彼岸の王と首斬り姫

KaoLi

文字の大きさ
上 下
72 / 75
第九章

第七十二話 断罪者、『裏業』

しおりを挟む
「…………水、埜辺……殿……?」

 旋風が乃花の視界を奪う。次の瞬間、目の前に現れたのは巨大な鴉の化身。それが水埜辺の本来の姿だと気付いたのは少し後のことだ。
 今、乃花の目の前では大蛇と鴉が互いの体を喰らいあっている。まるで地獄だ。鴉が羽を大きく広げ、そのくちばしを大蛇の首筋に噛み砕く勢いで喰らいついている。対して、大蛇も鴉の体を締め上げている。

「なんで、こんな……。早く、早く来て……水伊佐殿……!」

 目の前の惨状に息を呑みながら、乃花はただただ待ち続けるしかなかった。

「兄上! ……? これは一体……」
「水伊佐殿!」
「おい、お前兄上に何を――!」

 水伊佐は兄の変貌した姿と戦場の惨状を交互に見る。彼は、一部始終を知っているわけではない。ただ、本来の姿に戻っている兄の姿を見て、驚愕した。水伊佐は勢いに任せて乃花の胸倉を掴んだ。乃花は「うっ」と一瞬唸った。その声が届いたのか水埜辺が大蛇への攻撃を止めることなく声を荒げた。

「水伊佐! 俺ゴトコイツヲ焼キ払エ! 早ク!」
「兄上! だが!」
「早くしてあげて、お願い!」

 乃花は水伊佐に懇願した。今自分が置かれている状況など気にも留めず、彼女は兄の為に願ったのだ。水伊佐は辺りを見渡し状況を把握すると、乃花の胸倉を掴んでいた手を放し、彼女の目の前に立ち、中指を親指に押しつけ指を鳴らした。途端、轟々と燃える火柱が立つ。その火は大蛇たちの周りを勢いよく渦巻いた。獣の叫び声が空へと木霊した。
 鴉だった水埜辺が妖怪の姿を解く。火に巻かれた大蛇から逃れた彼だったが、抵抗することもできないほど力を消耗し切っていた。体が自然と地に落ちていく。

「兄上!」

 水伊佐が間一髪のところで彼の体を受け止めた。意識は既に朦朧としており、呼吸をするのがやっとの状態だった。

「――グギャアァアアアア!!」

 火柱の中で燃えていた大蛇が絶叫した瞬間、塵となり風の中へと消え去った。これで長きに渡る争いはついに終焉を迎えた。

 ❀

 しかし安心したのも束の間。大蛇が消え去った後のその場所に、有宗の体が残っていた。乃花は有宗にゆっくりと近付き、そして朝凪を抜いた。

「…………ごほっ……」
「……まだ生きているのか」
「……」
「……貴様を断罪するのが、きっと私の役目なのだろうな」

 有宗は既に虫の息だった。火傷を負った手で、乃花に縋ろうとする。

「安心しろ。すぐに終わる」

 乃花は殺気を放ちながら朝凪を有宗のこうべへ向けて振り下ろそうとした。

「や、めろ……乃花……!!」
「! 水埜辺殿……?」

 しかし、彼の声によってその一刀は止まる。

「駄目だ……これ以上、君が手を汚すことは、ない……!」

 水伊佐の腕の中で、意識を取り戻した水埜辺が必死に乃花を説得しようと試みる。しかし、彼女は聞く耳を持たなかった。それどころか――

「……ふっ」

 ――笑っていた。

「乃花……?」
「大丈夫だ、水埜辺殿。……私は私の意志で朝凪かたなを抜いた。水埜辺殿が心配することは何一つない」

 そう伝えると、朝凪を再び構え有宗の首につける。有宗は口をはくつかせている。もはや言葉も発することができない状態となっていた。

「貴様は私の大切なものを奪った。そして罪の無い人たちを殺した。私は貴様を断罪する」
「――!!」

 声にならない声が有宗から発せられた。有宗はどこにそんな体力があるのかと思うほど、勢いよく立ち上がり乃花に襲い掛かった。その瞬間、乃花は何の躊躇いもなく有宗の首を斬った。ごとりと有宗の首が地面に落ち、体は砂となりて散った。
しおりを挟む

処理中です...