彼岸の王と首斬り姫

KaoLi

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第二章

第十七話 三拍子

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 前老院に到着し二人は橋具を探し始める。だが尋ね人はいつもいる書斎にも居間にも、どこにも見当たらなかった。いつもならいるはずなのに。少しだけ不安になる。

「……すまない、橋具様はどこにおられるだろうか?」

 裏業は近くにいた女中に話しかける。女中は一礼して「橋具様でしたら……」と話し始める。側で軽く彼女たちの話を聞いていた水埜辺は、裏業という人間が位の高い者なのだと感じていた。女中たちが彼女が通る度に一礼しているところを見ると、そう考えなければ辻褄が合わないのだ。

「奴良野殿」
「お、おう。どした」

 しまった、気を抜き過ぎていた。不意に名前を呼ばれて動揺する。

「どうしたではなく……。どうやら橋具様は桔梗院殿のもとへ向かわれているようだ」
「桔梗院……ああ、あの印象の悪い兄ちゃんのところかー。え、なんで?」
「……桔梗院殿は平安時代の頃より代々、橋具様の家名である桔梗宮家に仕えている医師の者だ」
「そうなんだー、知らなかったなー」
「なんで聞いたくせに興味なさげなんだ。私よりも長くこの屋敷にいるんじゃないのか」
「確かに君よりもこの時代に生きてはいるけれど、この屋敷にいる時間はきっと君の方が長い。俺はあまり、橋具くんには好かれていないようだったからね」
「そ――」

『そんなことはない』とは、言い切れなかった。そう思っているのは、もしかしたら自分だけなのではないかと思ったのだ。私以外、彼のことを信用していないのだから。擁護できないと裏業は理解していた。自分には力がないから。ぐっと「そんなことはない」という言葉を飲み込んで、水埜辺を見た。

「ん?」
「……いや。なんでもない。橋具様は昼過ぎまで戻らないそうだ。私は業務があるからこのままここに残る。文があるのであれば、お戻りになった時にでも渡しておくが……?」
「いんや。多分知ってて忘れた振りをされているだけだから、最悪本人に渡せなくても大丈夫だろう。これはそうだな、俺から橋具くんへの一種の嫌がらせみたいなものさ!」
「はあ……」
「それより、その業務とやらは外でもできるものかい?」
「は?」

 裏業は素っ頓狂な声を出し、彼の言葉に耳を疑った。

 ❀

 されるがまま、言われるがまま、連れて行かれるがままの三拍子。業務に必要なもの――筆・墨・白紙を集めた冊子など――を手に持ち、裏業は水埜辺の背後を付いて歩く。

「今日はせっかくのいい天気だし、ご飯は外で食べる方がおいしいに決まってる! それに、気分転換になれば一石二鳥だよね~」
「そうだな。それで。これは今どこに向かっているんだ」
「俺の仕事のひとつは担当する村の民の利になることを手伝うこと。とりあえずは村に戻って手伝いの続きをしなきゃだからね」
「利になること……。ああ、今朝のような」
「正解!」

 ああいうことを仕事としているのか、と若干馬鹿にしていたが、確かに村の皆は笑顔だった。それはこの男が村の為に行ったためだろう。しかし何故橋具がこの男にそのような役目を与えたのか。それだけが裏業の感情をくるくると渦巻いた。

「なるほど」

 人は見た目だけで判断する傾向にある。それだけで人を判断してはならないと改めて裏業は感じた。見極めよう。見極めた先が、断罪の道だったとしても無駄ではないと裏業は信じたかった。

「さあ、着いた! さっきも見たと思うけど、ここは奴良野山の麓にある大麓村だいろくむら。俺の第二の故郷でもある場所さ。美しい場所だろう?」
「……ああ、そうだな。で、何故ここなんだ」

 冷たい態度を見せられて、水埜辺は「うーん」と苦笑した。

「この間ね、あそこの川沿いの家に住む芦屋さんっていう人がいるんだけど、子供が生まれたらしくて。どうしても裏業ちゃんと見に行きたかったんだ」

 ピクリ、と裏業のこめかみが動いた。

 ――芦屋。大麓村。どこかで。

 裏業の脳内にある記憶に、何かが引っ掛かる。その何かが何なのか。今この時点では思い出せなかった。ただ思い出せなくても支障はなかったが、その感覚は気分が悪かった。

「――気持ち悪いな。」

「え、体調悪い? 大丈夫かい?」
「そうじゃない。……が、私は行かない」
「え、ここまで来ておいて? どうして?」

 どうして、だと? おかしなことを聞く。仮にも人の命を奪う者が、子供など触れていいはずがない。

「どうしてもだ!」

 裏業はそっぽを向きその場に座り込んだ。もう一歩も動いてやるものか、とその小さな背中が語っている。これはしばらく言うことを聞いてはもらえないな、と水埜辺は肩をすくめたのだった。
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