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第十章 「フラクチュエーション」
Intermission 28 「カエルム機関」
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~憲章暦997年7月1日(火の日)~
レオリア王国王都エルドレイン――その中心にそびえる王宮は、湖に浮かぶ白亜の城塞だ。背後には巨大な瀑布が流れ落ち、細かな水霧が光を受けて虹をつくる。
しかし、そのはなやかな外観の裏側には、国の命運を日陰で担う者たちが存在する。
カエルム機関。
それは専用の庁舎も地下室も持たない。
王宮の執務室、資料庫の裏、書記官詰め所の一角――
どこにでも紛れ込んでいるという形こそが、この機関の本質だった。
そして今日も一人の男が、王宮文官として働くふりをしながら、静かに任務へと向かっていた。
茶髪に銀縁の眼鏡、端正な顔立ち。その男――レクス・ヴァルクは書類束を抱え、何気ない足取りで宮内回廊を歩いていた。
外見は平凡な文官にしか見えない。だが、その奥には別の顔がある。
カエルム機関・情報分析兼実行班の工作員である。
レクスは、王宮南棟の執務室の扉をノックした。
「入れ」
静かに返ってきた声の主は、この部屋の主――
文官長補佐 セレス・ハイフォート。
もちろん、肩書きは表向きのものだ。実態はカエルム機関の班長である。
レクスは中に入り、書類束を机上に置くふりをしながら声を落とした。
「――依頼されていた調査の、中間報告です」
セレスは細い指で眼鏡を押し上げ、視線だけで続きを促す。
「アーガナス周辺で発生したダンジョンについてですが……結論から申し上げます。発生要因には、やはり王国宝物庫から消失した禁忌魔道具――『虚牢の蕾』が関わっている可能性が高いと判断します」
静かな執務室に、紙をめくる音だけが落ちた。
「虚牢の蕾……。黒淵灯と同時期に盗まれた危険な魔道具」
「はい。内部構造から見ても、魔力の強制圧縮と空間乖離を誘発する疑似ダンジョン生成型の魔道具です。アーガナスで確認された魔素濃度の急激な上昇、構造崩壊後に残留した魔力場歪曲……どれも一致します」
「魔力の供給源は?」
「おそらく大量の奴隷が消費された形跡あり。痕跡は意図的に消されていますが、残滓がありました」
セレスは短く息をつき、机上で指を組んだ。
「……ダンジョンは消滅したと報告を受けているが?」
「はい、魔力枯渇により消滅。現在は周辺でフレイジアの栽培が始められており、魔素汚染も収束傾向です。ですが、肝心の魔道具の行方は不明のまま」
「ふむ」
セレスの表情はほとんど動かない。
「追加情報を伝えておく」
低い声が落とされた。
「この魔道具を追うなら――ロピカルハへ向かえ」
レクスは眉をわずかにひそめた。
「根拠は? ロピカルハとの関連は確認できていませんが」
「とある方からの情報だ」
意図的に説明を省いている声音だった。レクスは眼鏡のブリッジを押し上げる。
「……真偽の怪しい情報を追うのは、非効率では?」
「詮索はするな、レクス。我々の職分は、情報の選別ではなく任務の遂行だ。ちょうど彼の国では、王女の結婚が予定されているらしい。文官として向かう理由を用意しておく、回収を急げ」
レクスは、短い沈黙ののち小さく息を吐く。
「……了解しました。準備に入ります」
執務室を出て扉を閉めた瞬間、背後から軽い声が飛んだ。
「お疲れっす、先輩。やっぱり押しつけられました?」
金髪をラフに後ろへ流した青年――カイル・フェンロッドが壁にもたれ、にやりと笑っていた。カイルもまたカエルム機関の工作員であり、レクスの後輩でありバディでもある。
「聞き耳を立てるな。行儀が悪いぞ」
「いやいや、機関じゃ普通でしょ。で? ロピカルハって、いいですねリゾート」
「仕事だ」
「ですよね~……。でも先輩、あの件どうするんです?」
カイルは声をひそめ、廊下の窓際に目を向ける。
「最近、ラルトロン大公に寄っていく貴族、多すぎません? 裏で何か企んでますよあれ絶対」
レクスは歩みを止めず答える。
「ラルトロン……それもあるが、俺はアリスタル公を疑っている。息女が奴隷オークションに出入りしている情報もある。ダンジョン生成に必要な魔力供給源を考えると、奴隷調達の線は無視できない」
「でも先輩、『一か月戦争』、ティラナのときの動きを見れば……アリスタル家はむしろ国王派寄りじゃないですか? 黒幕なら、もっと違う動きしてたと思うんすけどね~」
「可能性の話だ。どの貴族も白と決めつけるのは早い」
「相変わらず慎重ですね」
カイルは苦笑したが、次の瞬間だけ眼差しを鋭くした。
「……でも気をつけてくださいよ。今回の件、裏が深そうです」
「承知している。だから行く」
「ロピカルハに、っすね」
レクスはようやく足を止めた。回廊の窓からは湖面がきらめきを返し、遠く瀑布の水煙が陽光を散らしている。
「命令だ。行くしかないだろう」
茶髪が揺れ、レクスは眼鏡を指で押し上げた。湖上を風が吹く、妙に胸にざらつきを残す。
――虚牢の蕾は、どこへ消えたのか。
答えはまだ闇の中だ。
だが闇こそが、カエルム機関の領分であった。
レオリア王国王都エルドレイン――その中心にそびえる王宮は、湖に浮かぶ白亜の城塞だ。背後には巨大な瀑布が流れ落ち、細かな水霧が光を受けて虹をつくる。
しかし、そのはなやかな外観の裏側には、国の命運を日陰で担う者たちが存在する。
カエルム機関。
それは専用の庁舎も地下室も持たない。
王宮の執務室、資料庫の裏、書記官詰め所の一角――
どこにでも紛れ込んでいるという形こそが、この機関の本質だった。
そして今日も一人の男が、王宮文官として働くふりをしながら、静かに任務へと向かっていた。
茶髪に銀縁の眼鏡、端正な顔立ち。その男――レクス・ヴァルクは書類束を抱え、何気ない足取りで宮内回廊を歩いていた。
外見は平凡な文官にしか見えない。だが、その奥には別の顔がある。
カエルム機関・情報分析兼実行班の工作員である。
レクスは、王宮南棟の執務室の扉をノックした。
「入れ」
静かに返ってきた声の主は、この部屋の主――
文官長補佐 セレス・ハイフォート。
もちろん、肩書きは表向きのものだ。実態はカエルム機関の班長である。
レクスは中に入り、書類束を机上に置くふりをしながら声を落とした。
「――依頼されていた調査の、中間報告です」
セレスは細い指で眼鏡を押し上げ、視線だけで続きを促す。
「アーガナス周辺で発生したダンジョンについてですが……結論から申し上げます。発生要因には、やはり王国宝物庫から消失した禁忌魔道具――『虚牢の蕾』が関わっている可能性が高いと判断します」
静かな執務室に、紙をめくる音だけが落ちた。
「虚牢の蕾……。黒淵灯と同時期に盗まれた危険な魔道具」
「はい。内部構造から見ても、魔力の強制圧縮と空間乖離を誘発する疑似ダンジョン生成型の魔道具です。アーガナスで確認された魔素濃度の急激な上昇、構造崩壊後に残留した魔力場歪曲……どれも一致します」
「魔力の供給源は?」
「おそらく大量の奴隷が消費された形跡あり。痕跡は意図的に消されていますが、残滓がありました」
セレスは短く息をつき、机上で指を組んだ。
「……ダンジョンは消滅したと報告を受けているが?」
「はい、魔力枯渇により消滅。現在は周辺でフレイジアの栽培が始められており、魔素汚染も収束傾向です。ですが、肝心の魔道具の行方は不明のまま」
「ふむ」
セレスの表情はほとんど動かない。
「追加情報を伝えておく」
低い声が落とされた。
「この魔道具を追うなら――ロピカルハへ向かえ」
レクスは眉をわずかにひそめた。
「根拠は? ロピカルハとの関連は確認できていませんが」
「とある方からの情報だ」
意図的に説明を省いている声音だった。レクスは眼鏡のブリッジを押し上げる。
「……真偽の怪しい情報を追うのは、非効率では?」
「詮索はするな、レクス。我々の職分は、情報の選別ではなく任務の遂行だ。ちょうど彼の国では、王女の結婚が予定されているらしい。文官として向かう理由を用意しておく、回収を急げ」
レクスは、短い沈黙ののち小さく息を吐く。
「……了解しました。準備に入ります」
執務室を出て扉を閉めた瞬間、背後から軽い声が飛んだ。
「お疲れっす、先輩。やっぱり押しつけられました?」
金髪をラフに後ろへ流した青年――カイル・フェンロッドが壁にもたれ、にやりと笑っていた。カイルもまたカエルム機関の工作員であり、レクスの後輩でありバディでもある。
「聞き耳を立てるな。行儀が悪いぞ」
「いやいや、機関じゃ普通でしょ。で? ロピカルハって、いいですねリゾート」
「仕事だ」
「ですよね~……。でも先輩、あの件どうするんです?」
カイルは声をひそめ、廊下の窓際に目を向ける。
「最近、ラルトロン大公に寄っていく貴族、多すぎません? 裏で何か企んでますよあれ絶対」
レクスは歩みを止めず答える。
「ラルトロン……それもあるが、俺はアリスタル公を疑っている。息女が奴隷オークションに出入りしている情報もある。ダンジョン生成に必要な魔力供給源を考えると、奴隷調達の線は無視できない」
「でも先輩、『一か月戦争』、ティラナのときの動きを見れば……アリスタル家はむしろ国王派寄りじゃないですか? 黒幕なら、もっと違う動きしてたと思うんすけどね~」
「可能性の話だ。どの貴族も白と決めつけるのは早い」
「相変わらず慎重ですね」
カイルは苦笑したが、次の瞬間だけ眼差しを鋭くした。
「……でも気をつけてくださいよ。今回の件、裏が深そうです」
「承知している。だから行く」
「ロピカルハに、っすね」
レクスはようやく足を止めた。回廊の窓からは湖面がきらめきを返し、遠く瀑布の水煙が陽光を散らしている。
「命令だ。行くしかないだろう」
茶髪が揺れ、レクスは眼鏡を指で押し上げた。湖上を風が吹く、妙に胸にざらつきを残す。
――虚牢の蕾は、どこへ消えたのか。
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