東京、雨降りしきる廃都

服部ユタカ

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十五.火の手は上がった

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   十五.火の手は上がった

 ホームへの道中、高速道路は乗り捨てられた車両に塞がれてしまっている。レイジが過去に東京出征でそうしていたように、夜闇の中でインターチェンジを下り、下道の海岸線沿いを行く道を選んだ。

「ここまでで新たな検問とかってのはねェな」

「俺たちが脱出できると踏んでいなかったのか、それとも誘われているか、だ」

「あー、私どうしたら……。ホームにも居場所ないし、永遠の命ってのもきっと嘘だろうし……。」

「あんた、まだそんなことうじうじ悩んでるとは本当に呑気だね。ここからが正念場なんだよ」

「リュウコ、その人、下ろしてあげたらどうかな? 戦力としては多少なり役に立つだろうけど、あんまり気乗りがしないんだ」

 カルミアが、それはできない、と却下した。

「乗り掛かった船は片道切符だ。それに、万一あたしたちが失敗したら、ここで下ろしてた方が酷だって思うような状態が生まれるよ。それを止めに行くんだ。無関係じゃない」 

 レイジが後を続ける。

「随分とスケールの大きな話だが、人類の危機というやつだからな」

 もしも、レイジたちがアイザワを討つことができず、賢人脳会もそのまま機能するとすれば、ホームはネームレスの製造工場となる。ハセクラの考案した擬似クローン技術、そして記憶素子埋設が済んでしまえば、人類は他者を傷付けることに全くの疑問を持たない、原始的な生物となるかもしれない。そこから始まる新たな創世記は、血に濡れた悲惨なものとなるだろう。

 老いを知らない暴力装置としての新人類、傷を恐れぬ無敵の兵士。他国がこの国を大規模な爆破でもしなければ止められない事態だ。新人類たるネームレスに戦略的な思考が埋め込まれたとしたら、ただでやられはしないだろう。あらゆる手段で、世界全土へと侵攻する可能性がある。

 それに、たとえネームレスが死んでも、然るべき処置さえ施してあれば擬似クローンとして一定の記憶は引き継がれる。戦闘記録から、いかにすれば死なないか、いかにすれば効率的に敵を殺せるか、という技術の濃縮が生じる。それを断つには、今しかない。

「箱根が見えてきたな」

 海岸線沿いの、荒れた路面を小さく跳ねた装甲車両内で、レイジが言った。

「レイジ、まずはエマの確保が優先でいいんだね?」

 ナガレの言葉に、レイジは頷く。

「おそらくアイザワも彼女を隠すことを優先しているだろう。だが、再生の要であるエマを奪還しないことには、俺たちも戦えない」

「もしも手ェ出せねェとこに隠されてたらどうすんだ?」

「プランBは手早く賢人脳会とアイザワを討ち果たすことだ。それも、出来る限り同時に」

 賢人脳会はおそらくアイザワによる擬似クローンの脳髄集合体だ。つまり一方がもう一方のバックアップとなる可能性がある。賢人脳会は記憶素子とホーム内のイントラネットに密接に絡んでいる。そうとなれば、ニカイドウとナガレ、またソラによるハッキングが物を言うだろう。

「音声通信もホーム内なら無制限にできっかんな。フリーWi‐Fi様々だ」

「いや、出来る限り内部の電波は使わない。傍受と情報改竄の恐れがある」

「ならどうするっていうんだい? レイジ」

「信号弾はあるな、カルミア」 

 カルミアがにわかに驚きを見せる。

「狼煙で合図ってかい。伝書鳩よりさらに古風じゃないか」

 しかし、カルミアは反対の言葉を口にしなかった。

 装甲車両は箱根の裾野へと到達していた。相変わらず、敵影はない。立ち枯れた木々の中を走破していく車輪が、朽ちた倒木を踏み砕く。

 そして、ついに明け方、装甲車両はホーム入り口の門を臨む広場に停車する。

「ゲートが開いてる……?」

 ナガレが目を細め、慎重に様子を窺った。本来ならば、ホームは外界の汚染物質を持ち込ませないよう、何重にもロックがかけられており、大口を開けて来訪者を歓迎することなどない。だからこそ、レイジは確信した。 

「アイザワからの招待だ。お招きに預かろう」

 装甲車両をゲート内部の駐車スペースに格納すると、レイジは生体認証システムが起動していないことに気付いた。そして、除染シャワーも稼働していない。唯一、最奥のエレベータだけがインジケータを点滅させている。

「乗れ、ということだな」

「こんな見え見えの罠に飛び込むしかないなんて、ホント、たまんないね」

「たまらないのは私ですよう……。もうほっといて逃げません? きっと私たちが生きている間にはネームレスもそこまで増えませんって……」

 カルミアが多層防護マスクのまま、スバルに顔を近付け、片手で両頬を掴んだ。

「ガーデンはこれからの世界に生きるんだ。今が良ければそれで良いだなんて理屈で動いてこなかったことは?」

「し、知ってましゅ……すみません……」

「行くぞ、カルミア」

 レイジはニカイドウ、ナガレ、ソラと既にエレベータに搭乗済みだった。

 ふん、とカルミアがスバルの顔を軽く叩くように手を離すと、彼女は泣き面で後を追ってきた。

 エレベータがジオフロント内に降りる途中、ホーム内に火災が散見された。特にひどいのは居住区だ。しかも、レイジの記憶に誤りがなければ、そこは老人たちが住まう区域。低級の再生臓器抽出物を定期的に投与されていた人間たちの居住地区だった。

「初めて見る憧れのホームが、こんなとんでもない場所だったとはね」

 皮肉気に、カルミアが呟いた。点のように見える人間たちが、それよりも少しだけ大きな“何か”を恐れて逃げ惑っている。耳を澄ませば、実弾銃がスタッカートを刻む音も聞こえてきた。

「転化が始まっている……! レイジ、事態は一刻を争う!」

 ナガレが窓ガラスに両手を突きながら振り返る。

「このエレベータが降り切るまで、俺たちにできるのは俯瞰している今の光景を目に焼き付けておくことだけだ。それと、そうだな。ニカイドウ」

「んお?」

「最後に残った食糧は持ってきているか」 

「カロリーブロックならあんぜ」

 一本で二百キロカロリーが摂取できる緊急用糧食を全員に一本ずつ分配すると、ニカイドウは、この状況下で、にしし、と笑った。

「最後の朝飯にならねェよう、踏ん張ろうや」

「これでは味気ないからな」

 ボトルに残された水を回し飲みして、面々が口を軽く湿らせた。

「もうじき医療区に着く。もし俺がアイザワなら、そこに一旦は身を現すはずだ」

 ジオフロント底部まであと一分とかからないというところで、レイジは言う。

「どうしてそんなことを?」とカルミア。

「ヤツの性格だ」

 医療区の周辺には住民が殺到していたが、クリーナーたちの使う出入り口は空いていた。そこへ、彼らは駆ける。レイジの生体情報は破棄されていたため、スバルの掌紋と虹彩を使い、スライドドアを開けさせた。

『クリーナー:スバルの帰投を確認。これより記録のコピーを行います』

 いつものようにシンプルなロボットが対応したが、その横にいた人物が手で制した。

「そんなことはもう必要ないよ。さあ、お帰りなさい、だね。レイジくん」

「アイザワ……!」

 両腕を広げて笑顔を作るアイザワは、ホロスクリーンに投影された映像だ。しかし、それに気付いてもレイジは冷静さを保っているとは言い難かった。

「わたしがここで待っていたことは意外だったかな? 以前も言ったね。サプラーイズ。驚きが人生を彩り豊かにするものさ。どうだったね、旅は。わたしのオリジナルは殺せたかな?」

 全てを知っているかのようにアイザワは言う。

「いや、分かっているんだ。すまないね、レイジくん。君を上手く利用させてもらったことには陳謝するよ。悪かったと思っているよ。本当だ」

「ならその首を切って死ね!」

 カルミアが噛みつく。 

「君はカルミアだね? 記録ではかねがね。たくさんの駒を殺してくれたことは驚きだったよ。あんな土地で、あんな貧弱な装備でね」

 駒、と発言したことがスバルの感情を刺激した。

「私たちが駒だって言うんですか!? アイザワ検疫官!」

「君は、あー、誰だったかな? すまない、ポーンの一つ一つに名詞を付けることはしなくてね」

 チェスの喩えを出したことが、彼女にはぴんと来なかったようだが、それでも感情は逆撫でされたらしい。

「この……人でなし……!!」

「厳密にはわたしは人ではないからねえ。愚かな人間に創られた、わたしだって駒さ」

 自嘲するような言い方に、レイジが応じる。

「ならお前を落とせばゲームは終わる。そうだな?」

「もちろん……と言いたいところだが、ぼくはたくさんの駒を抱えている。チェックすらさせることは難しいと思うよ」

 ホロスクリーンに投影された姿が、さも、可哀想に、とでも言うように口元に手をやった。

「さて、お喋りはここまでにして、最終局面を迎えようか。今、ホームの中で転化した新人類は三割。全てが完成形で、全てが貪食の獰猛な人々だ。わたしは統括区の三十五階、つまり最上階にいる。さて、辿り着けるかい?」

 レイジは、決然と応えた。

「お前を殺す」

 アイザワは愉快そうにひとしきり声を上げて腹を抱えた。しかし、その目は笑っていない。

「ある意味での兄弟喧嘩だ。ここには仲裁役がいないから、思う存分やろう。それでは、ね」

 ホロスクリーンが消えた。

「ナガレ、工業区の方はまだ無事だったようだが、ラボに戻れそうか」

「なんとかするよ。レイジはどうする?」

「まずは医療区内でエマの痕跡を探す。おそらく、もうここにはいないだろうが」

「えーっと、私はどうしたら?」

「あんたはあたしと一緒にコウタロウたちを護衛する。どうにか賢人脳会とやらを潰すんだ」

 ニカイドウがここで提案した。

「オレっちはレイジと一緒に行くけどいいよな」

 正気か、ナガレが目を丸くして見つめる。

「保険だ保険。賢人脳会がスタンドアローンで動作していたら、その場でクラッキングするか、物理的に破壊するしかねェ」

 それに、とニカイドウが続ける。

「何かあったらレイジと一緒のが安心だしな」

 片目を瞑ってそう言ったニカイドウの真意を、レイジは悟った。転化する可能性を示唆しているのだ。いかに理性を保っていられたとしても、ネームレスとして生きることを求めてはいない。それがニカイドウが言わんとしているところだと、レイジは理解した。

「それでは、行動開始だ」

『クリーナー:スバル、記録のコピーを』

 女性の機会音声を背に、二手に分かれて面々は走り出した。


 レイジは、医療区内のエマが隔離されているビオトープを訪れ、いつもの安楽椅子にメモ書きを見つけた。今時分、紙のメモなどニカイドウしか使わないと思っていたが、ある所にはあるものだ。

 メモにはこうあった。『レイジくん、お姫様はお城の最上階だ』と。

 それを握り潰して、レイジはニカイドウを伴い駆け出す。

 道中で人を喰らうネームレスたちを見た。大きさこそレイヴンの者たちよりは幾分小さいが、伸び過ぎた頭髪、肥厚した爪、膨れ上がった筋肉は変わらない。まっすぐに統括区へと伸びる道を行く途中、統括区の胸章をつけた人間と遭遇した。レイジを追放する際に現れた、ホムラという中年の女だ。腕に怪我を負い、それを庇いながら足を引きずっている。

「クリーナー:レイジ……! あなたは一体、いや、この混乱に乗じて報復を!?」

「逆だ。騒動を収めに来た」

「そんなことが信じられるわけがありません! 怪物、友軍射撃、共食い……。あなたがホームを離れて数日でこんなことが起きるだなんて、何かを仕組ん──」

 レイジがその口を手で塞いで木陰にホムラを押し倒した。ニカイドウも状況を察して身を隠す。 

「暴れるな。ネームレスがそこにいる」

 ホムラの恐怖に染まった目が、死体を引きずりながら闊歩しているネームレスに向く。

「あれはアイザワが仕組んだ生物兵器だ。お前、再生臓器抽出物の利用は」

 ホムラが首を小さく横に動かす。

「低級品にはああやって化け物になる因子が混入されていた。おそらく、今はその投与回数の多かった者から順に転化している。つまり、軽度の疾病を負った老人が最初だろう」

 ネームレスが周囲を窺い、そして、地面に点々と続くホムラの血痕を発見した。

「ニカイドウ、ホムラが騒がないようにしておけ。ホムラ、生きたければそこを動くな」

 レイジが足元の小石を遠くに放ると、ネームレスはそちらへと顔を向けた。瞬時にレイジは背後から飛びかかり、喉笛を高周波ナイフで掻き切った。そして、掴まれる寸前に右肩部へと刃を立てる。流れるように刃を抜き取り、心臓部へと挿入、二度、抉った。

 ホムラが立ち上がり、あまりの惨たらしさのためか、両手で口を覆った。

「なんてことを……」

「まだ死んでねェよ。首落として完全に破壊するまではな。見てみ、ほら」

 ネームレスの創傷部がぶくぶくと泡立つように修復されていく。

「これがアイザワの創った化け物だ。俺たちはネームレスと呼んでいる。もはや猶予はない。アイザワを殺し、計画を止めなければ」

 倒れたネームレスの首を跳ねながら、レイジは続ける。

「ホムラ、お前の管理者権限はまだ生きているな」

「え、ええ」

「なら、統括区へと侵入する手助けをしろ。東京と同じ惨状を作りたくなければな」

「……」

 ホムラは決断を鈍らせたが、ニカイドウが背中を叩くことで、声を上げた。

「な、何をするんですか!」

「追放者のこと信じらんなくてもよォ、目の前のことくらい分かんだろ? 緊急事態なんだよ、時間がねェのよ! マジに!」

 レイジはマスクを外してホムラの目を見据えた。そして、同行を決意させた。

 統括区の塔内部へと侵入すると、エントランスの片隅で、しゃがみ込んだ二体のネームレスが倒れた職員を貪っているのがすぐに目についた。食事に夢中でこちらに気付く様子はない。ホムラは悲鳴を上げそうになるのを堪えてか、手で口を強く覆った。

 この場では戦闘を避けたい、という考えを手信号でニカイドウとホムラに見せると、足音を殺すようにしてエレベータへと向かう。ホムラもニカイドウも訓練を受けていないなりに静かな歩みを見せた。その見た目はともかく、静かなことが重要だった。

 エレベータは三機あるが、いずれも生体認証による電子錠がかかっていた。電力が通じていることはインジケータから分かったが、問題はいかにネームレスに気付かれず解錠音声を殺すかだ。

「ホムラ、どうにかならないか」

 レイジが囁く。

「三十階までの直通エレベータがさらに奥にあります。そこに辿り着ければ、あるいは」

 レイジが頷くと、ニカイドウが真剣な面持ちのまま言った。

「階段で行くってのが選択肢から外れてホッとしてんのはオレっちだけかな」

 エントランス奥の職員用スペースはガラス張りの小部屋で、曲がり角の奥には隠されたエレベータが見えた。受付のロボットが破壊され、放置されたものを跨ぎながら、レイジが呟く。

「受付嬢の制度を廃止したのはある意味正解かもな」

 ホムラが言葉の意味を理解しかねるといった表情のまま、同じようにし、ニカイドウも続く。そして、控室の前まで来たところで、そこにも生体認証があることを認めた。ホムラが意を決したように掌紋をパネルに当てた。

 ぽん、と音が立つ。

 瞬時にレイジはスピーカのある天井を仰ぎ見、ネームレスたちへと振り返った。彼らはぼんやりとこちらを見ていた。

 ガラスのスライドドアが開くとすぐさまレイジたちは中に身をねじ込み、ドアを閉じた。ネームレスたちが駆け出し、その飢えた胃を満たそうと、動く肉、すなわちレイジたちに襲いかかろうとする。ネームレスの腕一本がドアの間に挟み込まれたのを、レイジはすぐさま斬り落とし、叫んだ。

「ホムラ! エレベータを呼び出しておけ!」

「はっ、はい!」

 残された腕の残りをニカイドウが蹴り出してドアを無理矢理閉めると、悪態を吐いた。

「アイザワの野郎、何が完成形だ! こんなんゾンビと変わんねェじゃねェかよ!」

「これがヤツの求めた完成形ならホームはすぐに放棄されるだろうな」

「ホーム全体がヤツの思考と完璧おんなじじゃあなけりゃあな!」

 ネームレスはガラスを突き破らんとする勢いで部屋を叩いて回った。口元は血に塗れており、血走った眼球がガラス越しにレイジへと向けられる。落とされた腕よりも目の前の捕食対象しか気にしていないようだ。ニカイドウの言うことももっともだった。こんなものが新人類ならば、文明は逆行しかしていない。

 強化などされていないのであろうガラスにひび割れが走る。

「ホムラ!」

「あと少しで来ます!」

「レイジ、マジこいつらどうすんだよ! アイザワ止めてもこんな連中しかいねェならやべェぞ!」

「根源を止めなければ増え続ける! やるしかない!」

「来ました!」

 ぴん、という電子音と共にエレベータのドアが開く。

「行くぞニカイドウ!」

「言われんでも行くわい!」

 レイジたちが走り出した途端に背後でガラスドアが砕ける。

「ホムラ、ドアを閉じ始めろ!」

 三分の一が閉じ始められたドアへと、レイジとニカイドウは飛び込んだ。閉まりきったドアが殴りつけられる中でニカイドウが大袈裟に声を上げる。

「た、たまんねェなこりゃあ……! この上がそんなじゃねェことを祈るしかねェぞ、おい!」

 上昇を始めたエレベータでホムラは壁に背をつけて、両手で顔を覆っている。レイジはそれに気付きつつも、彼女に何かを言うことはなかった。

「まだ転化しているのは一部だ。だが、統括区の職員の多くは壮年の人間が多い。中枢となれば、さらに状況は悪化するだろう」

「っかあー……。そうなるよなァ……」

 ニカイドウは壁を背に、一度腰を下ろした。そして、レイジの顔を仰ぎながら、手を出す。

「シリンジ弾、一本オレっちに打っといてくれねェか。いずれ転化するにしても、少しでも進行を遅らせておきてェ」

「……今がその時かもしれないな」

 ホムラが何事を言っているのか、という顔で二人を交互に見た。

「ホムラの、あー、お姉さん、にしとくか。あんたは必要ねェだろうが、オレっちもああなっちまう可能性があってな。抑制剤、打っとくことにしたって話だよ」

「そんなものが……! なら、今すぐ医療区に行って大量生産を!」

「その医療区から俺たちが来たということを考えて物を言え。あそこはすでにアイザワの手に落ちている。まともに機能していないのは統括区を見れば明らかだろう」

「ですが……」

 ニカイドウにシリンジ弾を渡すと、レイジは冷酷に言い放つ。

「助けられる命は限られている。殺しを指示してきたお前には縁遠い考えだろうがな」

「私はただ与えられた使命を果たしただけです」

 毅然と目を背けずに返すホムラの胸ぐらを、レイジは掴んだ。

「与えられた使命がなんだと言うんだ。それがお前の全てか。お前の存在理由か」

 それは過去の自分にも向けられた言葉だった。レイジは統括区の走狗であり、アイザワならびにハセクラの傀儡だった。出自すらまともではない人間の言葉は、殊更重みがあった。

 しばし睨み合った二人は、ホムラが目を伏せることで視線を切ることとなる。

「よっし、で、レイジ。これ心臓の真上に刺すんだよな」

 ニカイドウが空気を読まずに質問を繰り出す。それに答えるべく、レイジはホムラから手を放し、背を向けた。

「オレっち注射ってのが苦手でよ……。できたらやってくんねェかな。目ェ瞑ってるから、一思いによ」

「分かった。三つ数えたら打つぞ」

 そして、レイジは二つ目のカウントの時に急にシリンジの針を刺し込んだ。

「バッ! レイジてめっ、びっくりするじゃねェかよ! 殺す気か!」

「ゆっくりやる方が痛いと思ってな」

 ホムラは、その様子を無表情に見つめていた。

 エレベータは三十階に到着した。開かれたドアの向こうには、デスクとモニタが並ぶオフィスが広がっていた。その奥には、窓に張り付いて、居住区から立ち昇る火炎を眺めている複数の職員たちが見受けられた。もはや通信網は麻痺したのか、対応を諦めたのか、鳴り響く通信機器に構う者はいない。

「ホムラ執行官、その二人は?」

 三名に気付いた壮年の男性職員が声をかけてくる。

「この混乱を鎮めるために来た人間のようです。賢人脳会とアイザワ検疫官への接見を望んでいます」

「はい? アイザワ検疫官はともかくとして、何故賢人脳会に……?」

 レイジは無言で無反動銃を構えて男性職員に向けた。

「なっ!?」

「最上階までの道を開けろ。急ぎでな」

 状況を見た別の職員たちが悲鳴を上げてデスクの下に隠れる。

「ほ、ホムラ執行官、これは?」

「ホムラ執行官? いや、こいつはもうホムラではない」

 そして、レイジはホムラの両脚を一度の熱線で貫いた。

「~~~!」

 痛みに耐えるような表情で歯を食い縛りながら、ホムラは尻をつく。しかし、レイジはさらに左上腕を焼き、胴を蹴り飛ばした。

「何してんだレイジおめェ!?」

「口を滑らせたな、アイザワ。俺は一度もホムラに賢人脳会のことを話した覚えはない」

 しばし身を震わせていたホムラだったが、そこに次第に笑い声が混じる。

「……くくく、あははは!」

「ホムラ、執行官……?」

 ホムラは残された右腕で身を起こしながら、その下劣な笑みを露わにする。ホムラは、彼女の声で、しかし、何者かの言葉で話し出した。

「いや、参った参った、サプライズが失敗した時ほど気まずいものはないね。くくくく!」

「アイザワ。お遊びは終いだ。早くこのパーティの主催者であるお前に御目通り願いたいのだが、どうだ」

 男性職員が唖然として立ち尽くす中、レイジとホムラは会話する。

「どこから綻びが出てしまったかな?」

「統括区から逃げようとしたホムラの姿を見た瞬間からだ」

「なんだって? ……ああ、そうか。確かにこの女は統括区の上層の人間だ。有事に外へ逃げ出すよりも籠城を決め込む方が“らしい”ね」

 ニカイドウが状況を察すると、近くの椅子を手に取り、武器のように構えてから言う。

「レイジ、転化するよりタチが悪ィだろこれ!」

 ニカイドウの言葉はもっともだった。すでにある人格を上書きして、アイザワの擬似クローンとしたというのは、非人道的に過ぎる。

「アイザワ、ホムラの人格はどうした」

「残っているとも。賢人脳会は新人類を創るために席を空けてある。この女は非常に使い易い駒だからね。末席も末席だが、管理者として保存はしてあるよ」

 男性職員を含め、その場にいた全ての統括区の人間が、何を言っているのか、という 顔をしている。その中で、ホムラの体を使うアイザワが、遠くの、比較的若い女性職員に向けて言う。

「そこの君。非常用シャッターは下さなくていい。このまま彼らを賢人脳会の保存場所まで案内してくれるかい」

 レイジが銃口をホムラに向けたまま目線をやると、女性職員は壁際の何らかの装置へと手をかけていたところだった。

「観念したか、アイザワ」

「いいや、違うよレイジくん。兄弟の顔を直接見たくなっただけさ」

 そこまで言うと、ホムラは黙って倒れ伏した。ニカイドウが始めは恐る恐る、次第に大胆に彼女の体を揺さぶると、仰向けにした。そして、沈痛な面持ちでレイジを振り返った。

「ダメだ、レイジ。舌ァ噛み切っちまってる」

 レイジは舌打ちをすると、無反動銃を下ろし、固まったままの女性職員にできる限り落ち着いた口調で言う。

「……賢人脳会の部屋までの案内を頼む」

 女性職員は、半開きの口をそのままに、阿呆のように何度も頷いた。
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