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第二章 セレスティアの伝承
第五十話 『“癒し”という名の、宿命の花』
しおりを挟む「……死の花は、癒しの力を持ちます。ですが、ただ咲くだけでは意味をなさぬ」
エルネストの落ち着いた声が、静かな空間に染み込む。まるで過去の秘密を、ひとつひとつ紐解くようだった。
「咲かせた花を『花食み』が食むことで、癒しが起きる。……それは、肉体だけではなく、心にも、記憶にも、作用するのです」
「……記憶……?」
思わず隣に視線を送る。リアム殿下は黙って、広げられた羊皮紙の上に描かれた花の絵を見つめていた。
「癒しの花を口にすれば……咲かせた者の感情が、流れ込む。ふたりの心が一時、深くつながるのです。望んだときだけ、心音が重なり合い、忘れていた記憶を呼び覚ますこともある」
「……記憶を呼び覚ます……」
「そう、まるで……記憶の扉を、そっと開く鍵みたいに」
指先で花の絵をなぞるエルネストを見ながら、胸がずきんと疼く。なにか……大切な忘れている何かを、思い出せる気がした。
「……そんな花を、俺はずっと……枯れさせてきたんだ」
ぽつりと零れた言葉に、エルネストの眼差しが一瞬だけ揺らぐ。けれどすぐに、優しく微笑み、口を開いた。
「花が枯れるには、理由があります」
「……理由?」
「たとえば、分解しきれない強い毒に、長く晒されていた場合……」
「……ノクティア、ですか」
呟いた瞬間、そっとエリオットが図鑑を差し出した。めくられたページには、見覚えのある紫紺の花と、もうひとつ、黄緑の花が描かれていた。
「セリュフィーネ……」
「ふたつは『番花』と呼ばれ、並べて育てれば、互いを強めあい、より強い毒性を持ちます。長年にわたりそれを吸えば、記憶の混濁や、花生みとしての機能に支障が出ることもある」
「……だから……俺の記憶、抜けているんだ……」
ぼんやりと、リアム殿下が『以前、出会っていた』と言ったときのことを思い出す。けれど、その記憶は霞んでいて、笑うことしかできなかった。
思い出せなかった理由が毒のせいだったのならーー。
「……だったら、俺……治したい」
小さな決意が、胸の中で静かに灯る。もう、咲けないままの自分ではいたくなかった。
「……それには、やはり花食みの体液が必要になりますな」
一瞬、言葉の意味が分からず、硬直する。
「……た、体液?」
「……まさか、意味が分からないとは。ふむ、ではやはり『清いお付き合い』でしたかの」
「清くなどない」
すかさずリアム殿下が低く、ぴしゃりと言い切る。顔がばっと熱くなり、思わず両手で顔を覆う。耳まで真っ赤になるのが自分でも分かった。
「つまり、体に必要な『栄養』が足りていないのです」
「栄養……?」
「花生みに必要なのは、花食みの体液。特に、王族のものが最も効果が高いとされております」
「っ、そ、それって……!」
「交われば咲く。とても、分かりやすい話でしょう」
ぐらりと眩暈がするような台詞に、視線が泳ぐ。リアム殿下が、そっと頬に触れてきた。指先が滑るように下顎へ添えられ、軽く持ち上げられる。翠の瞳がまっすぐ俺を見つめた。
「……夜になったら、ちゃんと咲かせてあげよう」
「やっ、やめてください……っ!」
耳元で囁かれ、思わず身を引くと、その手がすぐに追いかけてきた。
「逃がさないよ」
低く、甘い声が耳に響く。顎を引き寄せられ、唇が重なる。優しくて、でも抗えない強さを含んだキスに、目を閉じた。
「……ふふ、可愛い」
「……もぉっ……」
「……殿下。ルイス様には、少し温室をご覧になってもらいましょうか」
咳払い混じりの声に、我に返り、慌てて身体を離す。エルネストがわずかに口角を上げながら口を開いた。
「このあたりの花は、セレスティアとはまた違った品種が多く咲いている。ロバート、ルイス様をご案内してくれるか」
「はい。お供いたします、ルイス様」
ロバートが優雅な所作で片手を差し出してくる。その自然な動きに戸惑いながらも、ちらりと隣を見ると、リアム殿下が、じっとロバートを睨んでいた。
「……殿下?」
「ああ。私はまだ、こちらで少し話を聞く。……すぐに戻るよ。気をつけて行っておいで」
そっと俺の手に触れると、指先で名残惜しげになぞられた。
「はいっ……」
高鳴る鼓動を隠すように俯きながら、ロバートのあとを追って歩き出した。
*
エルネストと共に、温室の奥へと移動する。木の棚の陰に、埃をかぶった木箱がひとつあり、古びた鍵がかけられていた。エルネストが取り出した小さな鍵で蓋を開けると、中には紙の束が静かに眠っていた。
「……これが、『禁制の記録』……?」
乾いた紙をめくる指先に、かすかな震えが走る。そこに記されていたのは、失われたはずの知識だった。
「はい。しかし、もう一冊あったはずなのです。『禁断の調香の製法』と題された本……それが、何者かに持ち去られた」
エルネストの目に、警戒の色が浮かぶ。
「……その書には、『王族の体液に反応する花の香』や、『感情を操る揮発油の配合』までが記されていた」
「……香水に含まれていた、ノクティアやセリュフィーネも……?」
「ええ。本来は、どちらも癒しのために用いられる花です。しかし、配合次第で快楽にも暴走にも転ぶ。癒しと破滅は……紙一重なのです」
小さく眉を寄せた瞬間、ふと、窓の外から声が届いた。
「この花、綺麗ですねっ……!」
柔らかな声に反応して、つい目を向ける。温室の向こうの日差しを浴びた花々の間で、ルイスが微笑んでいた。
その傍らにはロバートがいて。彼の言葉にルイスが小さく肩をすくめるような仕草を見せた。
「……ッ」
胸の奥に、熱いものが込み上げ、瞼の裏が熱を帯びる。ロバートが、ルイスの足元に絡まった蔓に気づき、手を伸ばした、そのときだった。
「あっ……!」
ルイスが足を滑らせた。咄嗟に抱きとめたのは、ロバートで。揺れる身体をその腕に収めたまま、彼は至近距離からルイスに声をかけた。
「大丈夫ですか?」
その一言が、温室のガラス越しにもはっきり届いた気がして、思わず拳に力が入る。指先が白くなるほどに、強く握った。
「…………ッ」
自分でも、何に怒っているのか、言葉にできなかった。ただ、胸に膨らむのは、明らかに嫉妬だった。
「……殿下、あれはわざとではない」
「……分かっている。だが……」
視線が、ガラス越しに揺れる白銀の髪へと引き寄せられる。陽に照らされたルイスの髪が、風に撫でられ、ふわりと揺れていた。
あの輝きを、誰かが手に取るように触れているのが、どうしようもなく胸を掻き乱す。
「……今すぐお戻りになりますか?」
「……いや。まだ……話すべきことがある」
言い聞かせるようにそう答えたが、視線だけはどうしても、ルイスの姿から離せなかった。
美しくて、儚げで、それでいて可愛くて。誰かの手に渡るなんて、考えたくもなかった。
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