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第十三話
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「入れ」
執務室に響き渡ったノックの音に、アルハザードは端的に告げる。それにこたえて、扉が押し開かれた。
「……失礼いたします」
入ってきたのは、デュラス・ベルリエンデ公爵だった。その顔は、心なしか青ざめて見える。
「本日は、急なことにも関わらずお時間をいただき……」
「前置きはいい。要件はわかっている」
定型のあいさつとともに頭を下げようとしたデュラスを、アルハザードはさえぎった。
「ご息女の……アンジェのことだな?」
「はい……あの男より、聖女の件は聞きました……それで……」
「それで?」
ため息を何とか飲み込んで、アルハザードは続きを促した。
「何とか……ならないのでしょうか?」
「……デュラス。お前の気持ちはわかる。だがな」
言葉を切って、アルハザードはチェアに身を沈めた。牛の本革がギシリときしむ音がする。
「『聖騎士』と『聖女』を世界守護の要にすると定めたのは、ほかならぬ我々だ、デュラス」
「し、しかし、それではあまりにも……あの子は、アンジェリーナはまだ十七歳なのですぞ!!」
「先代の聖女たるイリス・アルフェノスは任命されたときは十四歳、聖騎士・ゼノン・マクシミリアンに至っては十歳だった。当時の二人に同じことが言えるのか?」
「……!!」
「デュラス、私としてもなぜ彼女なのかと思うよ。だが、『聖女』や『聖騎士』を選ぶのは我々でなければ、教団でもない」
決然とデュラスの顔を見返しながら、アルハザードは言う。
「『装星機』自身の意思だ。そうでなければ、ゼノンが王都に現れるまでの六十年間、あれだけの存在に埃を被らせるようなことを許すはずがなかろう」
「それが……そもそもの間違いだった!!」
ついにデュラスは吐き捨てる。
「あの男が……あの汚い盗人が選ばれたとき、幽閉し自我を奪うべきだった!! あの方が仏心など見せなければ……」
「それはもう終わった話だ」
「陛下のほうこそ、あんな粗野な男が国に加わることを、なぜ良しとしたのですか!?」
「口の利き方に気をつけろ」
目の前の国王の鋭い声に、デュラスは絶句した。
「あれでも、お前にとってはかしずくべき相手だ。同時に、私にとっては息子の命の恩人だ。アーノルドとレオナルドがなぜやつをああも慕っていたのか、お前とて知らぬわけではなかろう?」
言葉を切り、過去を懐かしむかのように目を細める。
「我々が駆け付けた時、あの二人は真っ先にゼノンの助命を嘆願した。勝手に入ったのは自分たちだ、そこで危ないところを助けてくれたとな。それに近衛兵やフローレンスも同意していた。人質に使わなかった時点で、少なくとも二人への害意はなかったとな」
「聞いております……それに……家内の親戚も……かの、『白銀の戦女神』も同意した、と……」
「その後の経緯はお前も知っての通りだ。かの公爵令嬢は弟子としてゼノンの身柄を預かり、ヴェルディアでの修行とこの王宮での教育を経て……『精霊戦争』が勃発した」
疲れたように、チェアにさらに深く身を沈める。
「我々は、多くを子供たちに押し付けてきた。我々な決断の結果、ゼノンは『棺背負い』の汚名をかぶり、イリスは人柱としてその命を散らした。今、それを清算すべき時が来ている……それだけのことだよ」
「そのために、娘の将来を差し出せと……」
「繰り返すが、そのように定めたのはほかならぬ我々自身だよ、デュラス。我々の番が来た……それだけでしかないんだ」
「…………」
「まぁ、納得はいかんだろうが……一応聞いておこう」
「? なんでしょう?」
「ご息女と……ゼノンを婚約させる気はないか?」
「な……」
一瞬絶句してしまう。だが国王の目を見返すと、完全に本気の目だった。
「何を……おっしゃるのですか?」
「冗談などではないぞ。実際問題、近いうちに次なる『聖女』の誕生は知られることになる。その時に、彼女の立場を守るには一番簡単な方法だと思うがな」
「それでなぜあの男なのです!!」
「『聖騎士』だからだ。ほかに理由はいるか?」
その言葉に、デュラスはグッと詰まってしまった。
目の前の男の、ともに学院で研鑽を積んだ同級生でもある男の目を見て、デュラスは確信した。今、相手は王として物を言っている。
「我ら王家としても、アンジェを手放すつもりはない。彼女の優秀さはお前に言われるまでもなくわかっている。お前に選択肢はないぞ」
「…………」
「いずれにせよ、このまま無策でいれば先代を後追いするだけだ。それはお前も望まないだろう? よく考えておけ」
「…………」
怒涛の如く押し寄せる現実の前に、デュラスは言葉を出せなかった。
「落ち着かれましたか?」
「ああ、すまない。面倒を掛けたな」
穏やかな問いに、ゼノンはバツが悪そうに答えた。
それに対するアンジェリーナの言葉は、ゼノンには思いがけないものだった。
「面倒などと、言わないでくださいませ」
「アンジェリーナ嬢?」
「あなた様が、あの戦争でわたくしなどには及びもつかないような困難に見舞われたこと、よくわかりました……」
そう言って、顔を上げる。
「あなたの気持ちがわかる、などとは言えません。わたくしは貴族令嬢として不自由ない生活を送ってきました。そのわたくしに、あなたのような方の苦しみを理解することは、おそらく出来ません。ですが……」
言葉を切り、真っ直ぐにゼノンの瞳を見つめながら、口を開いた。
「あなたの悲しみを聞き届け、ご友人の安らぎを祈るくらいなら、出来ますわ。ですので、またつらいことを思い出したときは、遠慮なさらず、わたくしの前でお泣きくださいませ。その時は……今のように、そ、その、抱きしめて……差し上げます……」
最後は顔を真っ赤にしながら、消え入るような声でアンジェリーナは言った。
抱きしめる。その行為の……貴族令嬢としてのその行為の意味に思い至って、羞恥に頬を染めてしまったのだろう。そんなアンジェリーナにゼノンは苦笑を返した。
「ありがとう、アンジェリーナ嬢。その気持ちだけで十分だ」
気を取り直してゼノンは微笑み、アンジェリーナに言う。
「すっかり引き留めてしまったな」
「全くです。それでは、失礼させていただきます」
そう言って立ち上がり、カーテシーで一礼して踵を返し、足音どころか裾の擦れる音さえ立てずに書庫を後にした。
それを見送ったゼノンは、一人ソファに沈み込むように背中を預けて独りごちる。
「……本当に、十分だ……」
彼女に降りかかるであろうあらゆる困難を、必ず振り払おうと心に決めるゼノンだった。
「…………」
その夜、アンジェリーナは寝室のベッドの上で、一人懊悩していた。
理由は当然、ゼノンから聞かされた戦争の真実だ。
子供を、大人の身代わりに使った……いかなる理由があろうとも、許されてはならない蛮行だ。それを、自分が忠誠を誓った王家が犯した……その現実は、この国の公爵令嬢という立場のアンジェリーナには、あまりに重いものだった。
(当時の宰相は、確か先代のグラウハルト公爵閣下でしたわね……)
リーズバルトにおいて、宰相の権限は一般的に考えられているよりも遙に大きい。その中で、あんな無茶苦茶な施策が通ったと言うことは、少なくとも先代グラウハルト公爵は容認したと言うことだ。
戦争による損失の中で、何よりも大きく重いのは人命だ。どんなに優秀な人間でも、死んだらそこで終わりなのだ。金はまた稼げばいい。建物もまた建てればいい。だが、人の命はそうはいかない。
「当時の貴族は、皆、自分の血族を戦場に送りたくなかったのね」
そのために、子供達を犠牲にした……卑劣なことに、自分たちはしっかりとその対象から外した上で。
少年兵に戦わせることに、一切反対がないはずだ。貴族は最初からその対象ではなかったのだから。
そして、この件を全く公にしていないのも、彼らの後ろめたさからそうなってしまったのだろう。つくづく、貴族とは自分勝手な生き物だ……自分自身もその一員だからこそ、強くアンジェリーナはそう思った。
――他の誰かからも話を聞いた上で、君自身が判断してほしい
ゼノンに前置きされた言葉を思い出す。確かに、彼一人だけではなく、他の当事者からも話を聞くべきだろう。
「お父様……は、論外ですわね」
最初に思い浮かんだのは父の顔だったが、すぐにその案を却下する。当時、政官の一人であった父も、このことは知っていたはずだ。それを自分に黙っていたと言うことは、少なくともアンジェリーナに話すべきではないと考えていると言うことだ。
父以外なら……正直な所、一人しか思い浮かばなかった。
翌日、休日であるその日、アンジェリーナは王宮のサロンにて目的の人物を待っていた。
当日に面会を申し込んだにもかかわらず、相手は快く応じてくれた。仕事の合間でよければと、サロンでの待ち合わせを提案してきたのだった。
無駄な時間と思われないようにすべきだ。そんな風に考えて、いつにない緊張感を胸に抱いて、面会の相手を待った。
やがて、サロンの扉が開かれて、目的の人物……礼装軍服姿の金髪碧眼の美女が足を踏み入れてきた。即座に立ち上がり、臣下の礼を取る。
「本日は、ご多忙の中のご面会、感謝申し上げます」
「おいおい、どうしたんだ? そんなにかしこまって、君と私の仲だろう?」
アンジェリーナの態度に少々面食らった様子でそんな風に返してきたのは、フローレンス・リーズバルト第一王女だった。
「とにかく、座りなさい」
「ありがとうございます」
椅子を勧めてくるのに、さらにカーテシーを重ねて応じ、ゆっくりと腰を下ろした。
「とりあえず、話とはなんだ?」
「はい……」
ゼノンから突きつけられた真実の重さ、それをもう一度思い返しながら、アンジェリーナは口を開く。
「『精霊戦争』について……その真実について、お話を聞きたいのです」
その言葉は、フローレンスにとって予想外のものだったのだろう。完全に表情が凍り付いてしまった。
「戦争についてって……君は王宮の教育係から聞いているんじゃないのかい?」
「表向きの話ではございません。わたくしが聞きたいのは、文字通りの真実でございます」
「……ゼノンか」
その目と表情、声音から大体の事情を察したらしいフローレンスは、ため息交じりにそう言った。
「どこまで、聞いた?」
「全て……と言っていいかはわかりませんが、この国の王家が隠してきた事情は伺いました」
「あいつめ……」
ため息交じりに呪詛を吐き、二・三深呼吸した後、覚悟を決めたかのようにアンジェリーナに向き直った。
「私からは、何を聞きたいんだ?」
「フローレンス殿下から見た、あの戦争の真実でございます」
「……私も、あの戦争では一兵卒でしかなかった。おそらく、ゼノンから聞いたこととほぼ変わらないよ」
「あの方は、おっしゃっていました。自分の目で見た現実でしかない。他の人からも話を聞いて判断してほしい、と……」
「……君にはいずれ話す予定だった。正式に婚姻が調ってから、な」
ため息をついて天井を見上げた。
「それが隠されてきた理由はただ一つだ。混乱を避けたかったんだ。大人だと憑依されるから子供を駆りだした、だなんて、恥ずべき愚行でしかない……」
「反対意見は、なかったのでしょうか?」
「私と父は反対した。何人かの貴族も。特に、先代ノーラン公爵の反発はすさまじかった。当時、元帥を務めていた公爵は、年端もいかない子供を戦力として計上できないと猛反対した」
その言葉に、実に軍人らしい考えだと、アンジェリーナは思った。あるいは、先代ノーラン公爵の中で、一人の人間としても受け入れがたい案だったのかも知れない。
「それが採用されたのは、君の祖父君と先代グラウハルト公爵が賛成に回ったからだ。傘下の貴族も同調した結果……我が王国史に、拭いがたい汚点が残された」
「我が王国史? では……」
「そうだ……少年兵を主力に据えるだなんて言う愚行を国策としたのは我がリーズバルトだけだ。他の国では、ちゃんとした大人の軍人達が血を流した……今でも、外交上でのお笑いぐさになっているよ。戦争さえも下働きの徒弟に任せる成金の集まりだとね」
自嘲たっぷりの言葉に、アンジェリーナは絶句するしかない。
「その……陛下と、フローレンス殿下が志願したのは……」
「お察しの通りさ。少年兵の投入を止められなかった、せめてもの罪滅ぼしだよ……まぁ、彼らに言わせれば、『自分で選んで贖罪もへったくれもないだろう』ってところだろうが」
自分で選んで。その言葉の意味を、アンジェリーナは重く受け止める。徴兵された子供達には、そもそも選択肢すら与えられたなかったのだから。
「私から話せることはこれぐらいだよ……」
「……ありがとうございます。参考になりました」
礼を言って一礼する。
「アンジェ。私が言えることではないかも知れないが……」
眦を決して、フローレンスはアンジェリーナを見据えながら言う。
「君が、このことに罪悪感を感じる必要はない。これは、我が王家とこの国の大人達が犯した罪だ」
「ですが……殿下の言うことが本当なら……」
「確かに、先代ベルリエンデ公爵が賛成したのは事実だ。だが、それは君が犯した罪じゃない。これは、私や父や、貴族達が皆で背負うべき罪だ」
「…………」
「君に話して、改めて実感したよ……我々の代で、このことは精算すべきだとね」
そう言って、フローレンスはアンジェリーナの手を握った。
「君は、何も背負わなくていい。自由になってくれ。そのためには協力は惜しまない。それが、あの愚弟に君を付き合わせてしまったことへのせめてもの罪滅ぼしだ」
「協力を……」
それを聞いたアンジェリーナは、顔を上げて真っ直ぐにフローレンスの目を見た。
「でしたら、一つお願いがございます」
「なんだ?」
いぶかしげなフローレンスに、お願いの内容を話した。
「……君は、それは本気なのか?」
「本気です。わたくしは一人の人間として、この国の力になりたいと考えます。そのためには、殿下のご協力が必要です」
「……決意は固そうだな」
そう言ったフローレンスに、少し悪戯っぽい微笑みが浮かんだ。
「これも、ゼノンの影響かな?」
「え?」
「隠さなくてもいいよ。書庫での逢瀬はすっかり噂になっているよ」
そう言われて、たちまちアンジェリーナの顔は真っ赤になった。
「お、逢瀬って……からかわないでくださいまし!! わたくしたちは、学術的な意見交換をしているだけでございまして、何もやましいことは……」
「そういうことにしておくよ。だが……」
ニヤリと、さらに微笑む。
「はっきりと言って、ゼノンのやつはかなりの優良物件だぞ? 次の婚約者として、真面目に検討してもいいんじゃないか?」
ズイッと詰め寄ってくる。
「聞かせてくれ。どうやってあの朴念仁の懐に入り込んだんだ? 参考までに教えてくれ」
「そ、そんなこと……」
「言えないなどと言った瞬間に、王女としての命令に変わるぞ? 友達としてのお願いのうちに、白状するんだ。さぁ、さぁ、さぁ!!」
「ち、近いです、近いです!! 言います!! 言いますから離れてくださぁい!!」
こうして、放課後のささやかな議論――噂で言う所の逢瀬について、一から十まで白状させられるアンジェリーナだった。
執務室に響き渡ったノックの音に、アルハザードは端的に告げる。それにこたえて、扉が押し開かれた。
「……失礼いたします」
入ってきたのは、デュラス・ベルリエンデ公爵だった。その顔は、心なしか青ざめて見える。
「本日は、急なことにも関わらずお時間をいただき……」
「前置きはいい。要件はわかっている」
定型のあいさつとともに頭を下げようとしたデュラスを、アルハザードはさえぎった。
「ご息女の……アンジェのことだな?」
「はい……あの男より、聖女の件は聞きました……それで……」
「それで?」
ため息を何とか飲み込んで、アルハザードは続きを促した。
「何とか……ならないのでしょうか?」
「……デュラス。お前の気持ちはわかる。だがな」
言葉を切って、アルハザードはチェアに身を沈めた。牛の本革がギシリときしむ音がする。
「『聖騎士』と『聖女』を世界守護の要にすると定めたのは、ほかならぬ我々だ、デュラス」
「し、しかし、それではあまりにも……あの子は、アンジェリーナはまだ十七歳なのですぞ!!」
「先代の聖女たるイリス・アルフェノスは任命されたときは十四歳、聖騎士・ゼノン・マクシミリアンに至っては十歳だった。当時の二人に同じことが言えるのか?」
「……!!」
「デュラス、私としてもなぜ彼女なのかと思うよ。だが、『聖女』や『聖騎士』を選ぶのは我々でなければ、教団でもない」
決然とデュラスの顔を見返しながら、アルハザードは言う。
「『装星機』自身の意思だ。そうでなければ、ゼノンが王都に現れるまでの六十年間、あれだけの存在に埃を被らせるようなことを許すはずがなかろう」
「それが……そもそもの間違いだった!!」
ついにデュラスは吐き捨てる。
「あの男が……あの汚い盗人が選ばれたとき、幽閉し自我を奪うべきだった!! あの方が仏心など見せなければ……」
「それはもう終わった話だ」
「陛下のほうこそ、あんな粗野な男が国に加わることを、なぜ良しとしたのですか!?」
「口の利き方に気をつけろ」
目の前の国王の鋭い声に、デュラスは絶句した。
「あれでも、お前にとってはかしずくべき相手だ。同時に、私にとっては息子の命の恩人だ。アーノルドとレオナルドがなぜやつをああも慕っていたのか、お前とて知らぬわけではなかろう?」
言葉を切り、過去を懐かしむかのように目を細める。
「我々が駆け付けた時、あの二人は真っ先にゼノンの助命を嘆願した。勝手に入ったのは自分たちだ、そこで危ないところを助けてくれたとな。それに近衛兵やフローレンスも同意していた。人質に使わなかった時点で、少なくとも二人への害意はなかったとな」
「聞いております……それに……家内の親戚も……かの、『白銀の戦女神』も同意した、と……」
「その後の経緯はお前も知っての通りだ。かの公爵令嬢は弟子としてゼノンの身柄を預かり、ヴェルディアでの修行とこの王宮での教育を経て……『精霊戦争』が勃発した」
疲れたように、チェアにさらに深く身を沈める。
「我々は、多くを子供たちに押し付けてきた。我々な決断の結果、ゼノンは『棺背負い』の汚名をかぶり、イリスは人柱としてその命を散らした。今、それを清算すべき時が来ている……それだけのことだよ」
「そのために、娘の将来を差し出せと……」
「繰り返すが、そのように定めたのはほかならぬ我々自身だよ、デュラス。我々の番が来た……それだけでしかないんだ」
「…………」
「まぁ、納得はいかんだろうが……一応聞いておこう」
「? なんでしょう?」
「ご息女と……ゼノンを婚約させる気はないか?」
「な……」
一瞬絶句してしまう。だが国王の目を見返すと、完全に本気の目だった。
「何を……おっしゃるのですか?」
「冗談などではないぞ。実際問題、近いうちに次なる『聖女』の誕生は知られることになる。その時に、彼女の立場を守るには一番簡単な方法だと思うがな」
「それでなぜあの男なのです!!」
「『聖騎士』だからだ。ほかに理由はいるか?」
その言葉に、デュラスはグッと詰まってしまった。
目の前の男の、ともに学院で研鑽を積んだ同級生でもある男の目を見て、デュラスは確信した。今、相手は王として物を言っている。
「我ら王家としても、アンジェを手放すつもりはない。彼女の優秀さはお前に言われるまでもなくわかっている。お前に選択肢はないぞ」
「…………」
「いずれにせよ、このまま無策でいれば先代を後追いするだけだ。それはお前も望まないだろう? よく考えておけ」
「…………」
怒涛の如く押し寄せる現実の前に、デュラスは言葉を出せなかった。
「落ち着かれましたか?」
「ああ、すまない。面倒を掛けたな」
穏やかな問いに、ゼノンはバツが悪そうに答えた。
それに対するアンジェリーナの言葉は、ゼノンには思いがけないものだった。
「面倒などと、言わないでくださいませ」
「アンジェリーナ嬢?」
「あなた様が、あの戦争でわたくしなどには及びもつかないような困難に見舞われたこと、よくわかりました……」
そう言って、顔を上げる。
「あなたの気持ちがわかる、などとは言えません。わたくしは貴族令嬢として不自由ない生活を送ってきました。そのわたくしに、あなたのような方の苦しみを理解することは、おそらく出来ません。ですが……」
言葉を切り、真っ直ぐにゼノンの瞳を見つめながら、口を開いた。
「あなたの悲しみを聞き届け、ご友人の安らぎを祈るくらいなら、出来ますわ。ですので、またつらいことを思い出したときは、遠慮なさらず、わたくしの前でお泣きくださいませ。その時は……今のように、そ、その、抱きしめて……差し上げます……」
最後は顔を真っ赤にしながら、消え入るような声でアンジェリーナは言った。
抱きしめる。その行為の……貴族令嬢としてのその行為の意味に思い至って、羞恥に頬を染めてしまったのだろう。そんなアンジェリーナにゼノンは苦笑を返した。
「ありがとう、アンジェリーナ嬢。その気持ちだけで十分だ」
気を取り直してゼノンは微笑み、アンジェリーナに言う。
「すっかり引き留めてしまったな」
「全くです。それでは、失礼させていただきます」
そう言って立ち上がり、カーテシーで一礼して踵を返し、足音どころか裾の擦れる音さえ立てずに書庫を後にした。
それを見送ったゼノンは、一人ソファに沈み込むように背中を預けて独りごちる。
「……本当に、十分だ……」
彼女に降りかかるであろうあらゆる困難を、必ず振り払おうと心に決めるゼノンだった。
「…………」
その夜、アンジェリーナは寝室のベッドの上で、一人懊悩していた。
理由は当然、ゼノンから聞かされた戦争の真実だ。
子供を、大人の身代わりに使った……いかなる理由があろうとも、許されてはならない蛮行だ。それを、自分が忠誠を誓った王家が犯した……その現実は、この国の公爵令嬢という立場のアンジェリーナには、あまりに重いものだった。
(当時の宰相は、確か先代のグラウハルト公爵閣下でしたわね……)
リーズバルトにおいて、宰相の権限は一般的に考えられているよりも遙に大きい。その中で、あんな無茶苦茶な施策が通ったと言うことは、少なくとも先代グラウハルト公爵は容認したと言うことだ。
戦争による損失の中で、何よりも大きく重いのは人命だ。どんなに優秀な人間でも、死んだらそこで終わりなのだ。金はまた稼げばいい。建物もまた建てればいい。だが、人の命はそうはいかない。
「当時の貴族は、皆、自分の血族を戦場に送りたくなかったのね」
そのために、子供達を犠牲にした……卑劣なことに、自分たちはしっかりとその対象から外した上で。
少年兵に戦わせることに、一切反対がないはずだ。貴族は最初からその対象ではなかったのだから。
そして、この件を全く公にしていないのも、彼らの後ろめたさからそうなってしまったのだろう。つくづく、貴族とは自分勝手な生き物だ……自分自身もその一員だからこそ、強くアンジェリーナはそう思った。
――他の誰かからも話を聞いた上で、君自身が判断してほしい
ゼノンに前置きされた言葉を思い出す。確かに、彼一人だけではなく、他の当事者からも話を聞くべきだろう。
「お父様……は、論外ですわね」
最初に思い浮かんだのは父の顔だったが、すぐにその案を却下する。当時、政官の一人であった父も、このことは知っていたはずだ。それを自分に黙っていたと言うことは、少なくともアンジェリーナに話すべきではないと考えていると言うことだ。
父以外なら……正直な所、一人しか思い浮かばなかった。
翌日、休日であるその日、アンジェリーナは王宮のサロンにて目的の人物を待っていた。
当日に面会を申し込んだにもかかわらず、相手は快く応じてくれた。仕事の合間でよければと、サロンでの待ち合わせを提案してきたのだった。
無駄な時間と思われないようにすべきだ。そんな風に考えて、いつにない緊張感を胸に抱いて、面会の相手を待った。
やがて、サロンの扉が開かれて、目的の人物……礼装軍服姿の金髪碧眼の美女が足を踏み入れてきた。即座に立ち上がり、臣下の礼を取る。
「本日は、ご多忙の中のご面会、感謝申し上げます」
「おいおい、どうしたんだ? そんなにかしこまって、君と私の仲だろう?」
アンジェリーナの態度に少々面食らった様子でそんな風に返してきたのは、フローレンス・リーズバルト第一王女だった。
「とにかく、座りなさい」
「ありがとうございます」
椅子を勧めてくるのに、さらにカーテシーを重ねて応じ、ゆっくりと腰を下ろした。
「とりあえず、話とはなんだ?」
「はい……」
ゼノンから突きつけられた真実の重さ、それをもう一度思い返しながら、アンジェリーナは口を開く。
「『精霊戦争』について……その真実について、お話を聞きたいのです」
その言葉は、フローレンスにとって予想外のものだったのだろう。完全に表情が凍り付いてしまった。
「戦争についてって……君は王宮の教育係から聞いているんじゃないのかい?」
「表向きの話ではございません。わたくしが聞きたいのは、文字通りの真実でございます」
「……ゼノンか」
その目と表情、声音から大体の事情を察したらしいフローレンスは、ため息交じりにそう言った。
「どこまで、聞いた?」
「全て……と言っていいかはわかりませんが、この国の王家が隠してきた事情は伺いました」
「あいつめ……」
ため息交じりに呪詛を吐き、二・三深呼吸した後、覚悟を決めたかのようにアンジェリーナに向き直った。
「私からは、何を聞きたいんだ?」
「フローレンス殿下から見た、あの戦争の真実でございます」
「……私も、あの戦争では一兵卒でしかなかった。おそらく、ゼノンから聞いたこととほぼ変わらないよ」
「あの方は、おっしゃっていました。自分の目で見た現実でしかない。他の人からも話を聞いて判断してほしい、と……」
「……君にはいずれ話す予定だった。正式に婚姻が調ってから、な」
ため息をついて天井を見上げた。
「それが隠されてきた理由はただ一つだ。混乱を避けたかったんだ。大人だと憑依されるから子供を駆りだした、だなんて、恥ずべき愚行でしかない……」
「反対意見は、なかったのでしょうか?」
「私と父は反対した。何人かの貴族も。特に、先代ノーラン公爵の反発はすさまじかった。当時、元帥を務めていた公爵は、年端もいかない子供を戦力として計上できないと猛反対した」
その言葉に、実に軍人らしい考えだと、アンジェリーナは思った。あるいは、先代ノーラン公爵の中で、一人の人間としても受け入れがたい案だったのかも知れない。
「それが採用されたのは、君の祖父君と先代グラウハルト公爵が賛成に回ったからだ。傘下の貴族も同調した結果……我が王国史に、拭いがたい汚点が残された」
「我が王国史? では……」
「そうだ……少年兵を主力に据えるだなんて言う愚行を国策としたのは我がリーズバルトだけだ。他の国では、ちゃんとした大人の軍人達が血を流した……今でも、外交上でのお笑いぐさになっているよ。戦争さえも下働きの徒弟に任せる成金の集まりだとね」
自嘲たっぷりの言葉に、アンジェリーナは絶句するしかない。
「その……陛下と、フローレンス殿下が志願したのは……」
「お察しの通りさ。少年兵の投入を止められなかった、せめてもの罪滅ぼしだよ……まぁ、彼らに言わせれば、『自分で選んで贖罪もへったくれもないだろう』ってところだろうが」
自分で選んで。その言葉の意味を、アンジェリーナは重く受け止める。徴兵された子供達には、そもそも選択肢すら与えられたなかったのだから。
「私から話せることはこれぐらいだよ……」
「……ありがとうございます。参考になりました」
礼を言って一礼する。
「アンジェ。私が言えることではないかも知れないが……」
眦を決して、フローレンスはアンジェリーナを見据えながら言う。
「君が、このことに罪悪感を感じる必要はない。これは、我が王家とこの国の大人達が犯した罪だ」
「ですが……殿下の言うことが本当なら……」
「確かに、先代ベルリエンデ公爵が賛成したのは事実だ。だが、それは君が犯した罪じゃない。これは、私や父や、貴族達が皆で背負うべき罪だ」
「…………」
「君に話して、改めて実感したよ……我々の代で、このことは精算すべきだとね」
そう言って、フローレンスはアンジェリーナの手を握った。
「君は、何も背負わなくていい。自由になってくれ。そのためには協力は惜しまない。それが、あの愚弟に君を付き合わせてしまったことへのせめてもの罪滅ぼしだ」
「協力を……」
それを聞いたアンジェリーナは、顔を上げて真っ直ぐにフローレンスの目を見た。
「でしたら、一つお願いがございます」
「なんだ?」
いぶかしげなフローレンスに、お願いの内容を話した。
「……君は、それは本気なのか?」
「本気です。わたくしは一人の人間として、この国の力になりたいと考えます。そのためには、殿下のご協力が必要です」
「……決意は固そうだな」
そう言ったフローレンスに、少し悪戯っぽい微笑みが浮かんだ。
「これも、ゼノンの影響かな?」
「え?」
「隠さなくてもいいよ。書庫での逢瀬はすっかり噂になっているよ」
そう言われて、たちまちアンジェリーナの顔は真っ赤になった。
「お、逢瀬って……からかわないでくださいまし!! わたくしたちは、学術的な意見交換をしているだけでございまして、何もやましいことは……」
「そういうことにしておくよ。だが……」
ニヤリと、さらに微笑む。
「はっきりと言って、ゼノンのやつはかなりの優良物件だぞ? 次の婚約者として、真面目に検討してもいいんじゃないか?」
ズイッと詰め寄ってくる。
「聞かせてくれ。どうやってあの朴念仁の懐に入り込んだんだ? 参考までに教えてくれ」
「そ、そんなこと……」
「言えないなどと言った瞬間に、王女としての命令に変わるぞ? 友達としてのお願いのうちに、白状するんだ。さぁ、さぁ、さぁ!!」
「ち、近いです、近いです!! 言います!! 言いますから離れてくださぁい!!」
こうして、放課後のささやかな議論――噂で言う所の逢瀬について、一から十まで白状させられるアンジェリーナだった。
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