プルートーの胤裔

ゆさひろみ

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デビルダンス

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「九頭竜会?」
 初めて聞く名だった。反社会的勢力、との事だが、少なくとも、暴対法によって公安からお咎めを受けるような、何代目という大きな暴力団ではなさそうだ。
「聞いた事はないか。無理もない。今となっては、もう、記録にしか残っていない特定指定暴力団だ。九頭竜会と言えば、もとは、赤丸ゼット連合という半グレ上がりの過激な集団で、当時グループだった輝巳同盟の、同盟内ルールを破って、グループ内の組員を勝手に移籍させ、あげくに好き勝手に勢力を拡大させて、同盟から全員破門を受けた、どうしようもない荒くれ者どもだ。破門になって行く先のない連中が、自然と阿久津の家に寄宿するようになり、誕生した新しい暴力団、それが九頭竜会だ。そして、阿久津の押さえで静まるかと思えば、拳銃や刀、手榴弾、ダイナマイトなどの爆発物を手に入れ、縄張り争いで対立抗争が激化、警察は、組織を挙げた強力な取締りを徹底していた。構成員の数約六〇名、加えて、不破巽の傘下のバイフー、チンロンが約三〇名、そういった彼らは、あの夜、D区N町の総本部に集結して、物々しい雰囲気となっていた。これが氷室の言う、斎派の敵討ちにそなえた鉄壁の牙城。九頭竜会の構成員は、拳銃や刀を手に、本部敷地内の至る所に待機し、暗がりに話声やタバコの火が動いていて、近隣住民から、何か悪い事が起きそうと、警察に通報が入っていた。
 そんなきな臭い数寄屋門の前に、忽然と姿を現したのが、不知火忍だった。不案内な一般市民が、どこからか迷い込んだと思い、構成員の一人はガムを噛みながら、おいコラ、と適当に追い返そうとした。しかし不知火は、相手の顔など見向きもせず、その腕を払い除け、九頭竜会の邸内へと入って行った。無月の夜に上がる怒号。黒髪をなびかせ、武器という武器を持たず、漆黒の暗殺着に身を包む、白虎(バイフー)。その二つの目は、不吉なくらい青紫色に光って、闇の中を進んで行った」
「ちょっ、ちょっと待ってくれ」
 わたくしは、顔の半分を手のひらで覆いながら、
「これは、現実の話か? それとも、日本武尊のような神話か? 信じられない、信じられるわけがない。たった一人で、しかも丸腰で、刀や拳銃を所持した暴力団の本部へ乗り込んで行っただなんて」
「任侠映画でもあるまいし、と言いたいか宗村。しかしこれは、現実に起こった犯罪歴史史上最大の大量殺人事件だ。当時の写真週刊誌には、目を覆いたくなる遺体写真を添えて、猟奇的事件をこう綴っている。〇月〇日未明、九頭竜会総本部にて、大規模な内部抗争が勃発、八〇名以上の死者を出した。輝巳同盟と裏で繋がりのあった構成員数名が、総本部内にて銃を乱射、応戦した構成員たち諸共、相撃ちとなり、大量の死者が発生した模様。市民からの通報を受けて、戦闘用ヘルメットや防弾衣を着用した警察が、抗争現場へ突入した頃には、内部抗争は既に終結。生存者の中には、心的外傷後ストレス障害を発症している者も多く、当時の状況が明確に語られないケースが目立った。このため情報は錯綜、真相究明は混迷を極めた。複数体の死因に、不明な点も多く見られる事から、警視庁は現在、慎重に調べを進めている。尚、輝巳同盟の総長、須藤章夫は、本件への関与について完全に否定している、と」
「は、八〇名以上? 九頭竜会の構成員が約六〇人、バイフー、チンロンが約三〇人、計九〇人近い人間が、ほぼ死んでいるじゃないか!」
 わたくしは、十人単位で指を折り、その指を震わせた。
「不知火は、一夜にして、九頭竜会という指定暴力団と、巽傘下の暗殺者集団を、この世から死滅させた。これは、およそ人の所業とは言えない。悪魔が通った後、その後に出来た死体の山、正気を失った不知火の真の恐ろしさを、悪魔が息を吹き返したと例えるのは、この事を言うのだ」
「じゃあ、今この状態下で、その気になれば」
 不知火は御神体の肩に手を置いて、
「だから言ったでしょう。私がその気になれば、あなたたちなんて三秒で息の根を止められるって」
 言葉が出なかった。拳銃を構えた石動でさえ、その手が震えている。
「さらに信じられない事に、不知火は、機関銃や軍用モデルの突撃銃、対物火器機関銃など、武器弾薬を一度も手にする事なく、自らの素手だけで殺戮を遂行、絶対空間から生み出す〝無月來法〟や、相手の戦闘力を一派へ返す〝嗣門功法〟など、氷室が研究した暗殺術によって、計八〇人もの大軍を撃破して行った。これは、不知火忍という女性が、今でも〝伝説のバイフー〟と語られるゆえんであり、恐ろしい悪魔と化しながらも、その身に宿った〝空間を生む〟という氷室の暗殺術を体現し、巽の心臓の寸前まで斬り込んで行った、恐るべき事実」
 そこで言葉を切り、やや視線を下げて、
「しかし、いくら伝説のバイフー不知火が、悪魔的な殺傷能力をむき出しにして、弾幕と返り血をくぐり抜けたとは言え、九頭竜会と晦冥会の刺客たち九〇名を相手にするのは、あまりに無謀すぎた。生身の体が持たない。体力はやがて失われる。不知火、もしかして君は、あの夜死ぬつもりではなかったのか? 主である不破斎、正しい方向へとこの世を導くエクレクトス、その希望の光を失って、君は絶望に我を失い、大暴走し、斎の仇、巽の心臓を目がけて放たれた一本の矢になろうとしたのではないか?」
 御神体からそっと手を離し、不知火は遠い目を見せた。
「覚えてない。あの日の記憶は、今でもはっきりしない。気づいた時私は、鉄格子の嵌まった永久瞑想の間にいた。様子を見に来た仲間も、冷たくなっていたし、ひどく怯えた表情をしていた。でもこうやって、あの夜の出来事を改めて聞いてみると、少しやり過ぎたと思う」
 思いもしない言葉に、敷島は、あ然として、へんに笑い出しそうになりながら、
「八〇人以上も人を殺しておいて、少しやり過ぎたか。さすがは伝説の人、といった所だな。しかしそのやり過ぎたという君の行動は、晦冥会、特に氷室理事長が描いた最悪のシナリオを現実の物としてしまった。
 突如として姿を消した不知火、その行方を追って、氷室と二人のバイフーは、火急のその道中において、同じように併せ馬となった上月加世と合流、これら四人は、九頭竜会の総本部に姿を現して、ぴたりと足を止めた。そこはもう、生き地獄の様相を呈していた。大規模な火砕流が発生したような、ゴロゴロと横たわる男たちの死体、死者が奏でる特有な静けさ。氷室は杖を突いて、それら死に様を見て回りながら、祈祷師に近い服装の、上月加世の細い手を引いて、先を急いだ。
 玄関の化粧屋根が崩れ、垂木や桁が落ちている。人が飛び込んで、破れた玄関の格子戸。柱に食い込んで手放した刀、天井にまで達した血しぶき、それらの様相は正しく、暴力団同士の殺し合いを思わせた。奥座敷へと続く縁側に至っても、下を向き、上を向きした死者が折り重なって、硝煙と血の臭いで吐き気をもよおした。
 障子は桟からへし折られ、左手に広がる日本庭園の、猪おどしや、灯籠や、延段など、枯山水が、室内の灯りに照らされている。氷室たちが奥座敷に顔を出すと、顔左半分返り血に染まった不知火が、九頭竜会会長、阿久津宣郎から、たった今、拳銃を奪い取った所だった。彼女の漆黒の暗殺着には、破けや乱れはあるが、まっすぐに立っている姿からは、深手を負っている様子はない。阿久津は、人の気配がない、異様な邸内の静けさに、ゆっくりと目を動かして、
〝全部、おまえが?〟
 不破巽は、同席していた江口を盾に、すがる形で背後へ入る。
〝巽、説明してもらおうか、これは一体、どういう事だ〟
 舎弟たち数名も、畳の上に大の字になって、倒れている。
〝巽ぃ!〟
 阿久津は、酔いの覚めた顔を震わせて、怒りをあらわにした。不知火は拳銃を畳へ落とし、青紫色に染まった目を巽へと向けた。立ちはだかる江口は、不知火が一歩、一歩と近づくそれに合わせて、巽もろとも、床の間へと後退する。
〝血迷ったな不知火。こんな事をして、ただで済むと思うな〟
 そう言って江口は、背中から両手を抜き出し、二挺のベレッタを構えた。そして、二挺拳銃の銃口は、不知火の姿に狙いを定めつつ、矢継ぎ早に火を吹いた。不知火は姿勢を低くし、弾幕のすき間を縫って、右へ、左へ、座敷を動き回った。壁を蹴って飛んだり、畳に滑り込んでテーブルの上の食器を蹴散らしたり、いよいよ銃弾を撃ち尽くした江口の懐に入ると、まさに抜く手も見せず、相手の胸に掌を当てた。ミクロンの世界だという、相手との絶対的な間合い、〝無月來法〟。一瞬、江口が二重に見えるくらい、激しく体が揺れ、彼は胃液を吐いて崩れた。江口が発砲した銃弾が、阿久津の右足の付け根を撃ち抜いたらしく、彼は流血を押さえ、びっこを引いて、柱に抱きついた。不知火は、一歩、一歩、尻居に倒れた巽を追い詰め、床の間の上にまで退く、巽の失禁した姿を冷酷に見下ろした。そして、ゆっくりと右腕を上げた、その瞬間、
〝加世様、今です〟
 不知火の背中から氷室が叫んだ。ふいを突かれ、羽交い絞めにされた不知火は、猟銃に撃たれた熊のように、大きく腕を振って、がむしゃらに暴れた。合図を受けた上月加世は、じゃらじゃらと数珠を鳴らし、祈祷か念仏か、ふしぎな読経を唱えた。次の瞬間、狂暴だった不知火は、額からヒビ割れ、全身が砕け散って行くような、この世のものとは思えぬ悲鳴を上げて、のたうち回った。それから、祓霊儀礼とも取れる、上月加世の加持祈祷の類は、不知火が畳に倒れ、伸ばした手がはたりと力尽きるまで、続けられた。
 この一件は、晦冥会という宗教団体にとって、とても重い責任が問われた。九頭竜会は一夜にしてその全構成員を失い、事実上団体として存続ができなくなった。晦冥会のバイフー、チンロンに至っても、巽傘下はほぼ死滅。不破斎の死は、あくまで自刃と上申されており、不知火忍が行った、報復という名の無差別殺人は、報復には当たらず、不知火は晦冥会の法典に従い、最も重い罪である極刑を言い渡された。氷室理事長にしても、不知火忍の管理責任が問われ、尋問委員会から、理事長の権限をはく奪された。それが今からちょうど一年半前の話」
「一年半前?」とわたくし、顎をつかんで斜め上を見上げ、
「その頃って、確か、天道葵がペンションに現れた時期じゃないか?」
「その通りだ。不知火は架空の人物、天道葵という名前を使って、何事も無かったかのように岸本のペンションに現れた。そして、住み込みでのバイトを所望して、笑顔を見せた」
 パシリとひざを叩いて、わたくしは美咲の目を見た。
「話は繋がった。不知火忍は、斎の仇討ちで、とんでもない問題を引き起こした。その罰として、尋問委員会から極刑を言い渡され、それから逃れる形で、晦冥会から脱走、岸本のペンション〝アルプホルン〟で、天道葵として雲隠れをしていたんだ。
 でも、極刑を言い渡された不知火が、そうすんなりと晦冥会から脱走ができるものか?」
「氷室の軍配だ。彼は、自らも懲罰を科せられながら、秘密裏にレジスタンスを団結させ、〝巽降ろし〟のシナリオを書き上げた。そのシナリオの軸となる、不知火には、自由に動ける環境が必要だった。そうする為には、永久瞑想の間に投獄されていた彼女を脱走させなければならない。
 そこで登場するのが、木津毅、君らもよく知る、天道葵と心中自殺をした木原正樹だ。木津は、永久瞑想の間を管理していた経歴があり、禁牢施設によく通じていて、部屋の鍵の在りかや、監視の目に精通していた。木津は、氷室の暗号を受け取って、直ちに施設へ急行、氷室の命には〝貴殿も逃亡し潜伏せよ〟とあった為、不知火脱獄計画は、乱暴で派手なものとなった。窓を割って発煙手榴弾を投げ込み、煙幕の中を疾駆、混乱に乗じて鍵を手にして、不知火が幽閉された永久瞑想の間の鍵をあけた。このとき不知火は、木製の椅子に座って、ひとり頬杖をつき、壁に向かって物思いにふけていた。そこで何を考えていたのか、それが何であろうが、およそ極刑を受けた罪人の、絶望に狂った様子はなかった。その姿を例えるならば、中国奥地の四姑娘山かどこかで、武術の極みに達した仙人が、前人未到の岩の上に座って、ぼうっとしているような、今はただ、ここにこうして座って、自由に考えているだけ。その気になれば、ここからどこへでも行ける、そんな無類の姿だった。木津は、底が知れぬ不知火の風格に、しばらく見惚れてから、ふと我に返って〝氷室様の命です。ご一緒に〟と氷室の密書を手渡した。
 木津はそのまま東北は岩手へ、不知火はトラックの荷台に乗って北陸はスキーのメッカへ、それぞれ各地へ散った。氷室のもう一つの命、それは、岸本のペンションに住み込みながら、天道葵と名を騙って、米元あずさの護衛に当たること。不知火、あのとき君は、あずさの顔を見て、きっと驚いた事だろう?」
 不知火は、懐かしい日々を思い出すように、目を薄くあけて、
「驚いた。斎様が生きていると思った」
 二人を交互に見て、美咲はたまらず、
「どういう事ですか? どうしてあずさちゃんが、ここで登場するのですか?」
「米元あずさと、不破斎は、瓜二つだった、そういう事だ」
 敷島の言葉を聞いて、美咲はさらに混乱、
「瓜二つ? そっくり? どういう事ですか?」
 わたくしの頭にも、大きなハテナマークが浮かんでいた。
「米元あずさは、不破昂佑と、彼の前妻、白鳥明日香の孫だ。宗村、これは、もう知っているな」
 どうしてか敷島は、わたくしに念を押した。
〝あたし実は、晦冥会の最高権力者、不破昂佑の孫なんです〟
〝実を言うと、祖父の前妻である白鳥明日香が、あたしの祖母に当たります〟
「確か、そんな事を言っていたな」
 スリーピンで額髪を留めた、中学生のようなあずさの顔が、ふと浮かんだ。
「あずさは、不破昂佑と白鳥明日香の孫。斎は、不破昂佑と上月加世の長女。二人の顔はそっくりだと言う。どうだ宗村、何かピンと来ないか?」
 わたくしは、黙って敷島の目を見つめた。美咲が顔を上げて、「双子?」と目を大きくした。
「その通りだ。岸本のペンションでバイトをしていた、米元あずさは、晦冥会の後継者、不破斎の双子の妹だった」
「なんだって?」とわたくし、だんだん、様々な事を考えながら、
「しかし、一方のあずさは、紀瑛総連の白鳥明日香の孫。もう一方の斎は、晦冥会の不破昂佑の長女。これがどうして、双子と言えるんだ?」
「深い事情があったのだ。当時『月下の託宣』によって、不破昂佑と上月加世が婚姻の契りを交わした。これによって、〝紀瑛総連〟という伝統宗教と、〝月宗冥正会〟という新宗教の、二つの団体が合併して、〝晦冥会〟という大規模な宗教団体が誕生した。いわゆる戦略結婚というやつだ。上月加世は、月宗冥正会の時代に、重病を患い、子宮性不妊になっていた。出産の可能性はゼロだと宣告されていた。つまり、晦冥会の継承者となる世継ぎは、今後いっさい生まれて来ない。そこで、旧紀瑛総連勢の大きな流れとして、不破昂佑の子孫、不破昂佑と白鳥明日香の孫の一人を、彼らの養子に迎えて、統主の座につかせようと、老師たちの計らいがあった。ちょうどその頃、白鳥明日香の娘、白鳥春香が、双子の娘を出産した、その予後を悪くして、ひっそりと他界していた。彼女の夫、米元航平は、男手一つで双子を見るには、宿泊業の勤務時間からも難しいと、そういう事情もあって、白鳥春香の双子の姉、斎が、不破昂佑と上月加世の養子に迎えられた。いっぽう妹のあずさは、実父の米元航平の旅館に残って、ごく平凡な父子家庭に育った、というわけだ」
 バイフーを取り逃がしたネットカフェ、そこが不知火の放火によって火災となり、彼女の後を追って偶然見つけた秘密のアジト、その天幕に入って左手のキューブボックスに、菊灯と置かれた不破昂佑とあずさの写真立て。不破昂佑の写真は、今でも不知火に信仰心があるのだと、まあ納得ができたが、あずさの写真については、ふに落ちない疑問として今まで残っていたが、あれは実は、あずさの写真ではなくて、その双子の斎の写真だった、というわけか。
「かような成り行きによって、斎は、晦冥会の統主の長女として、その名に恥じる事なく、立派に成長して行った。人に言わせれば、斎は、不破昂佑に非常に似ていて、誰に対しても平等で、いつも自然体で心が穏やか、人のために努力を惜しまず、向上心が人一倍つよく、人との約束は必ず守ろうとする、こう言った普段の姿勢が、信者からも敬われる存在となって、自然に斎派という派閥が生まれていた。それは、猜疑心の塊で、自分の目で見ないものは信じない、不知火忍でさえも、太鼓判を捺すほどのエクレクトス(神に選ばれし人)だった。
 申し分ない継承者を迎えた晦冥会は、しんから安心して、花めく未来へ向かって、繁栄を極めようとしていた。しかし、その順風満帆な船旅の、航路の大海原の一角に、雷を含んだ暗雲が、ゆっくりとこちらへ近づいて来た。それは他でもない、巽の凶。上月加世の元夫、八奈見透の突然の死によって、加世の息子、八奈見巽が、上月加世の連れ子として晦冥会へ迎えられる事となった。これが、晦冥会統主の継承権争いの引き金となった」
 晦冥会の深い事情を聞いて、この場にいる一同は、しんと静まり返って、様々な事を考えていた。
「まあとにかく、話を戻すが、当時の不知火は、岸本のペンションに勤務する傍ら、斎の双子の妹、米元あずさの身の安全を見守った。見守られるあずさにとっては、不知火の事は、ただの住み込みのバイトと気にもせず、退屈な毎日を送っていた。まさか自分の命が狙われているなど、夢にも思わずに。
 ではなぜ、あずさの安全がその当時第一に考えられたのか。それは、斎亡き時代にあって、晦冥会の継承者と成り得る人物、それは、巽の他には、不破昂佑の前の妻、白鳥明日香の子孫であるあずさしかいなかったからだ。巽はあずさの存在を知っていると考えるべきで、数少ない刺客を放ってあずさを暗殺する恐れがあった。不知火、どうだ、一年半もの間、何人くらい来た」
 不知火は腕を組んで、御神体に寄り掛かった。
「バイフーが三人。内一人は、私の顔を見て逃げ出した」
 石動は拳銃を構え、一歩前へ出て、
「おととしの八月、S沢の高架橋で飛び降り自殺があった。猪俣みゆきという名の女性だが、偽名らしく最後まで身元が分からなかった。続いて昨年二月、除雪作業中の除雪グレーダが、国道端の雪に完全に埋まった状態の女性の遺体を発見、警察の捜査の結果、川津苑子という名前の女性だと判明したが、こちらもやはり偽名で、身元は分からなかった。二人はいずれもペンション〝アルプホルン〟の宿泊客だった。不知火、これらの遺体に心当たりはあるな」
 不知火は目を閉じたまま、
「なんて名前だったか、忘れた。あずさ様の命を狙う奴らは、容赦しない」
 敷島は、石動に近づくように、ゆっくりと歩きながら、
「そんなあずさの護衛も、今から二ヶ月ほど前、高田桂子という古株のバイトが復帰したのを機に、突然終わりを告げた。そもそもあずさは、高田の長期休暇の、その穴埋めとして、アルプホルンにヘルプで来ていた。従って、高田の復職によって彼女は、本来の勤め先である老舗旅館へ戻った。氷室の命で言えば、不知火は古巣に戻ったあずさの後を追って、自らもバイト先を変えなければならなかった。しかしその頃にはもう、巽は晦冥会の統主の座について、晦冥会を牛耳っていた。継承者争いは、結局、斎の自刃によってひそかにその幕を下ろしたのだった。白鳥明日香の子孫が、命の危険にさらされる筋合いは、これでなくなった。〝巽降ろし〟のシナリオは、次の段階へと移っていた。氷室から次なる命〝晦冥会の秘密の祠を調査せよ〟こう密書が届いた頃には、君は、岸本が月に一度、妙な所へ通っている事を突き止めていた。そして、山中へ消える彼を尾行し、晦冥会の偽りの祠に足を踏み入れた。細心の注意を払い、人目を忍んで、その祠の謎を調べていると、〝不知火忍さん〟と背後から、想定外の声が掛けられた。宮國瑞希は、不知火忍という人物が、どれだけ恐ろしい殺人鬼なのか、そこを理解しながらも、あってはならない場所で彼女を呼び止めた」
 わたくしは、心の中がモヤモヤして、どうにもたまらず、敷島の話を止めた。
「ちょっと、いいか、ちょっとだけ、待ってくれ、敷島。さっきから黙って聞いていれば、おかしいじゃないか。俺はずっと気になっていた。気になって、もうこれ以上は我慢ができない。
 何が気になるって、どうして君は、何もかもすべてを知っているのだ。あんまりにも晦冥会の内部に通じている。不破昂佑と上月加世の養子の問題や、九頭竜会に起きた悲劇の一夜、氷室の巽降ろしのシナリオと密書の存在など、いくらSTGのネットワークが優れているとは言え、これほど細々しく語る事は不可能だ、どう考えてもおかしい」
 敷島は、意味深な背中を見せて、天井を見上げた。
「そうだな、こんな、晦冥会の極秘の事情について、ここまで語れる奴はまあいないだろう。晦冥会の信者でも、幹部でも、不破昂佑でさえ、不可能だ。しかしな、敷島探偵グループの宮國瑞希は、たった一人で調べ上げた」
 わたくしは、露骨に眉を寄せた。
「調べ上げたって、どうやって?」
「宮國瑞希は、晦冥会の信者だった。それも、情報関係の幹部だった。だから、ここまで調べ上げられた」
「え⁉」
 美咲も同時に、驚きの声を上げた。
「瑞希は、晦冥会の教師会の情報システム部で、晦冥会の全ての情報を管理し、情報システムのプログラミングを一手に引き受けていた。そこで俺は、彼女を我が社へ引き抜いた」
 わたくしは目を白黒させて、額に手のひらを当てた。
「なになに、ちょっと待ってくれ。待ってくれ。えーっと、そもそも晦冥会の幹部は、脱会が利かないんじゃなかったのか? そういう話じゃなかったか?」
 敷島は腕を組んで、人差し指を立てた。
「君の言う通りだ。晦冥会の幹部は、脱会ができない。そうではない。瑞希の場合は、ヘッドハンティング、エグゼクティブサーチだ。宗教団体の一人のプログラマーとして、このさき瑞希を晦冥会で飼い殺しにするのは、不毛だ。不経済だ。不知火は良い言葉を使っていたが、瑞希には天与の資があった。それを探偵の分野で大いに発揮して、敷島探偵グループの発展に寄与した方が、すばらしい事だと思わないか?
 まあとにかく、偶然にも美咲のIDを手に入れ、それ使用した不知火が、STGのサーバーにログインできたのは、晦冥会とSTGのサーバーシステムが非常に似ていたからだ。それもそのはず、アノニマスでも時間内にハッキングできないチャージ・レスポンス・システム、それは、晦冥会に在籍中の瑞希がたった一人で開発したものだ。それをSTGにも導入させた。全く同じでは不都合だから、鍵穴は変えさせたがな」
 しばらくはポカンと話を聞いていたわたくし、シャボン玉がパッと消えるように、我に返って、
「にしたって、宮國瑞希は晦冥会を去った。これは脱会だろう。恐ろしいバイフー、不知火忍が彼女を暗殺に来るはずじゃないか」
 その時、我々の背後、祠の入口から、聞き覚えのない若い男の声が響いて来た。
「宮國瑞希の暗殺は、必要がない。なぜならそのヘッドハンティングは、取引だったからな。取引、奴の引き渡しを条件に、敷島レナは、この巽様と手を組む約束をしたのだ」
 敷島の顔色が変わった。
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