東京、雨降りしきる廃都

服部ユタカ

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七.揺らぎの中で

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   七.揺らぎの中で

「君が追放されてから、しばらく僕らは行動を制限されてね。担当クリーナーが反逆行為によってそうなったのなら、当然のことなんだけど。それで、僕らはアイザワの協力があってホームを脱出してきたんだ。あのままホームに留まってもできることはなかっただろうから」

 ナガレが焚き火の向こうで、あぐらをかいたままレイジに伝えた。脚の間に包まるソラを撫でながら、言葉を続ける。

「それなら、と思って君を追ってきたんだ。なんとかソラが君と合流できてよかったよ。おかげで居場所が特定できた」

 ハセクラとの邂逅の後、夜明けを車内で迎えた一行は渋谷区を離れ、隣接する港区で、海辺の建造物の中へと身を寄せていた。海面が上昇したことに加え、長年の雨によって埋め立てられた地面が緩くなっていたこともあり、周辺には人間が寄り付かなくなった地域の一つだ。

 レイジは東京に到着してからの顛末を話した。しかし、そこで覚えた感情についてまでは省き、当然のように、つい先日死亡したガーデンの女については伏せていた。

「カルミアを始めとして、大規模な徒党を組んでいる連中がいたなんてね。僕らがホームに籠っている間に東京は未知の土地になっていたということか」

「でもよう、考えてみたら自然だろ? 東京で生き抜くってなァ一人じゃあ相当厳しいぜ? オレっちらがホームで知らされてねえだけで、集団形成するのは、当たり前だと思うんだがなァ」

 ニカイドウが缶詰のスープからスプーンを抜き取り、それで横に座るナガレを指しながら言った。

「情報が検閲されている辺りが、いよいよもって問題になってくるね」

「情報統制、ということか。だが、俺の記憶素子をホームに帰投直前にチェックしているのは、ナガレ、お前のはずだ」

「ふむ? すっと、秘密裏にオレっちらが情報抜き取るより先に、誰かが手を加えてるってか?」

 ニカイドウがスプーンを咥え、思案げな表情を作った。


 レイジは今までにガーデンの人間たちを、かような大規模な集団として認識している可能性があった。しかし、クリーナーはホーム帰投時に情報提出が義務付けられている。その時、あるいはそれ以前に記憶素子に干渉され、記録された情報ごと記憶が書き換えられているとしたら。そして、それを本人たちが認識できず、真実は隠されているものだとしたら、どうなるか。

 集団を形成して生き抜こうとする人間たちに限らず、東京内で遭遇した巨大生物にしたって、レイジたちクリーナーは初めて目にしたわけではないのかもしれない。明らかな脅威に対して、その対策を講じられなくなるような処置を行う時点で、クリーナーたちには不都合しかない。

 この恐ろしい推論に対して、レイジは組んだ手の内側に小さく言葉を吐く。

「俺たちは、何を守っていることになるんだ」

「そこだよレイジ。僕もさっきからそこが気になっていた。もしも、記憶の改竄が行われているのであれば、ホームは人間を守る気がないことになる」

「少なくとも、俺たちのような人間は駒の一つでしかないようだ」

 ニカイドウが忌々しげに空のスープ缶をスプーンで打ち、忙しないリズムを刻む。

「マジで気に食わねェなァ。こういうのはよう。統括区か? 賢人脳会か? どいつがこんな気味悪ィことしてんだ?」

 そのリズムをナガレがスープ缶を取り上げることで止めると、空き缶を地面に置いた。そして、いいかい、と言ってから話を始めた。

「整理しよう。この缶が統括区で、同心円内をホームとする。賢人脳会あるいは何らかの組織Xがこれを管理している。そうだね、それで、こっちの瓦礫の破片を東京としよう。ここには物資が運び込まれていた」

「そう、それは統括区の輸送車両が行なっていた」

「オーケイ、物資はホームから東京へ。この線で考えると、クリーナーがgarbageを狩る理由はなんだい?」

「待て待てナガレの兄さん、犯罪者の取り締まりや処理じゃねェとすると、そもそも追放が何の意味を持つってんだ?」

「いい質問だ」

 ナガレはそう答えながら、直方体に近い石を拾い上げ横に倒すと、上にさらに小さな石を乗せると「僕の推察では人員の補充、ってことになる」と続けた。

 レイジが、合点が行った、というように視線を緩やかに上げる。ちょうど、ナガレが人に見立てた小石を乗せた石を『東京』周辺に置くところだった。

「すると、クリーナーがしていたのは人口の調整ではなく、選別か?」

「調整していたとしても、対象人口はホームの方じゃない。きっと、メインは東京側の方だ」

 ソラをかたわらに退かせると、ナガレがその辺りに転がっていた細く短い鉄筋を一本持ち上げ、二度、『東京』を叩く。硬質な音を受けて、ニカイドウがしかめ面を作り、腕を組んだ。

「兄さんの言葉に戻るとよう、garbageを狩る理由が余計に分からなくねェか。選別っつって、何のためにやんだァ?」

 ナガレが軽く握った手を口元に当てながら思案する。

「ここは、何らかの大規模な実験場なんじゃないかと、僕は思うんだ」

「一体、何のための」

「例えば集団心理の実験。極限の状況下で、人が何をし、どうやって生き抜いていくかのシミュレーションってことが考えられる」

 つまり、そのための選別。

「必要な人間だけふるいにかける。対象はここで生き抜けるだけの技術や行動力、あるいは暴力性を持った者たちだけ、ってとこじゃないかな」

 話を進めていくうちに、他にもいくつかの発想が出た。

 例えば、軍事的な実験場。東京都を舞台として、人間たちの闘争をモニタリング、そのデータを取ること。それを国外へ輸出し、乏しい資源しか持たない日本国の再建を目指す統括区の財源とすること。

 例えば、一種の権力者層の娯楽施設。有毒雨に汚染された街並み自体を楽しむ人間がいても、この狂った世の中にあっては不思議ではない。そこには人間がいた方が面白いと考える層がいるのではないか。

 例えば、上述の二つを併せた賭博場。そのような考え方をすること自体が吐き気を催すものだったが、それを裏付けるような存在が東京を闊歩していた。ガーデンの女たちが怪物と呼んでいた巨大生物だ。

「怪物が東京に放り込まれた生物兵器で、それをいかにして殺すか、という賭けが行われている。そういう仮説か?」

「うん。ハセクラの部屋にあったモニタは鑑賞、または管理のための物であったとも考えられる」

「旧い映画の影響は多分に含まれってけどよ、否定する材料は少ねェわな」

 それからも議論は続いた。昼頃になるまで、一行は銘々の持論を展開した。その会話の中で、レイジは視界の拡張現実にノイズが走っていることに気付いた。始めは障害物の輪郭線を強調するソフトウェアの不具合に見えた。しかし、次第に何かが入り込んでいるようにも見えてくる。

 記憶素子のバッテリは生体電気を流用している。故に、電力切れによる出力の低下などは考えられない。ならばこれは何か、という疑問がレイジの胸中に浮かぶ。おかしな症状だ。

『──それ以上はやめて──』

 不意に聴覚情報が刺激されてレイジは声を上げた。

「なんだって?」

「え?」

「は?」

 二人の反応に、レイジは聴こえた音声の出所が現実ではないことに行き当たる。彼は額に手を当て、深く呼吸してから、顔を手で拭った。知らず、ひどい汗をかいている。

「すまない、何かが、おかしいんだ。ハセクラの時も、おかしかった……」

 ニカイドウとナガレが顔を見合わせ、そして、レイジへと視線を戻した。

「確かに、君から『すまない』なんて聞くのは初めてかもしれないね」

「だけじゃあねェよ。なーんかレイジっぽくねェわな。もっとお前はこう、『んなことどうでもいいからエマ助ける算段をしろ』ぐらい言いそうだと思ってたんだよ」

 らしくない、との言葉に、レイジ自身もそう考えていた。まるで、自分が自分でないような感覚。手足の先が鈍く、体が怠い。視野も一つ後ろにずれが生じたかのように、現実味がない。すぐさま、記憶素子の心理学データベースが『離人感』というワードを呼び出し、その症状を視覚情報に表示した。レイジはそれを非表示にし、頭を振る。

 思えば、ハセクラの時より前から変調はきたしていた。以前のように他者に無関心でいられなくなった。目的意識のみで動くことができなくなった。頭から離れない光景ができた。思いがけない執着が生まれた。これらの状態はレイジが今までに陥ったことのないものだった。少なくとも、ホームでクリーナーとなってからは。

 彼にとっての第一義はエマを救い出し、その肉体に宿った呪縛を解くことだけだった。ハセクラの記憶情報を持ち帰り、研究機関に再生臓器の複製を作らせ、その上でエマの体内のそれを無力化すること。その計画だけが彼を突き動かしていた。

 だが、彼は廃都東京において、捨ててきたはずの感傷、あるいは感情を取り戻そうとしているように感じていた。

「レイジ、君は疲れているのかもしれない。追放されてからこっち、ガーデンにいたとは言え、まともに休んではいないんじゃないのか? 動体センサーはいくつか設置しておくから、少し寝ておくといい」

「んだな。これからの方針については後ほど、ってな。車ン中に毛布やら持ってきてっから使っとけ使っとけ」

 ニカイドウに背中を押され、装甲車両へと促されるレイジだったが、足取りは重かった。考えることを止めない脳の働く速度は増す一方だというのに。

 そして、レイジは記憶の中の一言に思考は行き着いた。ハセクラが最後に放ったあの言葉だ。

 首を少し振り向かせながら、レイジは問いかける。

「ナガレ、『ナンバー・ゼロツー』という言葉に何か心当たりはないか。ハセクラが最後に俺のことをそう呼んだ」

「ナンバー・ゼロツー……? 僕は何も……いや、ちょっと待ってくれ。どこかで何度か気にした覚えが……」

 記憶を辿るナガレの眉根が寄る。

「あれじゃあねェか? レイジの記憶素子情報にちょこちょこ出てくる識別番号みてェなやつ」

「それだ!」

「俺の記憶素子に?」

 ついに体を向き直らせ、レイジは珍しく強く声を上げた。

「そうそう、それだよ! 君の知覚した情報は一度暗号化されているんだけど、それを僕らで抜き取る時、一部の情報に02が末尾に含まれる文字列が入り込んでいた!」

「どうして今まで黙っていたんだ」

「……? 何度か話題に上げたはずだけど……。まあいい。とにかく、ちょっと確認してみよう。ソラ、おいで。レイジ、君は首の端子を開けてくれるかい」

 ソラの尾から引き出した電極に、記憶素子直結用のアダプタを装着すると、ナガレはレイジの首筋にそれを挿し込んだ。レイジがいつものぞくりとする感覚を殊更強く感じていると、視覚情報のノイズが激しく踊った。

 不快感に見舞われながらも耐えていると、ソラの投影したホロスクリーンを参照するナガレが、なんだこれは、と口走る。

「なな、なん、なんだ、ナガ、レレレ」

 言語野がおかしくなった、とレイジは感じた。次いで、瞬きをすると壁が眼前に迫っていた。がつ、と鈍い音と共に額に冷たく硬い感触が押し付けられる。

 壁が迫ってきた? いや、違う。自らが地面に倒れ込んだのだ。平行感覚がなく、自分が今どのような体勢にあるかが掴めない。

「ウィルス!? ニカイドウ、こっちに来て処理を手伝ってくれ! ソラもだ! このままだと脳が焼け付く!」

 耳だけは冴えていた。ニカイドウが慌ただしく、バックパックから折り畳みキーボードを取り出した音がする。ナガレがホロスクリーン上のキーボードを操作する音と、非常にアナログなニカイドウのそれが重なり、遠く聴こえる雨音の中で響く。

「おい兄さん、こりゃウィルスじゃねえぞ!」

「自壊プログラムか!?」

「オレっちがバックアップ取るから、兄さんは根っこ掴んでくれ!」

 がしゃがしゃ、とニカイドウが乱暴にキーボードを叩く音が一際大きく届く。

 レイジは頭蓋骨の中に過剰な電気刺激を感じていた。眼球の奥にはじわりとした熱を持ち、双眸は見開かれてこそいたが、全く一定の像を結ばずにいる。それでも、記憶素子の情報は狂ったように文字列を浮かべては視覚情報の濁流を起こす。

 それは全く筋道の整っていない内容であり自身が自身であることを失っていくような感覚を起こし彼は眼を瞑りたいとさえ思ったが叶わず体験したことのない頭痛とともにあれは誰だろうか誰か見覚えのない人間が鏡に映っているこれは誰だ誰だ誰だ一体何が起きている拳で鏡を殴りつけるとひび割れた鏡面には自分が同じように拳を突き出していてこんなのは自分ではない「全てを捨てて受け入れろ」誰だお前は「君はもはや君ではない」ふざけるな何を言っている「ナンバー・ゼロツー、君は今からナンバー・ゼロツーだ」何を言っている

「だ、だだだだ、誰だ、おお、お、まえ、は!」

 絶叫。

「くっそ、間に合わねェ! 人格保護優先でやんぞ!」

「ソラ! 君も自分のプログラムに防壁を張るんだ! バックアップごと破壊される!」

「レイジおめェこんなんで死ぬんじゃあねェぞ!」

「レイジ! レイ──」

 ぶつり、とレイジの意識が途絶えた。


 応答を待っています。
 応答を待っています。

 記憶素子の不正なアクセスによりアポトーシスプログラムを起動してソフトウェアを終了しました。
 再起動するにはなんらかのコマンドを入力してください。

 ──Wake up. 

 入力を確認しました。

 再起動を開始します。

 応答を待っています。
 応答を待っています。

 再起動まで三百六十秒。

 再起動まで百十秒。

 再起動まで八秒。

 おはようございますナンバー・ゼロツー。
 初期設定を行います。 

 ユーザーネームを入力してください。

 ──?

 不正な入力です。 

 ──My name is…?

 不正な入力です。 

 ──rage.

 入力を確認しました。 

 ユーザーネーム“rage”を登録します。 

 よろしければyesを。再入力の際はnoを。 

 ──yes. 

 Hello rage. 


「レイジ、レイジ。起きてくれ」

「マジにこれで大丈夫なのか?」

「これしかないんだ、今の環境ではこうするしか……」

「しかし、全く動かねェぞ」

「だったらどうしたらよかったって言うんだ!」

「おっとっと、怒鳴るなよ兄さん!」

「ご、ごめん。ちょっと僕も疲れてしまったようだ……」

「しばらくかかりそうだしコーヒーでも淹れようぜ。この倉庫の中にアホほどきっちり密閉されたコーヒー豆の缶があったんだよ」 

「はは……いつの間にそんなもの見つけていたんだい?」

「ここに来てからすぐに周辺漁ったじゃあねェか。あん時だあん時」

「僕の分は濃いめに淹れてくれるかい?」 

「おうよ」

『毒入りか』

「違うよレイジ、今回はちゃんと……」

『それなら安心だ』

「レッ、レイジ!? 僕が分かるかい!?」

『ニカイドウ、ナガレは頭でも打ったのか』

「バッ、てめ! どうかしてんのはおめェだレイジ!」

『まだ本調子とは言い難いがな。それで、お前たちはいつまで俺を見下ろしているつもりなんだ。体が上手く動かせない。手を貸してくれ』

「……」

「……」

「レイジ、驚かないでくれよ」

『何をだ』

「君、既に起き上がっているんだよ」

『それは驚きだ。二人とも見ない間によく成長したな』 

「違う、その……」

「レイジ、いいか、落ち着いて見んだぞ。ほれ、鏡だ」

『ソラがどうしたんだ』

「その、これが今の君の体なんだ。君は今、ソラの体に、人格を移し替えてあるんだよ」
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