俺だけ魔力が買えるので、投資したらチートモードに突入しました

白河リオン

文字の大きさ
82 / 127
第七章 「ディストリビューション」

Intermission 12 「とある奴隷商の溜息」

しおりを挟む
 重苦しい沈黙が、部屋を支配していた。

 厚いカーテンに閉ざされた応接間。夜気を遮るその空間の中央で、アンドレは重々しく椅子に腰を下ろしていた。分厚い指輪がはまった手で額を押さえ、深く、長い吐息を漏らす。

「……まったく、やってくれる」

 あの任務。イオナ・セイランの確保。

 それは灰牙の蛇から下された至上命令であり、奴隷商として多くの依頼をこなしてきたアンドレにとっても、成功すれば、さまざまな恩恵と組織内での昇格が約束されていた。

 だが結果は――失敗。

 しかも失敗だけでは済まなかった。

「半分、だぞ……」

 使った手駒の半分を失った。捕まった者たちは、即座に魔道具が発動し、その命を絶った。口を割らせるリスクを残すわけにはいかない。

 情報漏洩は防げた。だが、経済的損失は防げない。

 奴隷を一人失えば、そこに投じた仕入れ資金と育成コストがすべて消える。今回はそれが一度に何十と消えたのだ。

「……莫大な赤字だ」

 溜息をつく。

 奴隷商として、アンドレは数多の取引をこなしてきた。裏でも表においても、決して無名ではない。いや、むしろ恐れられる存在だと自負していた。

「……畜生」

 拳で机を叩く。だが叩いたところで数字が黒字に変わるわけではない。

 しばらく沈黙が流れた。ランプの炎がちろちろと揺れ、時計の秒針がやけに耳につく。

 そんな折。

 空気がふっと冷えた。

「……来たか……」

 アンドレの視線が扉に向く。

「大変でしたね、アンドレさん」

 声に感情はほとんど含まれない。だが、その一言に込められたものをアンドレは感じ取っていた。

――次はないぞ。

 そう告げられているのだ。

 アンドレは無意識に背筋を伸ばした。

「……手駒を半分失った、だが情報漏洩はない」

「それは確認しています。あれは確かに発動。……だけど、失ったものは大きいですね」

「っ……」

「我々は、損失そのものを咎めはしませんよ」

 影はゆっくりと、窓際に歩み寄った。

「問題は結果です。イオナ・セイランを捕らえること。それを果たせなかったのは、事実として残る。そして、少々厄介なところに逃げこまれた」

 淡々とした言葉に、アンドレは歯を噛みしめた。

「わかっている」

 影は微かに肩を揺らす。それが笑みなのか、侮蔑なのかは判別できなかった。

「それと――市場の話を一つ」

「市場?」

「ええ。小麦の相場です」

 アンドレの眉がわずかに動いた。

「小麦など、農民や穀物商の領分だ。私には関係のない話だ」

「そうでしょうか? 帝国の影がちらついている。値は跳ね上がる一方でしょう。それに…」

 影の声は、感情を帯びぬまま部屋に響いた。

「あなたは多額の損失を出した。その埋め合わせをするなら、投資は一つの手です」

「投資、だと……?」

 アンドレは鼻で笑った。

「私は奴隷商だ。人を仕入れ、売り捌く。それが私の生業だ。投資だの相場だのに興味はない」

「しかし、失った金を取り戻す方法は限られている。奴隷の仕入れは今すぐには難しいでしょう。……ならば相場に賭けるしかない」

 影は背を向け、窓に手をかけた。

「我らが牙は広く世界に伸びています。小麦が跳ね上がれば、得られる利益もまた莫大。……あなたが賭けるなら、好機はすぐそこにある」

 その言葉を残し、影は消える。

 静寂が戻る。

 アンドレはしばらく動けなかった。

「……小麦相場に、賭けろと?」

 呟きは苦笑のように漏れた。

 だが、頭の中ではすでに数字が踊り始めていた。

 失った手駒、穴の空いた裏帳簿。

 それを埋めるには、従来のやり方だけでは足りない。

「相場……か」

 グラスを掴み、酒を一気に飲み干す。喉を焼くような熱さが腹の底に沈んでいく。

「……悪くはない」

 アンドレの口元に、初めて笑みが戻った。

「小麦に賭ける……そうか、これしかない」

 アンドレは帳簿を開く。

「次こそは……」

 その呟きは、酒気にまみれた部屋の中に、沈んでいった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

最低のEランクと追放されたけど、実はEXランクの無限増殖で最強でした。

みこみこP
ファンタジー
高校2年の夏。 高木華音【男】は夏休みに入る前日のホームルーム中にクラスメイトと共に異世界にある帝国【ゼロムス】に魔王討伐の為に集団転移させれた。 地球人が異世界転移すると必ずDランクからAランクの固有スキルという世界に1人しか持てないレアスキルを授かるのだが、華音だけはEランク・【ムゲン】という存在しない最低ランクの固有スキルを授かったと、帝国により死の森へ捨てられる。 しかし、華音の授かった固有スキルはEXランクの無限増殖という最強のスキルだったが、本人は弱いと思い込み、死の森を生き抜く為に無双する。

狼になっちゃった!

家具屋ふふみに
ファンタジー
登山中に足を滑らせて滑落した私。気が付けば何処かの洞窟に倒れていた。……しかも狼の姿となって。うん、なんで? 色々と試していたらなんか魔法みたいな力も使えたし、此処ってもしや異世界!? ……なら、なんで私の目の前を通る人間の手にはスマホがあるんでしょう? これはなんやかんやあって狼になってしまった私が、気まぐれに人間を助けたりして勝手にワッショイされるお話である。

魔道具頼みの異世界でモブ転生したのだがチート魔法がハンパない!~できればスローライフを楽しみたいんだけど周りがほっといてくれません!~

トモモト ヨシユキ
ファンタジー
10才の誕生日に女神に与えられた本。 それは、最強の魔道具だった。 魔道具頼みの異世界で『魔法』を武器に成り上がっていく! すべては、憧れのスローライフのために! エブリスタにも掲載しています。

キャンピングカーで走ってるだけで異世界が平和になるそうです~万物生成系チートスキルを添えて~

サメのおでこ
ファンタジー
手違いだったのだ。もしくは事故。 ヒトと魔族が今日もドンパチやっている世界。行方不明の勇者を捜す使命を帯びて……訂正、押しつけられて召喚された俺は、スキル≪物質変換≫の使い手だ。 木を鉄に、紙を鋼に、雪をオムライスに――あらゆる物質を望むがままに変換してのけるこのスキルは、しかし何故か召喚師から「役立たずのド三流」と罵られる。その挙げ句、人界の果てへと魔法で追放される有り様。 そんな俺は、≪物質変換≫でもって生き延びるための武器を生み出そうとして――キャンピングカーを創ってしまう。 もう一度言う。 手違いだったのだ。もしくは事故。 出来てしまったキャンピングカーで、渋々出発する俺。だが、実はこの平和なクルマには俺自身も知らない途方もない力が隠されていた! そんな俺とキャンピングカーに、ある願いを託す人々が現れて―― ※本作は他サイトでも掲載しています

魔法が使えない落ちこぼれ貴族の三男は、天才錬金術師のたまごでした

茜カナコ
ファンタジー
魔法使いよりも錬金術士の方が少ない世界。 貴族は生まれつき魔力を持っていることが多いが錬金術を使えるものは、ほとんどいない。 母も魔力が弱く、父から「できそこないの妻」と馬鹿にされ、こき使われている。 バレット男爵家の三男として生まれた僕は、魔力がなく、家でおちこぼれとしてぞんざいに扱われている。 しかし、僕には錬金術の才能があることに気づき、この家を出ると決めた。

俺の伯爵家大掃除

satomi
ファンタジー
伯爵夫人が亡くなり、後妻が連れ子を連れて伯爵家に来た。俺、コーは連れ子も可愛い弟として受け入れていた。しかし、伯爵が亡くなると後妻が大きい顔をするようになった。さらに俺も虐げられるようになったし、可愛がっていた連れ子すら大きな顔をするようになった。 弟は本当に俺と血がつながっているのだろうか?など、学園で同学年にいらっしゃる殿下に相談してみると… というお話です。

家族と魔法と異世界ライフ!〜お父さん、転生したら無職だったよ〜

三瀬夕
ファンタジー
「俺は加藤陽介、36歳。普通のサラリーマンだ。日本のある町で、家族5人、慎ましく暮らしている。どこにでいる一般家庭…のはずだったんだけど……ある朝、玄関を開けたら、そこは異世界だった。一体、何が起きたんだ?転生?転移?てか、タイトル何これ?誰が考えたの?」 「えー、可愛いし、いいじゃん!ぴったりじゃない?私は楽しいし」 「あなたはね、魔導師だもん。異世界満喫できるじゃん。俺の職業が何か言える?」 「………無職」 「サブタイトルで傷、えぐらないでよ」 「だって、哀愁すごかったから。それに、私のことだけだと、寂しいし…」 「あれ?理沙が考えてくれたの?」 「そうだよ、一生懸命考えました」 「ありがとな……気持ちは嬉しいんだけど、タイトルで俺のキャリア終わっちゃってる気がするんだよな」 「陽介の分まで、私が頑張るね」 「いや、絶対、“職業”を手に入れてみせる」 突然、異世界に放り込まれた加藤家。 これから先、一体、何が待ち受けているのか。 無職になっちゃったお父さんとその家族が織りなす、異世界コメディー? 愛する妻、まだ幼い子どもたち…みんなの笑顔を守れるのは俺しかいない。 ──家族は俺が、守る!

戦場帰りの俺が隠居しようとしたら、最強の美少女たちに囲まれて逃げ場がなくなった件

さん
ファンタジー
戦場で命を削り、帝国最強部隊を率いた男――ラル。 数々の激戦を生き抜き、任務を終えた彼は、 今は辺境の地に建てられた静かな屋敷で、 わずかな安寧を求めて暮らしている……はずだった。 彼のそばには、かつて命を懸けて彼を支えた、最強の少女たち。 それぞれの立場で戦い、支え、尽くしてきた――ただ、すべてはラルのために。 今では彼の屋敷に集い、仕え、そして溺愛している。   「ラルさまさえいれば、わたくしは他に何もいりませんわ!」 「ラル様…私だけを見ていてください。誰よりも、ずっとずっと……」 「ねぇラル君、その人の名前……まだ覚えてるの?」 「ラル、そんなに気にしなくていいよ!ミアがいるから大丈夫だよねっ!」   命がけの戦場より、ヒロインたちの“甘くて圧が強い愛情”のほうが数倍キケン!? 順番待ちの寝床争奪戦、過去の恋の追及、圧バトル修羅場―― ラルの平穏な日常は、最強で一途な彼女たちに包囲されて崩壊寸前。   これは―― 【過去の傷を背負い静かに生きようとする男】と 【彼を神のように慕う最強少女たち】が織りなす、 “甘くて逃げ場のない生活”の物語。   ――戦場よりも生き延びるのが難しいのは、愛されすぎる日常だった。 ※表紙のキャラはエリスのイメージ画です。

処理中です...