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雨宿りの温度
しおりを挟む放課後、グラウンド脇の渡り廊下の屋根の下で一人、僕は雨を見ていた。空は重く、風もない。ただひたすら、静かに水音だけが地面を叩いていた。
この雨のせいで、帰るタイミングを逃してしまった。
ぼんやりと立ち尽くしていると、ざっと音を立てて、ずぶ濡れの後輩が飛び込んできた。制服のシャツが肌に張り付き、前髪の雫が顎を伝う。
肩で息をしているのに、彼は、いつものように笑っていた。
「……びしょ濡れだね。傘はどうしたの?」
「ん~~、どっかに忘れました!」
冗談めかした声。でもその笑い方は、どこかぎこちなかった。
濡れて透けたシャツの輪郭が妙に色っぽくて、慌てて目を逸らす。僕はずっとこの後輩に惹かれていた。けれど、それを言葉にすることができなくて。
『あいつと付き合ってる』って噂を聞いたときも、ただ黙って頷くしかできなかった。
「これ、使ったら」
気持ちを誤魔化すみたいに、鞄の中からタオルを取り出し、彼の手に押し付ける。タオルを頬に当てた彼が、ふっと目を細めて、笑った。
「……先輩って、やさしいですよね。前からずっと、そう思ってました」
「……誰にでもやさしいわけじゃないよ」
「……もしかして俺にだけ? 先輩がやさしいと、ちょっと胸が苦しくなるな」
冗談みたいに言うくせに、その表情には冗談じゃない気配が滲んでいて。ぐっと喉の奥が詰まった。
「……最近、うまくいってるの? あいつと」
そう訊いた僕の声も、どこか震えていたと思う。一拍の沈黙のあと、彼は小さく息をついた。
「うん……まあ、一応」
その『まあ』の中に、いくつもの諦めと、我慢と、言い訳が詰まっているような気がした。好きな人と付き合ってるはずなのに。どうして、そんなに寂しそうな顔をするんだよ。
気づけば、濡れた頬に手を伸ばしていた。その瞳がずっと、助けを求めていたことに、僕はずっと気づいていた。
「……せ、せんぱ……い?」
困惑した声。けれど、拒まれてなんかいなかった。逃げるように逸らされた視線、怯えた仕草。それなのに、僕の手を振り払おうとはしなくて。
「……笑うとすごく可愛のに。こんな顔しか、あいつは君にさせられないのか?」
触れた君の頬が、ほんの少し震えた。
「そ……それは……俺が……ちゃんと出来ないからで……」
言い淀みながら呟くその姿が、あまりにも痛ましくて、胸が締めつけられた。何かに怯えるみたいに腕をさする。そんなふうに君をさせてる相手のことが、許せなくなった。
ずっと抑えていた想いが、もう止められない。
だって、僕は君のことがずっと好きだった。その笑顔を取り戻す自信だって、ある。
「……あいつなんかやめて、僕と恋人になって」
顔を上げた彼が、驚いたように目を見開く、そして、小さく、ぽつりと呟いた。
「……それ、もっと早く言ってくれてたら、先輩にしてたのに」
「遅くてもいい。……たとえ今日だけでも、君を笑わせたい。僕は、そんな顔をしてほしくない」
そっと額に触れ、頬に触れ、そして唇を重ねる。濡れた肌が、ひどく熱く感じた。僕のシャツを、彼がぎゅっと掴んだ。
「っ……ん、ぁ……はあっ……だ、だめ……っ……先輩……俺、まだ……あいつの彼氏、なのに……っ」
「たとえ、恋人であっても、君が泣くような恋なら……僕が全部壊してもいい」
そう囁いて、もう一度、深く唇を重ねた。口唇を押し当てるたびに、震える息が零れて、彼の身体がほんの少し僕に預けられる。
「……せんぱい……こんなの、ずるいよ……」
それでも、彼は僕から離れようとはしなかった。もう、戻れないところまで来てしまったことを、互いに悟る。
廊下の奥から、ほんの一瞬だけ誰かの気配がした。足音も、声もなかったけれど。
僕は振り向かなかったし、彼も、何も言わなかった。そのまま、雨音に気配は掻き消されていく。
外はまだ、土砂降りで。
けれど僕たちの間に降った雨は、もう止まないかもしれないーー。
あとがき。
エブリスタの妄想コンテスト用に書いたものです。短編が書けなくなっていたのですが、書けて、ほっとしました。
背徳ーー。それは罪の味!(大袈裟)
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