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第一章 本物の婚約
第十五話 『朝の光に咲く、花嫁の青』
しおりを挟むーーそして、婚約披露パーティー当日。
いつもより柔らかな光が、カーテン越しに差し込んでいて。まどろみの中、目を開けると、すぐ隣に畳まれた衣装が横たわっているのが目に入った。
(……これが、俺の)
王族の婚約者として、今夜の披露の場に纏う衣。深い紺地に銀糸の刺繍がほどこされたサテンは、朝陽を受けて静かにきらめいていた。
恐る恐る指先を伸ばし、そっと袖口に触れる。思ったよりもしっとりと、柔らかくて。場違いなのでは? 似合わないのでは? そんな不安が、朝の陽差しですら重く感じさせる。
(……本当に、これを俺が着ていいのだろうか)
ノック音が、そんな思考をふいに断ち切った。
「失礼いたします、ルイス様。お支度のお時間でございます」
扉の向こうから響いたのは、控えめな優しい声で。白いエプロン姿のメイドが部屋へ入ってきて、俺がまだ衣装に触れたまま動けずにいるのを見ると、にっこり微笑んだ。
「ふふ、とてもお似合いになりますよ。……きっと、殿下も、そう思われるはずです」
そのひと言に、不安で強ばっていた胸が、少しだけほどける。彼女は迷いのない手つきで衣装を整え、ベッドの端に広げると、俺の背へまわり、静かに着替えを始めた。
無言のまま、でも、どこか慈しむような手つきで、ひとつずつ、俺を『婚約者の姿』に変えていく。
ボタンをかけられるたび、あの夜、咲いた花の感触が蘇り、胸がきゅっとなる。リアム殿下の指先、熱、息づかい。そして、あの人に触れられて咲いた、俺の『青』。
(……こんな俺でも、隣に立っていいと思えるのなら)
息をひとつ吸って、姿見の前に立った瞬間、思わず息をのんだ。鏡の中にいるのは、自分のようで、知らない誰かのような姿だった。
「……うわ、ルイス様っ……!!」
そのとき、部屋に駆け込んできたエリオットが、大きく目を見開いて感嘆の声をあげた。
「すっっっっごく似合っています……! 美しいです! 民族衣装も素敵でしたが、正装は……これは、もはや国宝レベルですっ!!」
「えっ、そんな……そんな大げさですよ……!」
「全然大げさじゃありませんっ! これじゃあ殿下は、心臓が持ちませんね!!」
「そ、そうかなぁ……」
あまりの勢いに、思わず苦笑いしてしまう。けれど、胸がほんのりとあたたかくなるのが分かった。
(……うん。今日だけは、自分を少しだけ誇ってもいいのかもしれない)
殿下の隣で、ちゃんと胸を張れるように。そんな小さな決意が、心の奥でひとつ、咲いた。
「ルイス。入るよ」
ノックとともに聞こえた声の方へ振り返ると、リアム殿下が立っていた。彼の視線が、衣装を纏った俺に注がれる。そして静かに目元が細められた。
「……とても、似合っているよ」
その一言だけで、心臓がぎゅっと縮こまる。言葉も出ないまま視線を逸らすと、殿下はもう、俺の背後に立っていて。背中からやわらかく、抱きしめられた。
「っ……! ちょっ、なっ……っ、ほ、他の人がいます……っ!」
「関係ないだろう」
リアム殿下の腕が、しっかりと腰のあたりで絡まる。抱き寄せられ、手が身体を這う感触に、思わず身体が強張る。けれど、目の前の鏡に映る姿を見て、言葉が詰まった。
(……これ……が、俺……?)
姿見に映っていたのは、正装に身を包み、リアム殿下に抱きしめられている自分で。頬は赤く染まり、大きな手が細い肩に添えられていた。まるで、本物の花嫁のようだった。
「……顔が真っ赤だね」
「ち、違っ……これは、そのっ、鏡がっ……!」
「鏡が?」
「だ、だから……っ、こうやって、映ってると……変な感じでっ……!!」
「……変じゃない。綺麗だ」
耳元で囁かれる声が、甘くて、熱くて、さらに火照りが増す。もう、視線を合わせられなくて、思わず顔を両手で覆い、俯いた。
「恥ずかしいです……」
「ふふ……そういうところも、可愛くて、好きだよ」
「~~~っっ」
唇がそっと首筋に触れた瞬間、全身がとろけそうになる。そして、リアム殿下はゆっくりと腕をほどいて、胸元から、小さな箱を取り出した。
開かれた銀の蓋の中には、薄青の花を象った、小さな耳飾りが入っていた。
「これを、ルイスに渡したくて」
「……えっ……」
覗き込むと、繊細な花弁が、光を受けて静かに揺れた。それは、小さな野の花のようで、あたたかかった。
「……この花……」
「君が、はじめて私の前で咲かせた花を模したんだ」
その言葉に、胸がきゅっと鳴る。咲いて、枯れてしまった、あの青い花。そして、リアム殿下が初めて食んでくれた花。嬉しくて、哀しくて、忘れられない花だった。
「……でも、そんな……いいんでしょうか……俺は、本来は……」
「いいも何も。たとえ、身代わりで来たとしても、君は私の婚約者だ。だから、受け取ってくれ」
真っ直ぐな瞳でそう告げられて、何も返せなくなる。リアム殿下は、そっと片方の耳飾りを取り、俺の耳へ手を伸ばした。
「そして、これは、お守りでもある。今日だけじゃない。これから先も、君が笑っていられるようにーー」
冷たさを感じるはずの金具も、リアム殿下の手を通すと、どこかあたたかくて。俺ごと、優しく包まれているような気がした。
「……似合うよ。私はこの花が、君に咲くと嬉しい」
「……っ……はい……」
「今夜、君の隣を歩くのが楽しみだ」
鏡の中の自分は、耳に花を咲かせ、頬を染めて立っていて。枯れずに、咲き続けるように。という願いが、そっと耳元に宿された。
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