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第十三章 「アイランドリバーサル」
第137話 「扉」
王妃の先導で、俺たちは夜の王宮外縁を進んでいた。
雲が多いせいか、空は低く沈んで見える。王宮の明かりだけが遠くに浮かぶ。
先頭を歩く王妃は、足音ひとつ無駄がなかった。
「この先です」
王妃が小さく言う。
王妃が向かっているのは、王宮の裏手にある丘の方角だった。
見覚えがある。あの夜に、俺たちがあの異様な戦いに巻き込まれた丘。その近くを、王妃は迷いなく進んでいく。
その後ろを歩くみんなの背中は、戦う人間のそれだった。
夜の湿った風が、草を揺らす。その中を俺たちは言葉少なく進んでいった。
丘のあたりは王宮の外縁といっても人気がなく、見張りの灯りも遠い。ここだけ切り離されたみたいな感覚を覚える。
王妃は、やがて何でもない場所で立ち止まった。
「ここです」
王妃はそう言って、岩壁の前に立つ。
右手を上げ、静かに息を吸った。
次の瞬間、王妃の指先に淡い光が灯る。金とも銀ともつかない、薄い魔力の糸が空中に走り、見えない紋様をなぞるように広がっていく。
空間が、ゆっくり歪んだ。
「……っ」
リーリアが小さく息を呑む。
俺も思わず目を凝らした。
何もなかったはずの岩壁の前で、景色そのものがたわむ。水面を下から押し上げたみたいに空気が揺れて、そこに輪郭が浮かぶ。
扉だった。古い石造りの扉。
苔むしたような意匠と、王家の紋章を崩したような古い刻印。長い時間、そこにありながら誰にも見つからなかったものが、ようやく姿を現したように見えた。
「まだです」
王妃は小さく告げると、今度は別の術を重ねた。
指先の光が扉の表面を走る。
刻印がひとつずつ目を覚ますように淡く灯り、やがて重い音とともに石扉が内側へずれていった。
冷たい空気が、隙間から流れ出る。
土と石と、閉ざされた地下の匂いだ。
「王宮地下へ通じる、古い王族用避難路です」
王妃の声は静かだった。
「ここから先は、一本道ではありません。ですが、地下の中程までは安全に進めます」
王妃はそう言って、開いた扉の奥へ視線を向けた。
中は暗い。だが、完全な闇じゃない。壁の奥に埋め込まれた古い導光石が、死にかけた星みたいに淡く光っている。
石階段は下へ続いていた。
「では、行こうか」
最初に動いたのはクロエだった。
赤くなった髪を軽く払って、クロエはいつもの調子で言う。声は落ち着いている。だが、目の奥は鋭かった。
「ニナちゃん、ティタニア、ミラ。中では声を抑えて。分かれ道に入ったら、私とミラで先を見る」
「ええ」
ティタニアが短く頷く。
ミラは無言のまま、腰の短剣の位置を確かめた。
ニナは一度だけ王妃を見て、それからしっかりと頷いた。
「……行きます」
ニナの声ははっきりとしていた。
その横で、レイラが軽く肩を回す。
「じゃあ、あたしらは中で分かれて奴隷を拾う。騒ぎが必要になったら、遠慮なくやるよ」
「頼む」
俺が言うと、レイラは口の端を上げた。
「任せときな、少年」
ヒカリは少し強張った顔のまま、それでも前を見ている。
カイルは地図をたたみ、胸元へしまった。
「合流地点は、予定どおり第二分岐。そこまでに状況が変わった場合は、現場判断で動きます」
「ああ。死ぬなよ」
「善処します」
ひどく冷静な返事だった。
そのやり取りをしながら、俺はどうしようもなく腹の奥が重くなるのを感じていた。
俺も、本当なら行きたかった。
中で何が起きるのか、自分の目で見て、自分の手で決めたかった。
だが今の俺は、歩くのがやっとだ。ここで意地を張ると邪魔なる。
わかってる。
わかってるけど、面白くはない。
「アルさん」
アイラの小さな声が、すぐ隣で聞こえた。
振り向くと、アイラが俺を見ていた。
俺は息を吐いて、小さく頷く。
「ああ。分かってる」
中に入る連中が前へ進むためには、外で支える手が要る。
今回の俺は、そっちの役回りだ。
「では」
王妃が、静かに一歩下がる。
「どうか、娘を」
その一言にクロエが短く頷く。
「助けるよ」
レイラは片手を上げた。
「ついでに、巻き込まれた連中も引っ張り出してくる」
ティタニアは何も言わず、ただ前へ進む。
ミラ、ニナ、ヒカリ、カイルもそれに続く。
暗い避難路へ、一人ずつ消えていく背中。
最後にクロエが振り返った。
「アル」
「なんだ」
「外、任せたよ」
「そっちもな」
クロエは小さく笑って、闇の中へ消えた。
雲が多いせいか、空は低く沈んで見える。王宮の明かりだけが遠くに浮かぶ。
先頭を歩く王妃は、足音ひとつ無駄がなかった。
「この先です」
王妃が小さく言う。
王妃が向かっているのは、王宮の裏手にある丘の方角だった。
見覚えがある。あの夜に、俺たちがあの異様な戦いに巻き込まれた丘。その近くを、王妃は迷いなく進んでいく。
その後ろを歩くみんなの背中は、戦う人間のそれだった。
夜の湿った風が、草を揺らす。その中を俺たちは言葉少なく進んでいった。
丘のあたりは王宮の外縁といっても人気がなく、見張りの灯りも遠い。ここだけ切り離されたみたいな感覚を覚える。
王妃は、やがて何でもない場所で立ち止まった。
「ここです」
王妃はそう言って、岩壁の前に立つ。
右手を上げ、静かに息を吸った。
次の瞬間、王妃の指先に淡い光が灯る。金とも銀ともつかない、薄い魔力の糸が空中に走り、見えない紋様をなぞるように広がっていく。
空間が、ゆっくり歪んだ。
「……っ」
リーリアが小さく息を呑む。
俺も思わず目を凝らした。
何もなかったはずの岩壁の前で、景色そのものがたわむ。水面を下から押し上げたみたいに空気が揺れて、そこに輪郭が浮かぶ。
扉だった。古い石造りの扉。
苔むしたような意匠と、王家の紋章を崩したような古い刻印。長い時間、そこにありながら誰にも見つからなかったものが、ようやく姿を現したように見えた。
「まだです」
王妃は小さく告げると、今度は別の術を重ねた。
指先の光が扉の表面を走る。
刻印がひとつずつ目を覚ますように淡く灯り、やがて重い音とともに石扉が内側へずれていった。
冷たい空気が、隙間から流れ出る。
土と石と、閉ざされた地下の匂いだ。
「王宮地下へ通じる、古い王族用避難路です」
王妃の声は静かだった。
「ここから先は、一本道ではありません。ですが、地下の中程までは安全に進めます」
王妃はそう言って、開いた扉の奥へ視線を向けた。
中は暗い。だが、完全な闇じゃない。壁の奥に埋め込まれた古い導光石が、死にかけた星みたいに淡く光っている。
石階段は下へ続いていた。
「では、行こうか」
最初に動いたのはクロエだった。
赤くなった髪を軽く払って、クロエはいつもの調子で言う。声は落ち着いている。だが、目の奥は鋭かった。
「ニナちゃん、ティタニア、ミラ。中では声を抑えて。分かれ道に入ったら、私とミラで先を見る」
「ええ」
ティタニアが短く頷く。
ミラは無言のまま、腰の短剣の位置を確かめた。
ニナは一度だけ王妃を見て、それからしっかりと頷いた。
「……行きます」
ニナの声ははっきりとしていた。
その横で、レイラが軽く肩を回す。
「じゃあ、あたしらは中で分かれて奴隷を拾う。騒ぎが必要になったら、遠慮なくやるよ」
「頼む」
俺が言うと、レイラは口の端を上げた。
「任せときな、少年」
ヒカリは少し強張った顔のまま、それでも前を見ている。
カイルは地図をたたみ、胸元へしまった。
「合流地点は、予定どおり第二分岐。そこまでに状況が変わった場合は、現場判断で動きます」
「ああ。死ぬなよ」
「善処します」
ひどく冷静な返事だった。
そのやり取りをしながら、俺はどうしようもなく腹の奥が重くなるのを感じていた。
俺も、本当なら行きたかった。
中で何が起きるのか、自分の目で見て、自分の手で決めたかった。
だが今の俺は、歩くのがやっとだ。ここで意地を張ると邪魔なる。
わかってる。
わかってるけど、面白くはない。
「アルさん」
アイラの小さな声が、すぐ隣で聞こえた。
振り向くと、アイラが俺を見ていた。
俺は息を吐いて、小さく頷く。
「ああ。分かってる」
中に入る連中が前へ進むためには、外で支える手が要る。
今回の俺は、そっちの役回りだ。
「では」
王妃が、静かに一歩下がる。
「どうか、娘を」
その一言にクロエが短く頷く。
「助けるよ」
レイラは片手を上げた。
「ついでに、巻き込まれた連中も引っ張り出してくる」
ティタニアは何も言わず、ただ前へ進む。
ミラ、ニナ、ヒカリ、カイルもそれに続く。
暗い避難路へ、一人ずつ消えていく背中。
最後にクロエが振り返った。
「アル」
「なんだ」
「外、任せたよ」
「そっちもな」
クロエは小さく笑って、闇の中へ消えた。
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