彼岸の王と首斬り姫

KaoLi

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第九章

第七十三話 因縁は終局を迎えた

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 全て終わった。
 今度こそ。
 乃花はやっと終わったという、これまでの緊張から解放されたことで全身から力が抜けた。だが、ここで倒れるわけにはいかない。

「水、埜辺殿……」

 水埜辺は苦しそうに呼吸をしていた。もう体に力を入れることもできないのだろう。水伊佐に全てを預けてぐったりとしていた。

「乃花……。大丈夫かい?」
「ああ。……」

 ふと、乃花の目に彼の姿が映る。

「……? ああ、ね。ほら、、さ。……もう、人間の姿でいられる力もないんだ……。情けないね」

 彼の体は黒羽に覆われていた。足は鳥の形をしており、片羽だけが右肩から現れている。顔の痣は火傷の痕だろうか。彼の笑顔が今は痛々しく見えた。水伊佐は何も言わない。きっと全てを理解しているからだ。

 ――彼が、死ぬことを。

「乃花、もっと近くに……。俺に顔を見せてくれないか?」
「……。ああ。いくらでも見せてあげるから、だから――」

 死ぬな、と言いたかった。
 けれど、言えなかった。

「……だから、そんな悲しい顔をしないで、水埜辺殿」
「……ん、君もな」
「……。私はそんな顔してない」

 そうか、と水埜辺が笑う。彼は側に寄った乃花の首に手を添え、耳元に口を近付ける。耳に掛かる息がこそばゆい。

「……君が告げてくれたこと、とても嬉しかった。……もっと、一緒にいたかったが、それはどうやら難しいらしい……」

 ふふ、とまたしても彼は笑う。

「だから、君は好きなことを、やりたいことをやりなさい。橋具くんが死んだ今、桔梗宮家の復興は難しい。それが君のやりたいことなら俺は止めはしない。自分の、望みのままに、生きるんだ……」

 そう言って水埜辺は乃花から手を放すと、次は水伊佐の方を向いた。

「……けほっ……。そんな情けない顔をするんじゃない。まあ、俺が言えた義理じゃないが……、奴良野の次期頭領の名が泣くぞ」
「まだ俺が継ぐとは言ってない」
「……いいや、お前が継ぐんだ。必ず、そうなる……ごほっ! ごほ!」
「水埜辺殿!」
「兄上! もういい、もう喋るな!」

 水埜辺はぐっと水伊佐の肩を掴んだ。今の体力では考えられない力で強く掴まれ抵抗ができない。水伊佐は若干混乱した。何をそこまで必死になるのかと。

「……なあ、頼むよ水伊佐。兄上の、お願いを、聞いて……?」

 今まで、眉間に皺を寄せ願う兄の表情など見たことがなかった。水伊佐は一度落ち着きを取り戻すため深呼吸をし、水埜辺の目をしっかりと見つめた。

「……分かった。分かったから」
「…………すまない、な、水伊佐……。……あぁ……母上になんと詫びればいいのか……。父上の、巻物までもが……灰に、なってしまった……な……」

 水埜辺の視線の先には有宗と共に燃え散った百絵巻が灰と化していた。あの火柱から抜け出すのに必死で、水竜丸の絵巻を手放してしまった。さらには水竜丸本体も折れる始末だ。

「……もう、しわけ……ありません、でした……父上……っ……」

 水埜辺は一筋の涙を流した。ゆっくりと、彼は人の姿を保てなくなったのか今度こそ完全に鴉の姿に変わった。水伊佐の腕の中に抱かれた彼の表情はどこか穏やかなものだった。

「……水埜辺殿……?」
「………………」
「……え」

 先ほどまで口を閉ざしていた水伊佐が彼女を呼ぶ。初めて名を呼ばれたことに乃花は驚いた。

「今まで兄、奴良野水埜辺が大変世話になった。家のこと、すまなかった。……だから、これ以上は、兄には構わないでほしい」

 その言葉で乃花は察した。

 そうか、彼は――今しがた息を引き取ったのだ、と。

 もう、彼の領域には踏み込んでくれるなと、水伊佐は言っているのだろう。乃花はその答えに辿り着くと水埜辺に向かい正座をし、そして水伊佐に礼をした。

「……分を弁えず、すまない……。こちらこそ、色々とありがとうございました」

 こうして、長きに渡る桔梗両家と源家、そして奴良野の因縁の戦いは幕を閉じたのだった。
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