プルートーの胤裔

ゆさひろみ

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DEPARTURE

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 五メートルくらい先にある、二台のスノーモービル、その方向を指さして、わたくし、見ていて恥ずかしいくらい大声をあげて、
「おい敷島! なんであそこに、あんな所に、不知火忍がいるんだ! 彼女は祠の奥で死んだはずだろう⁉」
 タンデムシートに腰をかけた、げっそりと痩せた女性、災害救助用の毛布から、頭だけを出して、長い髪を掻き上げる仕草。間違いない、あれは不知火だ。
「大きな声を出すな、馬鹿」と敷島、人差し指を立てて、それをくちびるに当てる。
「夜間パトロール隊が、雪崩パトロール中に避難者を発見した、それだけの事じゃないか」
 そんな見かけだけの説明で、それだけではこちらもおさまりが付かず、わたくしは尚もわめき散らした。
「ただそれだけって、あ、あいつは、今までに、何十人何百人と人を殺してきた、凶悪犯なんだぞ! それを救助したって、なんでそんな余計な事を!」
 興奮して、思わずそう言ってしまってから、不知火の視線に気づいた。
「ひどいじゃないか、宗村。殺人の容疑者には、人権があって、救助される権利がある。いつの時代にも、凶悪な事件となれば、どうして加害者を助けるのかと批判する者が出る。しかしそれは、加害者が被害者に対して、真摯に向き合って、しっかりと償うため、そのための加害者の支援が必要なのだ」
「加害者の支援って」
 敷島は、わたくしにだけ聞こえる声で、
「まあ確かに、今回の不知火の場合は、戦後最大規模の連続殺人の容疑者だ。彼女の身柄が拘束され、検察官によって起訴され、裁判所によって犯罪を行ったと認定されれば、彼女は間違いなく極刑だ」
「永山基準だったっけ、被害者の数で言えば、そうなるだろうな」
「しかしそうであると同時に、彼女の存在は、旧紀瑛総連の連中にとって希望そのものだ。不知火なくして晦冥会の暴走を阻止できなかったのだし、巽おろしというタブーは実現し得なかった。まさに伝説のバイフーと言った所だ。
 しかしながら、天下無双の不知火忍も、偉業を成し遂げるには無事には済まず、二発の被弾と、甲状腺に高線量被曝の疑いがあり、これから彼女、G県にある七紋総合病院へ緊急搬送される。そこで救急救命室へ入って、国内最高とも言われる高度先端医療を受ける事になる」
 わたくしは声のトーンを落として、
「不知火の救助は、計画されていたのか?」
「そうだ」
「そうだって。じゃあ、巽や、上月加世は」
 夜空に顔を上げた敷島、野暮なことを聞くな、という具合にため息ひとつ。
「上月加世は、いや、彼女の肉体はと言った方が正しいか、その腹部は致命傷を負って、今はもう息は無いだろう。不破巽は、あまりに危険な思想の持主から、いずれにせよ生かしておくわけにはいかない。そこへ来て不知火は、旧紀瑛総連にとって英雄として扱われ、刻一刻と線量が増す祠の奥で、彼女だけ、空気中のX線、ガンマ線を遮蔽できる、防護コートを、上月加世から手渡され、それを着用して、緊急避難経路を走った」
「走った? 走ったって、ここから偽りの祠まで」
「直線距離でざっと五キロメートルはある」
 岸本の、最新型のスノーモービルだって、二〇分はかかった。
「そんな距離、二発も撃たれた重傷者が、ぜんぶ走ったのか?」
 天を見上げたままの敷島、不知火へと目を動かして、
「あそこに彼女がいるのだから、そういう事なのだろう。地中深くに造られた緊急避難経路、その構造について俺は詳しくないが、恐らく一本道となった長い地下階段、そこを彼女、生死の境を彷徨いながら、最後の力をふり絞って、果てしなく続くうす闇の中を走った。その苦しみの先、祠の出口の向こうに、あなたが世界で一番会いたい人、不破斎が待っていると、その上月加世の最期の言葉を信じて」
 見れば不知火、座っているのもやっとなくらい、くたりとして、それはまるで血を流してうずくまる白虎の姿と変わらなかったが、しかしその惨憺たる見た目には、不思議と敗北者の姿はなく、それどころか、かえって心は落ち着いて、安らかに満たされた感じがあった。
 そうか、そうなのだ。晦冥会の信者たちにとって、父のような存在であった不破昂佑、そんな偉大な統主を裏切る形で、牙をむき出し、身一つで、破門の旅に出た不知火。一年半という長く苦しい時間を耐え、忍んで、数々の刺客に命を狙われながら、氷室の指示によって大仕事をやってのけた、その後で、夢にまで見た斎との再会。やっと、やっと会えたのだ。バイフーとして守るべき存在、いち信者として守るべき未来の先導者、彼女の苦悩や葛藤、辛抱が今日、すべて報われたのだ。
 その時、タイヤが氷を踏み砕く音が近づいて来た。なんだなんだと首を動かしていると、突然一台の救急車が、無灯で、しかも回転灯つけず、高い雪壁の間から顔を出した。
「びっくりしたぁ、なんだ?」
 面食らうわたくしに一笑、敷島は、腕時計の針を読んで、
「さすがは晦冥会。時間ぴったりだ」
 ごくごく一般的な2B型の救急車、七紋総合病院と表示された車両は、雪をふんで車体をゆらし、ペンションの前へ横づけとなった。運転席と助手席のドアが開いて、中から男性の救急医が降りて来る。
「ああ、そうか。不知火はこのまま緊急搬送されるのか」
「そうだ」
 斎は走って、救急医を呼び止めた。彼らはネイビーのスクラブに、分厚いジャケットをひっかけて、誠実そうに深く頭をさげた。斎は自分の胸に手を当てて、一言二言、それからスノーモービルに座った不知火の所まで彼らを案内する。ハッと気がつくと、目の前にいた敷島もそちらへ移動、慌ててわたくしもそれに倣う。
「あのさあ、あんたらプロだから分かると思うけど」
 と羽深、救急医の背後に立って、
「彼女、低体温症の兆候があるから、急激に身体を暖めないでね。アフタードロップが怖いからさ。とにかく安静、安静。まあ、釈迦に説法ってやつ? あとは医療機関にお任せするよ。ほら貝ちゃん、そんな所で黙って見てないで、手を貸してよ」
 にわかにできた人の輪、そこから少し離れる形で、じっとしている貝沼、スノーモービルに腰をかけ、まったく手を貸そうとしない。
「貝ちゃん?」
「羽ちゃんやめな、そいつらから離れるんだよ」
 不気味な低いトーンで、貝沼は毒づいた。やっていられない、これは受け容れられない、そんな険悪なムードが漂った。
「どうしたのよ、何が気に入らないんだよ」
 まん丸な目をして、大きく左右に両手を広げる羽深。
「羽ちゃん、これは犯罪だよ、犯罪」
「犯罪?」
 凍った髭をなでて、羽深、心外な顔をして驚く。
「敷島レナって、言ったね」
 満を持して立ち上がる貝沼、ゆっくりと歩いて、敷島と争う姿勢を見せた。
「あんた、有名な探偵なんだろう? だったら、刑事刑法くらい知っているだろう? この救助者、殺人罪の容疑者って話のようだが、それを分かった上で、こんなふうに移動手段を提供する事が、刑法に抵触するくらい分かっているはずだ」
「え?」
 わたくしは耳を疑った。刑法違反? これから不知火を救急搬送する事が、法に触れるのか?
 厳しい表情から腕を組み、敷島、無言で相手を見据えた。
「一時間前、突然パトロール隊に連絡が入って、怪我人を救助して欲しいだなんて、あたしはずっと引っ掛かっていたんだ。怪我人と言ったところが、二発も銃撃を受けた後、それで平気な様子の女、そんなの、堅気の人間じゃない。あんたらの話を聞いていれば、その女、連続殺人犯の容疑者だって話じゃないか。これって、どう考えてもやばい過ぎ。警察への通報もなしで、容疑者の女を他県の病院へ搬送するなんて、これはもう、正真正銘『犯人隠避罪』に該当するでしょう」
 救急医の若い男たちは、救助の手を休め、貝沼の話を聞いている。
「貝ちゃん、それ、本当? だったら俺ら、やばいよ!」
 不知火からも、救急医からも、大きく距離を取って、ビクつく羽深。
「そうなんだよ、やばいんだよこの救助者は。さあどうだい敷島レナ、あんたはテレビに出るくらい有名な探偵だ。幇助罪なんて今まで聞いた事もありません、なんて通用しないよ」
 貝沼から説明を求められ、敷島、その表情に変化がないように思われる。
「敷島、どうなんだ敷島」
 わたくしに横面を見られながら、静かにその口はひらいた。
「貝沼さん、よく、御存じで。もちろん、幇助という刑法は知っています。あなたのおっしゃる通り、不知火忍の犯行を知りながら、彼女が容疑者である事を承知の上、警察署へ通報する事なく、非正規のルートで彼女を病院へ搬送する事は、刑法六十二条の幇助罪に該当する」
「やっぱり俺たち犯罪者になるのか。その罪、重いのか?」
 ちらりと横目を使って、わたくしの質問に頭を掻く。
「判決の内容にもよるが、不知火の正犯の罪、それを半分に減軽した刑が課せられる」
 それを聞いてわたくし、まゆ毛がねじ曲がるほど驚いて、
「犯罪史上最大の殺人罪の半分⁉ 敷島、それは本当か! なんでそんな大事な事を今まで黙っていたんだ!」
 興奮したわたくしの声が、高い雪山に反響して、空しい木霊と化した。沈黙の敷島、誰もが口を開くのをためらっている。そんな中、ピンクのスノーボードウェアを着た、美咲が、ペンションのドアから顔を出して、キョロキョロしながら、不思議そうな様子で表へ出て来た。
 美咲の姿に一瞥くわえて、それから貝沼は顔を戻して、
「あんた、あたしらが何も知らない素人だと思って、馬鹿にして、犯罪者の幇助に利用したんだろう?」
「どうなんだ敷島、君は俺たちを」
 周囲の視線を集めて、はあ、と溜め息ひとつ、敷島、ぼりぼりと頭を掻いて、
「みんな、少し落ち着いてくれないか? 冷静になって、一回立ち止まって考えてくれ。君たちは、不知火逃亡の幇助罪には当たらない。いくら彼女が殺人事件の容疑者だとは言え、人命救助が最優先だ。彼女の容態、今は安定しているものの、予断は許さない状況であるから、これから搬送される先が、救急救命であれば、なおのこと我々は急がねばならない。もう一度言う、君たちは罪に問われない。しかしそれには、不知火の素性について何ひとつ知らないという条件付きではあった」
 それを聞いてわたくし、両手で頭を抱えた。
「言っちゃったよ! そんなの知らないんだから、大声でみんなに言っちゃった。どうするんだよ、もう! あ? そうだ、今ならまだ間に合う、ペンションには加藤刑事が泊まっている、今から彼を呼んで来よう。警察に通報する形で、不知火に刑事が同行すれば、不知火の搬送には問題ないんだろう?」
「それはダメだ」と敷島、あせりの色を窺わせて、
「それはダメなのだ。これ以上のトラブルは、ごめんだ。警察に通報した事によって、この場に警官が押し寄せでもしたら、どうだ宗村、一年半前に起きた九頭竜会での殺戮、あれを思い出してくれ。せっかくメルトダウンという最悪のシナリオが回避され、この土地に住む多くの人びとの人命が救われた所を、軽率にも、力の差を考えずに、悪魔の化身である不知火に対して、警察の機動力が発動すれば、この白い雪は鮮血に染まる。もう一度言う、これ以上のトラブルはごめんだ」
 二、三メートル先にいる、不知火。青白い顔をして、いかにも虫の息。その状態を武士で例えるならば、刀を鞘に納めて〝参った〟の姿勢。しかしそこからでも、はやぶさのような速さで抜刀、鍔鳴りの音だけで、後は死体がゴロゴロ、そんな居合い抜きの間合いにいるような、恐怖を感じた。
 ガリガリと氷を踏んで、こちらに背中をむけて、敷島、
「それに、だ。不知火は祠の奥で死んだ事にしなければならない。明日から始まる、原子力規制委員会による立ち入り調査で、そこで調査員たちは不破巽、上月加世の遺体を発見する。しかし不知火の遺体だけは最後まで発見されない。祠の奥に広がる核輸出の工場、その物陰を隅々にまで、捜して歩くことの困難な環境、非常に高い放射線量の中で、行方不明の女性の生存する可能性はゼロに等しい。状況証拠からして、不知火忍の認定死亡が確認される事になる」
 それを聞いて貝沼、そら見た事かと語気を強めて、
「やっぱりそうだ。あんたは、悪い連中の手引きを受けているんだ。そこに座っている、訳ありの女を逃がす為、二心ありってやつさ。みんな、敷島レナこそ、幇助罪に問われるべき浅ましい女だよ。あんたは曲がりなりにも探偵として飯を食っているんだ、犯人を特定して警察へ通報し、被害者の無念を晴らすという信念はないのか」
 ビシッと人差し指を突き付けられて、敷島、相手から言い負かされた形。
「こんな所に、社会正義が混ざっていたとは」と、苦々しい表情を見せて、
「しかしまあ、聞いてくれ。不知火は今や瀕死の状態で、識別救急、トリアージ・タッグで言えば、赤の救護者だ。殺人の容疑者にせよ、今はとにかく緊急な治療が必要。安心してもらいたい、そっとしておけば、彼女は誰にも手出しはしない、安全だ。人を傷つける恐れはない」
「ダメだね」といって貝沼、一般業務用の携帯型無線機を手に、
「あたしは警察に通報する。このまま殺人容疑の女を逃亡させて、新たな被害者が出たら、あんたどう責任取るんだい? あたしは責任が取れない。だから通報する」
 敷島は渋い表情を見せた。警察に通報した所で、不知火の検挙は事実上不可能、それどころか、下手をすれば、想像以上の殉職者が出る。加藤刑事だって、無茶をして死んでしまうかも知れない。まずい展開。そもそもわたくしが不知火の素性を口にした事に端を発しているのだから、少なからず責任は感じている所であるが、しかしこのままでは幇助罪という犯罪に問われるというのも、考えものだ。貝沼の言い分も分かる。
 美咲がすぐ後ろまで来て、こっそりわたくしの袖をひっぱった。
「何かあったんですか?」
 こちらへ頭を近づけて、人目をはばかってのヒソヒソ声。その質問に対して、一から説明するのもややこしくて、わたくしは口をとがらせたまま、困り顔だけ見せた。
 黙々と、無線機のプログラムキーをいじっている貝沼、成す術なく見守る周囲、そこへ突然、羽深の悲鳴があがった。
「お、おい、みんな逃げろ! こいつ、やばいモノを持っているぞ!」
 身の危険を感じて、よろけて逃げる羽深、その先には、やっと立ち上がった不知火の姿、手にはベレッタが握られていて、銃口は貝沼に向けられている。
「もういい、さっきからごちゃごちゃとうるさい。そこのあなた、やめた方がいい。命が欲しかったら、無線機を下へ置きなさい。そう、そうして、そのまま後ろへ下がりなさい」
 銃口を見た貝沼、先程までの使命感は、しぼんだ風船のように、消えて、素直に相手の指示に従った。その様子を見届けてから、不知火、次に敷島の方へ顔を向けて、
「敷島レナ、あなた、さっきから話が長い。もうたくさん、ご苦労だった。宗村さん、あなたもここまで。お二人とも、下がっていなさい。用は済んだのだから、命だけは助けてあげる」と不知火、突然ふらっと来て、後ろのスノーモービルにつかまる。
「いい事を教えてあげる。あなたたちは、幇助罪には当たらない。なんたって、全てはわたしに脅迫されてやったこと。ここまでの逃亡の手助け、それは容疑者から銃口を突きつけられて、無理矢理やらされた。逃走中の犯人から、おどされて、結果的に手助けをしてしまった場合は、それ以外に選択肢がなかった場合は、幇助罪もクソもない。そうでしょう? さあみんな、そこから動かないこと。なんたってわたしは、血も涙もない凶悪な暗殺者、逆らった命の保証はない」
 敷島の表情が変わった。わなわなとこぶしを握って、ぎりぎりと奥歯をかんだ。
「不知火、きさまってやつは、俺たち関係者を威嚇するならまだしも、一般人に、しかも助けてもらったパトロール隊にまで銃口を向けるとは、この恥知らずめ。ここにいる人たちは無関係だ。誰一人として傷つける事はこの俺が許さん。みなさん、ここは彼女の言う通りにするのです。こいつ、人の皮をかぶった悪魔です。こうなっては仕方がありません」
 こっそり、こちらにウインクを見せる、敷島。ぽかんとしていたわたくしは、あーと我に返って、それに負けない勢いで、
「そうだ不知火、俺のありがたい助言によって、窮地を脱したというのに、恩を仇で返すような真似をしやがって、今に見ていろ、天罰が下るぞ」
 言ってしまってから、わたくし、少々演技が過ぎた感じがあって、大至急口を閉ざした。不知火は笑みをこぼして、長い髪を掻き上げた。
「天罰か。そうだな、いつかはどこかで下るのだろう。しかし、わたしには命よりも大切な使命がある。いつ下るか分かったものではない、天罰など、構っている暇はない」
 そこで不知火、改めてわたくしの方へ体を向けて、
「そう言えば宗村さん、スキー場での衝突事故の時、火事場で偶然遭遇したのもそう、妙にわたしたち、縁があるようね。あなたは早くその縁を切りたがっているけど、残念、どうやらその因縁はまだまだ続きそう。これで終わったと思わないように」
「え」
 わたくしの眉がぎゅっと寄った。どういう意味だ?
「さあ斎様、こんな所に長居は無用です。参りましょう」
 合図を受けた救命医、急いでメインストレッチャーの準備に取り掛かる。斎は不知火の前に立って、我われと、貝沼たちに向かって、深々とお辞儀を見せた。あれよあれよとストレッチャーの上に不知火が乗せられて、救急車の傷病者室へ運ばれる。連れ添う形で、斎も車内へ乗り込もうとして、その背中が止まった。
「敷島様、先程のお話には、一つだけ訂正がございます」
「? なんだ」
 意外なあまり、敷島は驚いた顔を上げた。
「御母様がワームホールを創造なさって、わたしの霊魂を一年半後の世界へ送り込んだ、その理由を、敷島様は、御母様の保身のため、キメラの宝木によって、霊魂の移し替えを行って、延命のためと申しました」
「そうだ。それ以外に考えられない」
 明るい傷病者室の中、救急医たちがME機器ラックへ手を伸ばす。
「そこには一つ、訂正がございます」
 斎は去り際にふり返って、話し相手の敷島ではなく、どうしてかわたくしの顔を見た。
「ワームホールが創造される前夜、わたしが自刃するもっと以前に、御母様はこうおっしゃいました。これからあなたは一年半後の未来へ向かいます。そこであなたは、運命の人、未来の夫に会って来なさい、と」
「は?」
 頭の中が真っ白になった。
「一年半後の世界には、椎名美咲という女性が行方不明となっていて、その人を探して困っている男性がいます。宗村賢治というお方です。それをあなたは全力でサポートしなさい。そのお方とは、あなたの未来の夫です」
「ちょ、ちょっと」
「あなたは一度、その肉体を失って、暗くてさみしい時を過ごすかも知れません。しかし今から一年半後に、あなたは未来の夫と再会するのです。こう御母様はおっしゃって、やさしくわたしの髪を撫でて下さいました。
 ですからワームホールが創造されたのには、御母様の延命と、わたしが未来の夫を助けるという、二つの目的があったのです」
 斎の言動に迷いはなかった。気持ちいいくらい、明快で、自然に言葉が出ていた。もしも間違っていたらどうしよう、恥ずかしい事になる、などと心配する気配がまるでなかった。
「ちょっと待ってくれ、待ってくれ」
 右の手のひらを突き出して、わたくし、居ても立っても居られず、
「未来の夫って、どういう意味だ」
 晴れやかに笑う、斎。
「どうもこうも、そういう事です。わたしとおじさんは、いつかは結婚する、そういう意味です」
「宗村、女難の相が出ているぞ」
 横から敷島が茶々を入れる。
「やかましい。あずさといい、りお、じゃなかった、斎といい、君たち姉妹は一体どうなっているんだ。俺は宗村賢治であって、太古秀勝ではない。ただ顔が似ているというだけで、全くの別人だ」
「斎?」と美咲、すぐに反応して、こんがらがった頭でこちらを見る。そうか、キメラの宝木を知らない美咲は、目の前の斎があずさにしか見えないのだ。
「御母様ははっきりと、おじさんの名前を口にしました。太古秀勝さんではありません。おじさんは、宗村賢治さんですよね?」
「そうだけど、そうじゃない。いくら母親の言う事が絶対だったとは言え、会った事もない男を夫として迎えるだなんて、ひどい話だし、いったい君の結婚観はどうなっているのだ」
 敷島が間に割って入った。
「横からすまない、宗村。前に話しただろう、斎は、晦冥会で絶対的な存在であった不破昂佑から、義理の兄、巽との縁談を言い渡された。これは晦冥会の未来を左右する重大な決断だった。しかし彼女はその縁談をきっぱり断っている。斎は、巽を結婚相手に考えなかった。巽の人間性を見て、嫌で、絶対的なちからに歯向かった。そこから考えても、斎の結婚観は案外しっかりしている」
「そんなこと言われたって、あ、そうだ」とわたくし、いい事を思いついて、
「俺は美咲と付き合っている。結婚を前提にな」
 思い切って、美咲の肩を抱いて、そのまま二人の体を密着させる。
「はじめて君と会った時、あのとき君は、美咲の事を俺の恋人として呼んで、それを救いたくないかと透視を持ち掛けて来たじゃないか。君は俺と美咲を恋人として認めている。違うか?」
 斎は平気な顔をして、
「認めていますとも」
「え、認めているって、なんで?」
 拍子抜けして、脱力したわたくし、その隙をついて美咲は、相手の横っ腹に肘鉄をくらわせる。けっこう、痛い。
「御母様は、なにも今すぐの話とはおっしゃっておりません。御母様は、わたしの未来の夫は、おじさんだと、こう明言したに過ぎません。ですから、いつかはその時が来ると言うのです」
 敷島は下を向いて、くすりと笑った。
「それにおじさん、お二人は本当にお付き合いなさっているのでしょうか? わたしには、とてもそのようには見えませんが。お仕事の関係上、ああごめんなさい、余計な事を申しまして」
「斎、宗村、もうその辺にしておけ。今日の所は、このへんにしておこうじゃないか」
 救急医の一人が走って、斎に耳打ちをして、不知火の方を指さした。斎は目を大きくして、何度もうなずいた。
「すいません、皆さん、それではわたしたち、これにて失礼いたします。敷島様、今回は本当にありがとうございました。御母様に代わって、深くお礼を申し上げます。
 おじさん、ではまた。このさき、何か困った事があったり、身の危険を感じたら、迷わずわたしを呼んで下さい。わたし、いついかなる時でも、おじさんと繋がれるよう、心の準備をしております。いつでも。それでは」
「お、おい」
 救急医に手を借りて、傷病者室に乗り込む斎、二人掛けのサイドシートに座った所で、跳ね上げ式のバックドアが閉じた。
 晦冥会の救急車が走り去って、赤いテールランプの明滅を眺めながら、敷島、ゆっくりと大きく腕を組んで、
「各地の信者たちは、斎を一目見ただけで、ひれ伏して、拝んで、涙を流した。信者たちから絶大に寵愛されていたのは、不破斎、ただ一人だった。晦冥会の次の統主は、不破昂佑の生き写しのようなお方、実の娘である斎だと、誰もが疑わず、拍手喝采がわき起こった。そんなエクレクトスとさえ呼ばれた斎だが、彼女も一人の女として成長していた、という事だな。なんたって、恋のライバルに、しっかりと宣戦布告をして帰って行ったのだから。物腰は柔らかいが、競争心むき出しだ。女ってのは、いやはや怖い生き物だ」
 それを聞いてわたくし、なんとなく隣にいる美咲の横顔を見た。彼女は綺麗な二重まぶたを上げて、いつまでも救急車が走り去った後を見つめていた。
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