彼岸の王と首斬り姫

KaoLi

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最終章

第七十四話 対を成す小太刀『夜凪』

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 数日後、乃花は修繕作業が完了した奥老院を出発しようと身支度を整えていた。
 桔梗院家はこれでついえる。無理に、自分が継いで家を復興する必要もない。
 彼の言う通り、乃花は自由になることを選んだ。

「……それでは、母上、父上、浅乃助兄上。今まで大変お世話になりました。……行って参ります」

 家の別れを告げ玄関で雪駄を履いていると、色の鮮やかな蝶が入って来た。その蝶には見覚えがあった。

「……碓氷殿?」

 その名を口にした瞬間、背後から物音がした。乃花は何も恐れなかった。何故なら、来るのではないかと、思っていたからだ。

「……お久し振りです。碓氷殿、水紀里殿、水伊佐殿」

 奴良野山の三人が、そこにいた。

 ❀

 来客により、仮設された自身の部屋に乃花は彼女たちを招いた。玄関先での会話は失礼であると思ったからだ。しかし、来るとは思っていたが、何の用で来るかまでは予想できなかった。乃花は少しだけ困惑した表情で彼女たちを見た。

「今日は何用でしたでしょう……?」
「……少し、貴女にお話しをと。……妖怪の身ですから、あまり此岸こちらに長居はできませんが……。この度は我が息子、水埜辺にご尽力いただきまして、誠にありがとうございました」

 碓氷が美しく乃花に対して頭を下げる。次いで後ろに座っていた姉弟も碓氷にならい、同じように彼女に対し頭を下げた。

「そ、そんな。顔をお上げください碓氷殿。……私は、何も」
「いいえ。貴女はあの子の心を救ってくださった。……あの子の願いを叶えてくださった。それだけでも、わたくしにとっては十分に理由となるのです。……水紀里、例のものを」
「はい、母上」

 水紀里は包みを乃花の目の前に置いた。乃花は恐る恐るその包みを開ける。中には、見覚えのない小太刀と文が入っていた。

「これは……」

 乃花の質問に水紀里が応える。

「……頼守殿が生前、貴女のためにと打った『朝凪』と対を成す小太刀。名は『夜凪よなぎ』」
「夜凪……」
「ええ。これを渡してほしいと言伝を受けておりました。この小太刀をどう扱うかは、貴女の好きにしてほしいと」

 乃花は目の前の夜凪をゆっくりと手にした。重さは朝凪と同じくらいか。刀身は黒く、日の明かりに輝けば朝凪に負けないほどの美しさがそこにあった。

「……美しい。そちらの文は?」
「……水埜辺と頼守が書いた、貴女への文です。……読んであげてはもらえませんか」

 乃花は頷き、まずは頼守の文を手にして優しく開く。

【――この文を読んでいるということは、私はもう死んでいて、この『夜凪』が貴女の手に無事に渡ったということなのでしょう。私は、貴女の先祖である源家の者。初めてお会いした時、とても義姉上あねうえの面影を感じました。
 夜凪は朝凪と対を成す刀。きっと、これからの貴女の力となってくれることでしょう。どうか、お元気で、乃花さん――】

 彼の笑顔が目に浮かぶ。とても、穏やかな表情の笑顔が、刀身に映った気がした。
 二枚目は水埜辺からの文だという。しかし、開いてみると一体何が書いてあるのか分からなかった。絵のような、文字のような。恐らく妖怪の扱う文字なのだろう。

「……乃花さん。宜しければ、お読みいたしますが……?」
「……いいえ。きっと、くだらなくて楽しいことでも書いてあるのでしょう。それが分かれば……十分です」
「……そう、ですか」
「自らの体を危険に晒してまで、これらを届けてくださり本当にありがとうございました」

 乃花は頭を下げ、その場を立ち上がる。そうして、朝凪と共に夜凪も腰に携える。ふと、何を思ったのか碓氷が乃花の荷物を指し「それは?」と首を傾げている。指されたものは使い込まれた数冊の冊子だった。

「え? ああ、これは……。今まで私が裁いた者たちの記録です。これから旅に出て、この者たちの家族に会いに行くところでした。……それが私が出来る唯一の償いであり、やりたいことなので」
「そう……それは良い夢ですね。……それでは我々はそろそろお暇しましょう。また会えたなら、その時は」
「ええ。また会いましょう。碓氷殿」

 碓氷たちは微笑みながら此岸への扉を開き、そして光に包まれるように消えていった。

 ❀

 玄関に戻り、再び雪駄を履こうとした。ふと、頭上が暗くなったので見上げてみるとそこには帰ったはずの水伊佐が立っていた。

「あ、え? 水伊佐殿?」
「……胸を張れ」
「え?」
「あんたは強い。俺は、まだどうしたらいいのか、答えを見つけられていない。けれど、あんたは兄上と一緒に、前へと進んでいくんだ」
「?」

 水伊佐は乃花の反応などお構いなしに自分の言いたいことを連ねていく。

「正直、まだ混乱している。兄上がいなくなって……。道標がないことがこんなにも辛いことだなんて……。あんたより何倍も生きている俺が、今更……笑えるよな」
「……だけど、それでも貴方は進もうとしているでしょう。それだけでも十分だと思いますが……?」

 水伊佐は乃花のことを視界に入れ、そして目を瞬き彼女を見た。

「えと、何か?」
「ふっ、ふふふ、ふはっ! なるほど……兄上が人間を好きになった理由が、何となくわかった気がするよ。……乃花。兄上を好きでいてくれてありがとうな」
「……はあ」
「じゃあ、元気でな」

 一体、彼は何を言いたかったのだろうか。何かすっきりとした表情で本当に帰ってしまった。乃花は「……貴方も」と呟き、自然と笑みが零れた。
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