74 / 127
第七章 「ディストリビューション」
第60話 「アキュムレータ」
しおりを挟む
~憲章暦997年3月29日(星の日)~
朝、玄関で靴紐を結びながら、俺は息を吐く。
「さて、行くか」
そう呟いて立ち上がると、背後から足音が聞こえた。
振り向くとアイラが髪を整えながら玄関へと向かってくる。
「今日は取引所ですか?」
「ああ。昼までに済ませておきたい取引がある」
アイラは頷く。
その時、階段を駆け下りる音とともに、ヒカリが姿を見せた。
「アディスさん、待ってください!」
弾む声。黒いロングヘアを跳ねさせ小走りで目の前まで来る。
「どうした?」
「今日は……えっと……お弁当! お昼に、取引所の広場まで持っていきますから!」
少し言葉を探しながらも、以前に比べれば格段に滑らかなアルカ語だった。
暴漢を撃退したあの日以来、ヒカリのアルカ語は急速に上達していた。日々の勉強の成果が出ているのか、あるいは転移者としての才能が花開いたのかは分からない。日常会話に不自由さはほとんどなくなっている。
「……大丈夫か? 広場まで来られるか?」
「はいっ。大丈夫です!」
胸を張って宣言する姿は、どこか誇らしげだった。
アイラが微笑む。
「ヒカリさんのお弁当、楽しみです」
「はい! がんばります!」
その元気に背を押されるように、俺とアイラは家を出た。
◆◇◆━◆◇◆━◆◇◆━◆◇◆
トークンコアの前。アイラと簡単な打ち合わせを行う。
「アイラ、今日はフレイジアの先物を買う」
「フレイジアですか…? 本当に大丈夫でしょうか…」
アイラが少し心配そうな顔で尋ねてきた。アイラの不安も無理はない。フレイジア球根はかつてバブルの元凶となった商品であり、その後の需給バランスの崩れから、今では値崩れした状態が続いている。
「そんなに多くは買わない。あくまでデモンストレーション用だ」
アイラの表情には、疑問符が浮かんでいる。
「買いに行くのは、4月6日、すなわち来週になったら現物と交換できる権利だ」
「権利……?」
「そうだ。今日、俺たちが買うのは未来の約束だ。フレイジア球根を1週間後、この値段で受け取る――という契約。だから、価格が変動しても俺たちは約束どおりの条件で受け取れる」
アイラは少し考えてから、小さく息を呑んだ。
「つまり……今のうちに約束しておけば、将来どれだけ値が上がっていても決めた価格で手に入るってことですね」
「そういうことだ。それが先物だ」
「なんとなくわかりました。それでは、行ってきますね」
アイラは、そう言って浮上していく。
<リクエストリンクを頼む>
<はい、行きます>
リンクが確立されると、アルカナプレートから情報が青白い光となって浮かび上がり、リアルタイムの価格情報が表示された。
<現在の価格は…3.32ディムか。3.5ディム以下なら買えるだけ買うぞ>
――バブルのころからすると、異常な安値。魔素があれば簡単に育つ特性上、世界各地で生産されて在庫がダブついている。
だが、それでいい。
こいつには、これからもうひと活躍してもらう必要がある。
アイラは、俺の指示に従い魔法陣を展開し「オーダーフォーム」の術式を組み上げる。価格は3.33ディム。
続けて少しずつ買い進めていく。トークンコアへ向けて青白い光を放つ魔法が放たれる。
注文が入るたびに価格がわずかに動き、3.34、3.35とわずかな上昇を見せた。
<この辺りが現在の売り板の厚い部分か…少しずつ吸い上げていくぞ>
アイラは次々に魔法陣を展開し、注文を追加していく。その都度、価格がわずかに変動するが、大きな変化はない。
<3.40ディム、まだ買える…3.5ディム以下を維持してる間に、どんどん買い増しだ>
俺は価格の推移を見つめながら指示を出し続けた。
<アルさん、次の注文も通りました。価格はまだ3.5ディム以下です>
アイラが淡々と報告を続ける。
<よし、その調子だ。慎重に、でもためらわずに進めよう>
アイラは再び魔法陣を展開し、次の注文を実行する。
<…3.51ディムになりました。アルさん、どうしましょう?>
アイラが小さな声で尋ねてきた。
<大丈夫だ、これは一時的な動きだ。売り圧がすぐに戻ってくるはずだ。もう少し待ってから再開しよう。
アイラは頷き、魔法陣を一旦収束させた。今日はなぜか、脈動するトークンコアの光が、俺たちを静かに見守っているように感じられた。
<アルさん…今日の取引、なぜかちょっと緊張しますね>
<そうだな。緊張感が大切だ。慢心はミスや判断を間違える原因となる>
<よし、再開だ。売り圧が戻ってきた。価格は3.42ディムに下がったぞ。ここから一気に買い進める>
アイラは再び魔法陣を展開し、迅速にオーダーフォームを起動する。
<よし、これで今日の予定分はほぼ完了だな>
魔法陣を収束させ、地上に降りたアイラはほっとしたように息をついた。
俺は手元のアルカナプレートを確認すると、購入したフレイジア球根の数が表示される。
フレイジア球根…102,344個
「お疲れ様、アイラ」
俺は、そう言ってアイラの頭をなでる。
「ありがとうございます」
アイラは、そう言って顔を赤らめる。
その時だった。
一瞬、視界が暗転する。
気が付くと、見覚えのある空間を漂っていた。
朝、玄関で靴紐を結びながら、俺は息を吐く。
「さて、行くか」
そう呟いて立ち上がると、背後から足音が聞こえた。
振り向くとアイラが髪を整えながら玄関へと向かってくる。
「今日は取引所ですか?」
「ああ。昼までに済ませておきたい取引がある」
アイラは頷く。
その時、階段を駆け下りる音とともに、ヒカリが姿を見せた。
「アディスさん、待ってください!」
弾む声。黒いロングヘアを跳ねさせ小走りで目の前まで来る。
「どうした?」
「今日は……えっと……お弁当! お昼に、取引所の広場まで持っていきますから!」
少し言葉を探しながらも、以前に比べれば格段に滑らかなアルカ語だった。
暴漢を撃退したあの日以来、ヒカリのアルカ語は急速に上達していた。日々の勉強の成果が出ているのか、あるいは転移者としての才能が花開いたのかは分からない。日常会話に不自由さはほとんどなくなっている。
「……大丈夫か? 広場まで来られるか?」
「はいっ。大丈夫です!」
胸を張って宣言する姿は、どこか誇らしげだった。
アイラが微笑む。
「ヒカリさんのお弁当、楽しみです」
「はい! がんばります!」
その元気に背を押されるように、俺とアイラは家を出た。
◆◇◆━◆◇◆━◆◇◆━◆◇◆
トークンコアの前。アイラと簡単な打ち合わせを行う。
「アイラ、今日はフレイジアの先物を買う」
「フレイジアですか…? 本当に大丈夫でしょうか…」
アイラが少し心配そうな顔で尋ねてきた。アイラの不安も無理はない。フレイジア球根はかつてバブルの元凶となった商品であり、その後の需給バランスの崩れから、今では値崩れした状態が続いている。
「そんなに多くは買わない。あくまでデモンストレーション用だ」
アイラの表情には、疑問符が浮かんでいる。
「買いに行くのは、4月6日、すなわち来週になったら現物と交換できる権利だ」
「権利……?」
「そうだ。今日、俺たちが買うのは未来の約束だ。フレイジア球根を1週間後、この値段で受け取る――という契約。だから、価格が変動しても俺たちは約束どおりの条件で受け取れる」
アイラは少し考えてから、小さく息を呑んだ。
「つまり……今のうちに約束しておけば、将来どれだけ値が上がっていても決めた価格で手に入るってことですね」
「そういうことだ。それが先物だ」
「なんとなくわかりました。それでは、行ってきますね」
アイラは、そう言って浮上していく。
<リクエストリンクを頼む>
<はい、行きます>
リンクが確立されると、アルカナプレートから情報が青白い光となって浮かび上がり、リアルタイムの価格情報が表示された。
<現在の価格は…3.32ディムか。3.5ディム以下なら買えるだけ買うぞ>
――バブルのころからすると、異常な安値。魔素があれば簡単に育つ特性上、世界各地で生産されて在庫がダブついている。
だが、それでいい。
こいつには、これからもうひと活躍してもらう必要がある。
アイラは、俺の指示に従い魔法陣を展開し「オーダーフォーム」の術式を組み上げる。価格は3.33ディム。
続けて少しずつ買い進めていく。トークンコアへ向けて青白い光を放つ魔法が放たれる。
注文が入るたびに価格がわずかに動き、3.34、3.35とわずかな上昇を見せた。
<この辺りが現在の売り板の厚い部分か…少しずつ吸い上げていくぞ>
アイラは次々に魔法陣を展開し、注文を追加していく。その都度、価格がわずかに変動するが、大きな変化はない。
<3.40ディム、まだ買える…3.5ディム以下を維持してる間に、どんどん買い増しだ>
俺は価格の推移を見つめながら指示を出し続けた。
<アルさん、次の注文も通りました。価格はまだ3.5ディム以下です>
アイラが淡々と報告を続ける。
<よし、その調子だ。慎重に、でもためらわずに進めよう>
アイラは再び魔法陣を展開し、次の注文を実行する。
<…3.51ディムになりました。アルさん、どうしましょう?>
アイラが小さな声で尋ねてきた。
<大丈夫だ、これは一時的な動きだ。売り圧がすぐに戻ってくるはずだ。もう少し待ってから再開しよう。
アイラは頷き、魔法陣を一旦収束させた。今日はなぜか、脈動するトークンコアの光が、俺たちを静かに見守っているように感じられた。
<アルさん…今日の取引、なぜかちょっと緊張しますね>
<そうだな。緊張感が大切だ。慢心はミスや判断を間違える原因となる>
<よし、再開だ。売り圧が戻ってきた。価格は3.42ディムに下がったぞ。ここから一気に買い進める>
アイラは再び魔法陣を展開し、迅速にオーダーフォームを起動する。
<よし、これで今日の予定分はほぼ完了だな>
魔法陣を収束させ、地上に降りたアイラはほっとしたように息をついた。
俺は手元のアルカナプレートを確認すると、購入したフレイジア球根の数が表示される。
フレイジア球根…102,344個
「お疲れ様、アイラ」
俺は、そう言ってアイラの頭をなでる。
「ありがとうございます」
アイラは、そう言って顔を赤らめる。
その時だった。
一瞬、視界が暗転する。
気が付くと、見覚えのある空間を漂っていた。
0
あなたにおすすめの小説
狼になっちゃった!
家具屋ふふみに
ファンタジー
登山中に足を滑らせて滑落した私。気が付けば何処かの洞窟に倒れていた。……しかも狼の姿となって。うん、なんで?
色々と試していたらなんか魔法みたいな力も使えたし、此処ってもしや異世界!?
……なら、なんで私の目の前を通る人間の手にはスマホがあるんでしょう?
これはなんやかんやあって狼になってしまった私が、気まぐれに人間を助けたりして勝手にワッショイされるお話である。
最低のEランクと追放されたけど、実はEXランクの無限増殖で最強でした。
みこみこP
ファンタジー
高校2年の夏。
高木華音【男】は夏休みに入る前日のホームルーム中にクラスメイトと共に異世界にある帝国【ゼロムス】に魔王討伐の為に集団転移させれた。
地球人が異世界転移すると必ずDランクからAランクの固有スキルという世界に1人しか持てないレアスキルを授かるのだが、華音だけはEランク・【ムゲン】という存在しない最低ランクの固有スキルを授かったと、帝国により死の森へ捨てられる。
しかし、華音の授かった固有スキルはEXランクの無限増殖という最強のスキルだったが、本人は弱いと思い込み、死の森を生き抜く為に無双する。
魔道具頼みの異世界でモブ転生したのだがチート魔法がハンパない!~できればスローライフを楽しみたいんだけど周りがほっといてくれません!~
トモモト ヨシユキ
ファンタジー
10才の誕生日に女神に与えられた本。
それは、最強の魔道具だった。
魔道具頼みの異世界で『魔法』を武器に成り上がっていく!
すべては、憧れのスローライフのために!
エブリスタにも掲載しています。
家族と魔法と異世界ライフ!〜お父さん、転生したら無職だったよ〜
三瀬夕
ファンタジー
「俺は加藤陽介、36歳。普通のサラリーマンだ。日本のある町で、家族5人、慎ましく暮らしている。どこにでいる一般家庭…のはずだったんだけど……ある朝、玄関を開けたら、そこは異世界だった。一体、何が起きたんだ?転生?転移?てか、タイトル何これ?誰が考えたの?」
「えー、可愛いし、いいじゃん!ぴったりじゃない?私は楽しいし」
「あなたはね、魔導師だもん。異世界満喫できるじゃん。俺の職業が何か言える?」
「………無職」
「サブタイトルで傷、えぐらないでよ」
「だって、哀愁すごかったから。それに、私のことだけだと、寂しいし…」
「あれ?理沙が考えてくれたの?」
「そうだよ、一生懸命考えました」
「ありがとな……気持ちは嬉しいんだけど、タイトルで俺のキャリア終わっちゃってる気がするんだよな」
「陽介の分まで、私が頑張るね」
「いや、絶対、“職業”を手に入れてみせる」
突然、異世界に放り込まれた加藤家。
これから先、一体、何が待ち受けているのか。
無職になっちゃったお父さんとその家族が織りなす、異世界コメディー?
愛する妻、まだ幼い子どもたち…みんなの笑顔を守れるのは俺しかいない。
──家族は俺が、守る!
キャンピングカーで走ってるだけで異世界が平和になるそうです~万物生成系チートスキルを添えて~
サメのおでこ
ファンタジー
手違いだったのだ。もしくは事故。
ヒトと魔族が今日もドンパチやっている世界。行方不明の勇者を捜す使命を帯びて……訂正、押しつけられて召喚された俺は、スキル≪物質変換≫の使い手だ。
木を鉄に、紙を鋼に、雪をオムライスに――あらゆる物質を望むがままに変換してのけるこのスキルは、しかし何故か召喚師から「役立たずのド三流」と罵られる。その挙げ句、人界の果てへと魔法で追放される有り様。
そんな俺は、≪物質変換≫でもって生き延びるための武器を生み出そうとして――キャンピングカーを創ってしまう。
もう一度言う。
手違いだったのだ。もしくは事故。
出来てしまったキャンピングカーで、渋々出発する俺。だが、実はこの平和なクルマには俺自身も知らない途方もない力が隠されていた!
そんな俺とキャンピングカーに、ある願いを託す人々が現れて――
※本作は他サイトでも掲載しています
俺の伯爵家大掃除
satomi
ファンタジー
伯爵夫人が亡くなり、後妻が連れ子を連れて伯爵家に来た。俺、コーは連れ子も可愛い弟として受け入れていた。しかし、伯爵が亡くなると後妻が大きい顔をするようになった。さらに俺も虐げられるようになったし、可愛がっていた連れ子すら大きな顔をするようになった。
弟は本当に俺と血がつながっているのだろうか?など、学園で同学年にいらっしゃる殿下に相談してみると…
というお話です。
どうも、命中率0%の最弱村人です 〜隠しダンジョンを周回してたらレベル∞になったので、種族進化して『半神』目指そうと思います〜
サイダーボウイ
ファンタジー
この世界では15歳になって成人を迎えると『天恵の儀式』でジョブを授かる。
〈村人〉のジョブを授かったティムは、勇者一行が訪れるのを待つ村で妹とともに仲良く暮らしていた。
だがちょっとした出来事をきっかけにティムは村から追放を言い渡され、モンスターが棲息する森へと放り出されてしまう。
〈村人〉の固有スキルは【命中率0%】というデメリットしかない最弱スキルのため、ティムはスライムすらまともに倒せない。
危うく死にかけたティムは森の中をさまよっているうちにある隠しダンジョンを発見する。
『【煌世主の意志】を感知しました。EXスキル【オートスキップ】が覚醒します』
いきなり現れたウィンドウに驚きつつもティムは試しに【オートスキップ】を使ってみることに。
すると、いつの間にか自分のレベルが∞になって……。
これは、やがて【種族の支配者(キング・オブ・オーバーロード)】と呼ばれる男が、最弱の村人から最強種族の『半神』へと至り、世界を救ってしまうお話である。
魔法が使えない落ちこぼれ貴族の三男は、天才錬金術師のたまごでした
茜カナコ
ファンタジー
魔法使いよりも錬金術士の方が少ない世界。
貴族は生まれつき魔力を持っていることが多いが錬金術を使えるものは、ほとんどいない。
母も魔力が弱く、父から「できそこないの妻」と馬鹿にされ、こき使われている。
バレット男爵家の三男として生まれた僕は、魔力がなく、家でおちこぼれとしてぞんざいに扱われている。
しかし、僕には錬金術の才能があることに気づき、この家を出ると決めた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる