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火刑台のジャンヌ
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巽は、高々と拳銃を上げて、勝ちどきの声をあげた。
「ヒャッホー! やったぜ! ついに俺は、不知火の体に銃弾を撃ち込む事に成功した!」
不知火は、右の手で反対の上腕を押え、ガクンと左ひざを落とした。そして、床に向かって大きく目を見ひらいた。左の上腕を押さえた指の間からは、鮮血があふれ、ポタポタと床に血だまりが広がる。
「どうだ不知火、初めて銃弾を受けた感想は、ええ? 痛いだろう? 痛ぁいだろう? もう一発、こいつに撃たれたらと考えただけで、こわくて身動きもできまい」
優位に立った顔をして、巽は、いかにも格好をつけて拳銃を構える。
「どういう事なんだ、敷島。不知火は、最強だったはずだろう? どうしてこんな事に」
敷島のせいではないにしろ、わたくしは、不満たっぷりに敷島の肩をつかんだ。敷島は、あごに人差し指を当てて、真剣に考えていた。
「最強、そのはずだ。不知火は、今まで数限りない実弾をよけて来た。拳銃なんかでは、太刀打ちできないはず。それなのに巽のやつ、一体どうやって」
不知火は、視界が二重に見えたのか、ぎゅっと目をつむってから、片ひざを突いて立ち上がった。そして、渾身の力で左腕を押さえる。出血が止まらない。
「おまえなんかもう怖くない!」
いきなり巽は、拳銃に残った銃弾、四発を撃ち尽くした。不知火はふらつきながらも、くるりと体を回転させて、この四発については全弾回避。
「チッ! しゃらくせーな」
ホールドオープンになった拳銃を見て、三度目のマガジン交換、スライドリリースレバーを解除して、すかさずウィーバースタンスを取る。今度は無言で一発発砲、不知火は右へと顔を動かして、弾丸をよける。その際、腕から出血した血液が、床に大きな弧を描く。そこから巽は、静かに目を閉じ、肩の力を抜いて、リラックスした心境から、まぶたを開ける。
「!」
まただ。また不知火に戸惑いの色が現れる。巽がトリガーを引く、その前に、彼女は左の方向へ上体を動かす。銃口が火を吹いて、右足の暗殺着が音速で波打つ。トマトジュースの缶を開けて逆さにしたように、どぶどぶと、大腿の傷口から血があふれ出す。
「やったぜ、また当たった! こいつはすげー」
巽は、べろんと舌を出して、拳銃のスライダをなめて、一歩、また一歩と相手との距離を詰める。それを受けて不知火は、手負いの虎が牙をむき出すように、祠の奥まで退き、石の扉に背中をつける。
「どうした、ええ? 逃げるのか? この巽様から、しっぽを巻いて逃げ出すのか?」
不知火は、二発の実弾を体に受けて、はあはあと呼吸を乱した。被弾の位置が、人体の急所で無いにしろ、体を動かす事が非常に困難に見えた。今は、手のひらで傷口を圧迫して、止血に余念がない。目の色も、青紫色と黒目が交互に繰り返されて、はた目からも、彼女の力が弱まった気がする。
巽は、思春期の中学生のように、イキッた煙草のくわえ方をした。
「ふん、どのみちおまえは殺すつもりだった。どのみちな。一時は、それでもおまえのことを面白いと感じた事もあった。一夜にして八〇人もの武装集団を死滅させる、悪魔的な戦闘能力、その、誰にも真似ができないファンタスティックなスキルを評価して、俺様の右腕として配下に置こうかと、ちょっと魅了された時期もないではなかった。ましてや、今のおまえは、斎という絶対的な主君に先立たれ、失意の上にも、晦冥会から追放された身にある所を、まあ適当に慰めて、最高の報酬をチラつかせれば、江口のアホのように、簡単に飼いならせると思っていた」
不知火は、相手の出方、次の攻撃に、細心の注意を払いながら、左右に視線を飛ばした。
「しかしおまえは、そういった趣旨をもった俺の使いを、ことごとく殺しやがった。様子を見に行かせた江口まで、あのザマだ。おまえは、頭が悪い。おまえは馬鹿だ。俺様がつねづね思想に掲げている〝究極の合理性〟には、遠く及ばない。そんな奴には存在価値がない。放っておいても、ろくなものではない。飼いならすにせよ、追放するにせよ、おまえの存在が最も危険だ。だからこうやって、俺様直々、危険の芽を摘みに来たのだ」
不知火は、一度低い姿勢を見せてから、左の方向、御神体の裏側へと走った。それは、お世辞にも〝走った〟とは言えない、びっこを引いて難を逃れる、敗走者の姿だった。
「逃がすかよ!」
巽は御神体を回り込んで、飛び出す相手の右足を蹴りつけた。不知火は無音で叫び、ぐらつき、よろめき、床に左手を突いて、顔から転倒する。すかさず巽は、不知火の左の上腕を蹴り付け、横になった彼女の頭を、コンバットブーツの底で踏みつけた。
「動くと頭をぶち抜くぞ!」
やくざのような凄みを利かせて、巽は不知火の頭めがけて銃口を下ろす。
不知火は、長い髪の毛を床に広げて、半ば血まみれになりながら、ふーふー歯を食いしばって息をしている。
「お、おい。なんか、不味くないか?」
おろおろとわたくしは、風向きの急変から、事の成り行きを案じ始めた。
敷島はまだ、あごに指を当てて思案している。
「いくら不知火が恐ろしい暗殺者だって、こんなの、あんまりだ。そうだろう? これでは、不知火は一方的に殺されてしまう」
「宗村、妙だ」
「何がだ」
敷島は、祠の右奥で横倒しになっている、不知火の姿には目もくれず、彼女が最初に銃弾を受けた、血しぶきの残る石の扉を見た。
「不知火が銃弾を受けたのは、左腕と、右足だ」
「? それが、どうした」
敷島は、じぶんの体の中心を指で差し示し、
「秘密の特訓によって、能力者に銃弾を撃ち込めるようになった巽は、これだけ至近距離から発砲しているにもかかわらず、なぜ、相手の急所、ここ、体の中心を狙わないのだ」
わたくしは一瞬、思考が止まった。
「そう、か? そう、だな、言われてみれば確かに」
相手の顔に唾を吐きかけ、巽は、ブーツの底でぐりぐりと不知火の頬を踏み躙る。
「そら泣け、叫べ、わめけ。九頭龍会と俺のバイフーをさんざ殺しやがって、こんなものではすまさんぞ、不知火!」
不知火は、悲鳴を上げても、悲鳴にならない、悲しい音を発した。
「巽は一度、目を閉じてから、次には薄目になって、拳銃を撃った。それのみが不知火の身体に命中している。ほかの射撃は、不知火は全弾よけている。これが秘密の特訓のヒントのようだ」
敷島は深く腕を組むポーズをとった。
「目を、閉じるか。確かに妙な行いだな。あれはでも、何をしているんだ?」
「目を閉じたまま相手を撃ったのならば、目の動きを読ませない、目の動きから相手の心を読む読心術の対策となる。しかし巽の場合は、その後で薄目を開けて、発砲している。少なからず目の動きはあるはずだ。久慈理穂か、こいつはちょっと厄介だな」
巽は、まるでサッカーボールでも扱うように、不知火の頭を何度も踏みつけ、彼女の暗殺着の下、腰の辺りから、あやしげな封筒を抜き取った。
「何をする、返せ!」
頭を踏まれた体勢から、不知火は、限界まで右手を伸ばした。印璽が捺された封蝋つきの封筒、それをぺらぺらと扇いで、表を見たり、裏を見たり、しながら巽は、
「ほう、こんな所に。危ない、危ない。こいつが江口の言っていた、氷室の徒労の賜物。長い年月をかけて、少しずつ少しずつ温めて来たという、極秘文書。俺様を、統主の座から引きずりおろす〝巽降ろし〟という、まったくけしからん計画の集大成か。晦冥会の秘密の部屋に、こんなのを持ち込まれでもしたら、正しく俺は、晦冥会統主の座からブタ箱行きになる所だった」
巽は、これ以上ないってくらい、うらめしい横目を使って、床に放り投げられたままの上月加世を見た。
「まあこれで、極秘文書も回収できた事だし、レジスタンスとかなんとかバカ騒ぎしている、俺様に歯向かう奴らの全ての希望はついえたのだから、俺様の勝ちには違いないが、一つだけ、どうしても俺には解せない事がある。
それは、おまえらが隠し持っている、力の源だ。おい、おまえらの本当の目的とは、いったい何だ? 言え、言え言え、何を企んでいる。〝巽降ろし〟で俺様が統主の座を退いたとして、次にその空席に誰が座る? おまえらはどうもそこまで考えたうえで、組織だって、使命感に燃えている。俺様の考えでは、斎が死んだ時点で、おまえらの希望はすでについえていたはずだ。ジ、エンド。にもかかわらず、あっちこっちでコソコソしやがって、まーあきらめが悪い。俺様に仕返しをしたい気持ちは分かるが、なんだ、言ってみろ。どうも俺様を晦冥会から追放する以上に、何かを企んでいるだろう」
不知火は、角の多いソールを頬に受け、拷問に耐える人のように、衰弱しきった目を上げた。
「言わないか、言うわけがないか。ふん、まあいい。言いたくなければ、それまでの話だ」
煙草に火を点けた巽、そのついでに、封筒の角にライターの火を移動させた。
「何をする、やめろ!」
封筒に焦げ目が広がって、火がついて、全部燃える前に、巽は指を放した。封筒は、空中で火に包まれながら、ひらひらと舞って、滑るように床へ落ちた。巽を統主の座から引きずりおろすという、極秘文書。それは火の熱で反り返り、灰と化しながら、その背景にある不知火の顔を明々と照らす。
「さてと、これでおまえは天命が尽きた。心置きなく死ねばいい」
フランス革命の首切り役人のように、さも冷酷な目を下げた巽は、拳銃のトリガーに指をかけた。とその時、今まで床に崩れていた上月加世が、祈祷師のような白い服を揺すって、不意を打って拳銃にしがみ付いた。
「やめなさい、もう、十分でしょう」
「きさま」
巽は、足で野犬を蹴り返すように、
「放せ、この裏切り者!」
一発の銃声。続いて、もう一発。わたくしは目をむいた。上月加世は、ふらふらと巽から離れて、尻もちをついて倒れた。信じられない、といった表情を見せて、ゆっくりとみずからの腹部を見下ろした。七紋帰依のマークの入った純白な服が、みるみる赤く、血の色に染まって行く。
「加世様!」
床にねじ伏せられながら、不知火は、声が掠れるほど叫んだ。
「ハ、ハハ、お前が悪いんだ、ぜーんぶお前がな。一見、俺様に従順なツラをして、なれなれしくしておきながら、裏でこっそりと、氷室のじいさんとつるんでいやがった。俺はな、江口から聞いて、ぜーーんぶ知っているんだよ。意外と言えば、意外な、巽降ろしの首謀者の名前をな」
上月加世は、ごふっと喀血して、あごから首まで血でぬらした。右手で腹部を押さえ、体をねじって、左腕で床をつかむように、祠の奥へと向かい始めた。
「敷島ぁ。こんなのって、こんなのって、ないだろう。巽は血の涙もないのか? 上月加世といえば、統主でもあるし、確かあいつの実の母親でもあったよなあ。敷島、何とか言ってくれよ」
わたくしは、最悪なシナリオを目の当たりにして、息ができないくらい、胸がしめつけられた。
「宗村、気持ちは分かるが、俺たちは部外者だ。口出しは禁物」
「そんな事いうなよ。今からでも、な、二人を救急救命へ搬送すれば、なんとか命だけは」
「無駄だ。始めから巽は、二人を殺すつもりだ」
驚くほどに冷淡に、敷島はわたくしを見返した。
「そんなこと、言うなよ。そんなことって、ダメだよ。人として、絶対にダメだよ。いくら相手が拳銃を持っているからって、俺たちは何もできないって言うのか? 何もできないで、二人が殺されていく、ただそれを見守るだけなのか? ここに〝正義〟はないのか?」
〝正義〟という言葉に、敷島はかすかに反応した。わたくしは右の手のひらで両目を覆った。不知火忍は、晦冥会、特に氷室の命により、何十人、何百人と人を殺めて来た。上月加世は、我が子の異常な思想に、手に負えなくなって、氷室に相談、最悪なシナリオを回避するために手を結んだ。それが本人にバレてしまったとして、だからと言って、こうやって巽に殺されていい理由にはならない。全てはこの、不破巽という、人の皮をかぶった悪魔が悪いのであって、そもそも斎という無実な少女を、目障りな存在だという、ただそれだけの身勝手な理由によって、暗殺したから、このような最悪なシナリオに落ちてしまったのだ。つまりは、一番の悪の根源は、誰がなんと言おうと、この巽という男なのだ。
血だまりを作って引きずりながら、祠の扉へと這って行く、上月加世。その哀れな姿に背を向けて、
「ありゃ、もうダメだな。じきっと動かなくなる。バカな女だ。俺様の言う通りにしていればいいものを。〝究極の合理性〟、あれも遠く及ばないな。
さてと、不知火、次はおまえの番だ。俺様はな、無慈悲な男だ。もしも戦時中、俺様がジェネラルの立場だったら、捕虜は皆殺しになっただろう」
銃口が下がって、不知火のこめかみに当たった。
「やめろ、やろめ」
わたくしは混沌となって、くしゃくしゃと髪の毛を搔きむしった。そうした所で別段、何がどうなるものでもない。わたくしは卑怯な人間だ。人が一人ずつ殺されて行く、それを、ただ口をあんぐりあけて見ているだけの、馬鹿野郎だ。どうした、上月加世のように、巽につかみかかれば良いじゃないか、巽の背中に体当たりをして、不知火逃げろと叫べばいいじゃないか、どうしてやらない? どうして動けない? その答えは、わたくしは我が身がかわいくて、かわいくて、仕方ないのだ。不知火の代わりにわたくしが拳銃に撃たれるのが、怖いのだ。わたくしは髪の毛を掻きむしった。不知火が一年半、生死をかけてやって来た使命に比べたら、わたくしは、恥ずべき存在。やめろ、やめろと、心の中で叫び続けるだけの、腰抜けの人間だ。
「死ね」
全ては巽の思う壺となる、その時を迎えて、わたくしはせめてもの抗いとして、力の限り叫んだ。
「やめろ! 殺さないでくれぇ!」
突然の砂嵐。
「?」
ザーザーいう、砂嵐のような雑音、それが頭の中に始まった。
『……おじ……さ……』
「痛っ!」
追って、激しい頭痛。
『……おじさん、聞こえますか……おじさん』
「り……お?」
わたくしは、一人で部屋にいる時のように、素になって、勢いよく顔を上げた。
『そうです、わたしです。もう、精神感応を乱用しないで下さい! とっても目立ちます!』
「ヒャッホー! やったぜ! ついに俺は、不知火の体に銃弾を撃ち込む事に成功した!」
不知火は、右の手で反対の上腕を押え、ガクンと左ひざを落とした。そして、床に向かって大きく目を見ひらいた。左の上腕を押さえた指の間からは、鮮血があふれ、ポタポタと床に血だまりが広がる。
「どうだ不知火、初めて銃弾を受けた感想は、ええ? 痛いだろう? 痛ぁいだろう? もう一発、こいつに撃たれたらと考えただけで、こわくて身動きもできまい」
優位に立った顔をして、巽は、いかにも格好をつけて拳銃を構える。
「どういう事なんだ、敷島。不知火は、最強だったはずだろう? どうしてこんな事に」
敷島のせいではないにしろ、わたくしは、不満たっぷりに敷島の肩をつかんだ。敷島は、あごに人差し指を当てて、真剣に考えていた。
「最強、そのはずだ。不知火は、今まで数限りない実弾をよけて来た。拳銃なんかでは、太刀打ちできないはず。それなのに巽のやつ、一体どうやって」
不知火は、視界が二重に見えたのか、ぎゅっと目をつむってから、片ひざを突いて立ち上がった。そして、渾身の力で左腕を押さえる。出血が止まらない。
「おまえなんかもう怖くない!」
いきなり巽は、拳銃に残った銃弾、四発を撃ち尽くした。不知火はふらつきながらも、くるりと体を回転させて、この四発については全弾回避。
「チッ! しゃらくせーな」
ホールドオープンになった拳銃を見て、三度目のマガジン交換、スライドリリースレバーを解除して、すかさずウィーバースタンスを取る。今度は無言で一発発砲、不知火は右へと顔を動かして、弾丸をよける。その際、腕から出血した血液が、床に大きな弧を描く。そこから巽は、静かに目を閉じ、肩の力を抜いて、リラックスした心境から、まぶたを開ける。
「!」
まただ。また不知火に戸惑いの色が現れる。巽がトリガーを引く、その前に、彼女は左の方向へ上体を動かす。銃口が火を吹いて、右足の暗殺着が音速で波打つ。トマトジュースの缶を開けて逆さにしたように、どぶどぶと、大腿の傷口から血があふれ出す。
「やったぜ、また当たった! こいつはすげー」
巽は、べろんと舌を出して、拳銃のスライダをなめて、一歩、また一歩と相手との距離を詰める。それを受けて不知火は、手負いの虎が牙をむき出すように、祠の奥まで退き、石の扉に背中をつける。
「どうした、ええ? 逃げるのか? この巽様から、しっぽを巻いて逃げ出すのか?」
不知火は、二発の実弾を体に受けて、はあはあと呼吸を乱した。被弾の位置が、人体の急所で無いにしろ、体を動かす事が非常に困難に見えた。今は、手のひらで傷口を圧迫して、止血に余念がない。目の色も、青紫色と黒目が交互に繰り返されて、はた目からも、彼女の力が弱まった気がする。
巽は、思春期の中学生のように、イキッた煙草のくわえ方をした。
「ふん、どのみちおまえは殺すつもりだった。どのみちな。一時は、それでもおまえのことを面白いと感じた事もあった。一夜にして八〇人もの武装集団を死滅させる、悪魔的な戦闘能力、その、誰にも真似ができないファンタスティックなスキルを評価して、俺様の右腕として配下に置こうかと、ちょっと魅了された時期もないではなかった。ましてや、今のおまえは、斎という絶対的な主君に先立たれ、失意の上にも、晦冥会から追放された身にある所を、まあ適当に慰めて、最高の報酬をチラつかせれば、江口のアホのように、簡単に飼いならせると思っていた」
不知火は、相手の出方、次の攻撃に、細心の注意を払いながら、左右に視線を飛ばした。
「しかしおまえは、そういった趣旨をもった俺の使いを、ことごとく殺しやがった。様子を見に行かせた江口まで、あのザマだ。おまえは、頭が悪い。おまえは馬鹿だ。俺様がつねづね思想に掲げている〝究極の合理性〟には、遠く及ばない。そんな奴には存在価値がない。放っておいても、ろくなものではない。飼いならすにせよ、追放するにせよ、おまえの存在が最も危険だ。だからこうやって、俺様直々、危険の芽を摘みに来たのだ」
不知火は、一度低い姿勢を見せてから、左の方向、御神体の裏側へと走った。それは、お世辞にも〝走った〟とは言えない、びっこを引いて難を逃れる、敗走者の姿だった。
「逃がすかよ!」
巽は御神体を回り込んで、飛び出す相手の右足を蹴りつけた。不知火は無音で叫び、ぐらつき、よろめき、床に左手を突いて、顔から転倒する。すかさず巽は、不知火の左の上腕を蹴り付け、横になった彼女の頭を、コンバットブーツの底で踏みつけた。
「動くと頭をぶち抜くぞ!」
やくざのような凄みを利かせて、巽は不知火の頭めがけて銃口を下ろす。
不知火は、長い髪の毛を床に広げて、半ば血まみれになりながら、ふーふー歯を食いしばって息をしている。
「お、おい。なんか、不味くないか?」
おろおろとわたくしは、風向きの急変から、事の成り行きを案じ始めた。
敷島はまだ、あごに指を当てて思案している。
「いくら不知火が恐ろしい暗殺者だって、こんなの、あんまりだ。そうだろう? これでは、不知火は一方的に殺されてしまう」
「宗村、妙だ」
「何がだ」
敷島は、祠の右奥で横倒しになっている、不知火の姿には目もくれず、彼女が最初に銃弾を受けた、血しぶきの残る石の扉を見た。
「不知火が銃弾を受けたのは、左腕と、右足だ」
「? それが、どうした」
敷島は、じぶんの体の中心を指で差し示し、
「秘密の特訓によって、能力者に銃弾を撃ち込めるようになった巽は、これだけ至近距離から発砲しているにもかかわらず、なぜ、相手の急所、ここ、体の中心を狙わないのだ」
わたくしは一瞬、思考が止まった。
「そう、か? そう、だな、言われてみれば確かに」
相手の顔に唾を吐きかけ、巽は、ブーツの底でぐりぐりと不知火の頬を踏み躙る。
「そら泣け、叫べ、わめけ。九頭龍会と俺のバイフーをさんざ殺しやがって、こんなものではすまさんぞ、不知火!」
不知火は、悲鳴を上げても、悲鳴にならない、悲しい音を発した。
「巽は一度、目を閉じてから、次には薄目になって、拳銃を撃った。それのみが不知火の身体に命中している。ほかの射撃は、不知火は全弾よけている。これが秘密の特訓のヒントのようだ」
敷島は深く腕を組むポーズをとった。
「目を、閉じるか。確かに妙な行いだな。あれはでも、何をしているんだ?」
「目を閉じたまま相手を撃ったのならば、目の動きを読ませない、目の動きから相手の心を読む読心術の対策となる。しかし巽の場合は、その後で薄目を開けて、発砲している。少なからず目の動きはあるはずだ。久慈理穂か、こいつはちょっと厄介だな」
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「何をする、返せ!」
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「ほう、こんな所に。危ない、危ない。こいつが江口の言っていた、氷室の徒労の賜物。長い年月をかけて、少しずつ少しずつ温めて来たという、極秘文書。俺様を、統主の座から引きずりおろす〝巽降ろし〟という、まったくけしからん計画の集大成か。晦冥会の秘密の部屋に、こんなのを持ち込まれでもしたら、正しく俺は、晦冥会統主の座からブタ箱行きになる所だった」
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「まあこれで、極秘文書も回収できた事だし、レジスタンスとかなんとかバカ騒ぎしている、俺様に歯向かう奴らの全ての希望はついえたのだから、俺様の勝ちには違いないが、一つだけ、どうしても俺には解せない事がある。
それは、おまえらが隠し持っている、力の源だ。おい、おまえらの本当の目的とは、いったい何だ? 言え、言え言え、何を企んでいる。〝巽降ろし〟で俺様が統主の座を退いたとして、次にその空席に誰が座る? おまえらはどうもそこまで考えたうえで、組織だって、使命感に燃えている。俺様の考えでは、斎が死んだ時点で、おまえらの希望はすでについえていたはずだ。ジ、エンド。にもかかわらず、あっちこっちでコソコソしやがって、まーあきらめが悪い。俺様に仕返しをしたい気持ちは分かるが、なんだ、言ってみろ。どうも俺様を晦冥会から追放する以上に、何かを企んでいるだろう」
不知火は、角の多いソールを頬に受け、拷問に耐える人のように、衰弱しきった目を上げた。
「言わないか、言うわけがないか。ふん、まあいい。言いたくなければ、それまでの話だ」
煙草に火を点けた巽、そのついでに、封筒の角にライターの火を移動させた。
「何をする、やめろ!」
封筒に焦げ目が広がって、火がついて、全部燃える前に、巽は指を放した。封筒は、空中で火に包まれながら、ひらひらと舞って、滑るように床へ落ちた。巽を統主の座から引きずりおろすという、極秘文書。それは火の熱で反り返り、灰と化しながら、その背景にある不知火の顔を明々と照らす。
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「やめなさい、もう、十分でしょう」
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巽は、足で野犬を蹴り返すように、
「放せ、この裏切り者!」
一発の銃声。続いて、もう一発。わたくしは目をむいた。上月加世は、ふらふらと巽から離れて、尻もちをついて倒れた。信じられない、といった表情を見せて、ゆっくりとみずからの腹部を見下ろした。七紋帰依のマークの入った純白な服が、みるみる赤く、血の色に染まって行く。
「加世様!」
床にねじ伏せられながら、不知火は、声が掠れるほど叫んだ。
「ハ、ハハ、お前が悪いんだ、ぜーんぶお前がな。一見、俺様に従順なツラをして、なれなれしくしておきながら、裏でこっそりと、氷室のじいさんとつるんでいやがった。俺はな、江口から聞いて、ぜーーんぶ知っているんだよ。意外と言えば、意外な、巽降ろしの首謀者の名前をな」
上月加世は、ごふっと喀血して、あごから首まで血でぬらした。右手で腹部を押さえ、体をねじって、左腕で床をつかむように、祠の奥へと向かい始めた。
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〝正義〟という言葉に、敷島はかすかに反応した。わたくしは右の手のひらで両目を覆った。不知火忍は、晦冥会、特に氷室の命により、何十人、何百人と人を殺めて来た。上月加世は、我が子の異常な思想に、手に負えなくなって、氷室に相談、最悪なシナリオを回避するために手を結んだ。それが本人にバレてしまったとして、だからと言って、こうやって巽に殺されていい理由にはならない。全てはこの、不破巽という、人の皮をかぶった悪魔が悪いのであって、そもそも斎という無実な少女を、目障りな存在だという、ただそれだけの身勝手な理由によって、暗殺したから、このような最悪なシナリオに落ちてしまったのだ。つまりは、一番の悪の根源は、誰がなんと言おうと、この巽という男なのだ。
血だまりを作って引きずりながら、祠の扉へと這って行く、上月加世。その哀れな姿に背を向けて、
「ありゃ、もうダメだな。じきっと動かなくなる。バカな女だ。俺様の言う通りにしていればいいものを。〝究極の合理性〟、あれも遠く及ばないな。
さてと、不知火、次はおまえの番だ。俺様はな、無慈悲な男だ。もしも戦時中、俺様がジェネラルの立場だったら、捕虜は皆殺しになっただろう」
銃口が下がって、不知火のこめかみに当たった。
「やめろ、やろめ」
わたくしは混沌となって、くしゃくしゃと髪の毛を搔きむしった。そうした所で別段、何がどうなるものでもない。わたくしは卑怯な人間だ。人が一人ずつ殺されて行く、それを、ただ口をあんぐりあけて見ているだけの、馬鹿野郎だ。どうした、上月加世のように、巽につかみかかれば良いじゃないか、巽の背中に体当たりをして、不知火逃げろと叫べばいいじゃないか、どうしてやらない? どうして動けない? その答えは、わたくしは我が身がかわいくて、かわいくて、仕方ないのだ。不知火の代わりにわたくしが拳銃に撃たれるのが、怖いのだ。わたくしは髪の毛を掻きむしった。不知火が一年半、生死をかけてやって来た使命に比べたら、わたくしは、恥ずべき存在。やめろ、やめろと、心の中で叫び続けるだけの、腰抜けの人間だ。
「死ね」
全ては巽の思う壺となる、その時を迎えて、わたくしはせめてもの抗いとして、力の限り叫んだ。
「やめろ! 殺さないでくれぇ!」
突然の砂嵐。
「?」
ザーザーいう、砂嵐のような雑音、それが頭の中に始まった。
『……おじ……さ……』
「痛っ!」
追って、激しい頭痛。
『……おじさん、聞こえますか……おじさん』
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ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
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