい! そことそこ、付いて参れ、後の者はこの場に待機!〟
 君はあの時、正気を失っていた。君はあの時、君ではなかった。君の中に眠る悪魔は、その息を吹き返していた。それは、決して呼び覚ましてはならない悪魔の息吹。愚かなのは、巽だった。そう言わざるを得ない、もう一つの最悪のシナリオが、今まさに始まろうとしていた。
 斎の死、その表向きは、服毒による自刃として、不破昂佑へ上申されていた。したがって、反社会的勢力〝九頭竜会〟の奥座敷で、祝杯をあげていた巽は、本件に関して一つも嫌疑が掛からなかった。悪は手間が掛からない、至極合理的。最後に勝つのは、やはり悪なのだ。それが今日、大々的に証明された。巽は酒に酔った顔をして、そう無邪気に笑っていた。君は、もう、君ではない何かは、このあくどい男の心臓をねらって、荒れ狂う晦冥の荒野を進んでいた。伝説のバイフーとして、今なお語り継がれる、晦冥会の幹部を戦慄させた、あの忌まわしき禁忌、タブー、世界的にも類を見ない、阿鼻叫喚の地獄の絵図、その幕が切って落とされた」
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