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第十二章 「レラティブバリュー」
第116話 「スムース」
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~憲章暦997年8月7日(水の日)~
すでにカルハ島の港は遠ざかっていた。
甲板の上で、俺は潮風を胸いっぱいに吸い込む。
夜はまだ完全には明けきっていない。空が薄く白み始めたばかりだ。港を出たのは、空が群青に沈んでいた時間帯だった。
――静かすぎる。
帆はゆるやかに風を受け、船体はほとんど揺れない。波も穏やかだ。まるで、こちらの出航を歓迎しているかのように。
俺たちが選んだのは、公爵家の紋章が入った豪華な船じゃない。
地味な商船だ。
色もくすんでいて、普段の積み荷も香辛料と日用品ばかり。港の誰が見てもよくある交易船にしか見えない。
目立たない。追われにくい。追われる前提で動いていた。
「……妙だな」
俺は小さく呟く。
背後でフィリアがマントを押さえながら海を見ていた。
「ええ。妙ですわ」
フィリアの声音も硬い。
クロエは船縁に腰掛け、足をぶらぶらと揺らしている。
「なにが?」
「妨害がない」
俺は即答した。
シギルと王太子が裏で繋がっているなら、俺たちがニナを連れてアバタオ島に向かうのを黙って見送るはずがない。
港で足止め。検問。あるいは海上での襲撃。いくらでも手はあったはずだ。
だが――
検問は形式的なものだけ。
誰もニナを確認しようとしなかった。
出航許可も驚くほどあっさり下りた。用意していた強行突破の策も不要だった。
風向きまで味方している。
「逆に、怪しいですわね」
フィリアが小さくため息をつく。
レイラが腕を組んだまま、海を睨む。
「罠、かもしれないね」
その言葉が、俺の胸に落ちる。
「……出発を止めないってことは」
俺はゆっくり整理する。
「向こうも、ニナをアバタオ島に連れていきたいってことかもしれない」
その可能性に、空気が一段重くなる。
ニナは、青龍の鍵だ。
もし向こうが龍脈を完全に掌握するつもりなら、鍵をそこへ導くのは自然な流れだ。
「止める必要がない」
クロエがぼそりと言う。
「どうせ、到着したあとで回収すればいいって考えてるのかもね」
ぞくりと背筋が冷える。
「つまり」
俺は甲板の手すりを握る。
「本番はアバタオ島ってことか」
「そういうことかなぁ」
クロエは軽く肩をすくめるが、その赤い瞳は笑っていない。
ニナは船室で休んでいる。
リーリアが付き添っているから、少しは安心だ。
ヒカリも同じ船に乗っている。勇者の力とどう付き合っていくのかは未知数だ。
万全とは言い難い半日の航海。
時間にすれば短い。
だが、この何も起きない時間が、妙に長く感じる。
空はすっかり明るくなり、海面が青く輝き始める。
海鳥が何羽か、船の上空を旋回している。
静かだ。
平和だ。
――だからこそ、不気味だ。
「アルヴィオ」
フィリアが静かに呼ぶ。
「もし奴らも同じ目的なら、アバタオ島でのトラブルは覚悟する必要があるかもしれませんわ」
「ああ」
俺は頷く。
「龍脈の中枢。向こうにとっても最重要地点だ」
公然と襲撃するより、島に着いてから絡めとるほうが効率はいい。
逃げ場も少ない。
「なら、到着後は慎重に動く必要があるな」
俺の言葉にレイラがにやりと笑う。
「久々に戦いがいがありそうだね」
クロエは空を見上げたままだ。
昼が近づく。
陽光が強くなり、水平線の彼方に、ぼんやりとした影が浮かび上がる。
「あれ……?」
リーリアの声が、船室の入り口から聞こえた。
俺は目を細める。
青い海の向こうに、緑の輪郭。
山の稜線が、ゆっくりと形を持つ。
ニナの故郷、アバタオ島。
そして――龍脈が眠る場所。
俺は、無意識に拳を握っていた。
ここまでは、あまりにもスムーズだ。
だが――。
本当に怖いのは、いつだって静かな時間のあとだ。
投資でもリスクが見えずらい取引ほど、危険なのだ。
帆がはためき、船はさらに速度を上げる。
アバタオ島の輪郭が、はっきりと視界に浮かび上がった。
すでにカルハ島の港は遠ざかっていた。
甲板の上で、俺は潮風を胸いっぱいに吸い込む。
夜はまだ完全には明けきっていない。空が薄く白み始めたばかりだ。港を出たのは、空が群青に沈んでいた時間帯だった。
――静かすぎる。
帆はゆるやかに風を受け、船体はほとんど揺れない。波も穏やかだ。まるで、こちらの出航を歓迎しているかのように。
俺たちが選んだのは、公爵家の紋章が入った豪華な船じゃない。
地味な商船だ。
色もくすんでいて、普段の積み荷も香辛料と日用品ばかり。港の誰が見てもよくある交易船にしか見えない。
目立たない。追われにくい。追われる前提で動いていた。
「……妙だな」
俺は小さく呟く。
背後でフィリアがマントを押さえながら海を見ていた。
「ええ。妙ですわ」
フィリアの声音も硬い。
クロエは船縁に腰掛け、足をぶらぶらと揺らしている。
「なにが?」
「妨害がない」
俺は即答した。
シギルと王太子が裏で繋がっているなら、俺たちがニナを連れてアバタオ島に向かうのを黙って見送るはずがない。
港で足止め。検問。あるいは海上での襲撃。いくらでも手はあったはずだ。
だが――
検問は形式的なものだけ。
誰もニナを確認しようとしなかった。
出航許可も驚くほどあっさり下りた。用意していた強行突破の策も不要だった。
風向きまで味方している。
「逆に、怪しいですわね」
フィリアが小さくため息をつく。
レイラが腕を組んだまま、海を睨む。
「罠、かもしれないね」
その言葉が、俺の胸に落ちる。
「……出発を止めないってことは」
俺はゆっくり整理する。
「向こうも、ニナをアバタオ島に連れていきたいってことかもしれない」
その可能性に、空気が一段重くなる。
ニナは、青龍の鍵だ。
もし向こうが龍脈を完全に掌握するつもりなら、鍵をそこへ導くのは自然な流れだ。
「止める必要がない」
クロエがぼそりと言う。
「どうせ、到着したあとで回収すればいいって考えてるのかもね」
ぞくりと背筋が冷える。
「つまり」
俺は甲板の手すりを握る。
「本番はアバタオ島ってことか」
「そういうことかなぁ」
クロエは軽く肩をすくめるが、その赤い瞳は笑っていない。
ニナは船室で休んでいる。
リーリアが付き添っているから、少しは安心だ。
ヒカリも同じ船に乗っている。勇者の力とどう付き合っていくのかは未知数だ。
万全とは言い難い半日の航海。
時間にすれば短い。
だが、この何も起きない時間が、妙に長く感じる。
空はすっかり明るくなり、海面が青く輝き始める。
海鳥が何羽か、船の上空を旋回している。
静かだ。
平和だ。
――だからこそ、不気味だ。
「アルヴィオ」
フィリアが静かに呼ぶ。
「もし奴らも同じ目的なら、アバタオ島でのトラブルは覚悟する必要があるかもしれませんわ」
「ああ」
俺は頷く。
「龍脈の中枢。向こうにとっても最重要地点だ」
公然と襲撃するより、島に着いてから絡めとるほうが効率はいい。
逃げ場も少ない。
「なら、到着後は慎重に動く必要があるな」
俺の言葉にレイラがにやりと笑う。
「久々に戦いがいがありそうだね」
クロエは空を見上げたままだ。
昼が近づく。
陽光が強くなり、水平線の彼方に、ぼんやりとした影が浮かび上がる。
「あれ……?」
リーリアの声が、船室の入り口から聞こえた。
俺は目を細める。
青い海の向こうに、緑の輪郭。
山の稜線が、ゆっくりと形を持つ。
ニナの故郷、アバタオ島。
そして――龍脈が眠る場所。
俺は、無意識に拳を握っていた。
ここまでは、あまりにもスムーズだ。
だが――。
本当に怖いのは、いつだって静かな時間のあとだ。
投資でもリスクが見えずらい取引ほど、危険なのだ。
帆がはためき、船はさらに速度を上げる。
アバタオ島の輪郭が、はっきりと視界に浮かび上がった。
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