価値のない湖

teku

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湖へ行こう

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 家から少し歩いたところに山がある。山、というか丘、というか。周りの街より高い場所にあって木がたくさん集まっているところだからぼくは山と呼んでいる。
 「山」に入るとかろうじて整えられた落ち葉だらけの道が続く。角度もあって歩きづらい道だがそんなに大変さは感じない。
 かすかに聞こえる虫の声と木々の葉の間から差し込む春の日差しが心地いい。風が吹けば木の葉が揺れ、服が揺れ、背中の汗がひんやりと涼んでいくのを感じる。
 夏はまだまだ先だなと思わずにはいられない。もっともあと一ヶ月もすれば梅雨が来て梅雨があければまた「今年一番の暑さ」が始まるのは分かっていた。きっと「数年に一度の酷暑」もやってくるのだろう。
 しかし今は関係ない。春に感謝をしつつ山道を進んでいく。歩けば歩くほど街と車と人から離れて行くようで心が弾んでくる。

 僕が住んでいる地域は決して都会ではない。生活するには困らない田舎といえば想像のつく人も多いのではないだろうか。
 コンビニやスーパーはいたるところにあって、中古の車が値札つきで置かれてあったり、ところどころに運送屋の倉庫のような建物がある。病院やガソリンスタンドもどこにでもある。ただ若者が遊べる場所はない。そんな地域だ。
 どこに行くにも車がなくては移動出来ないから、車通りは夕方のこの時間でも少なくない。
 
 ぼくは車の音があまり好きではない。聞くと不快になるほどではないが、もし車や電車が全く通っていない街をひとり歩けたらどんなに気持ちいいかと思ってしまう。
 言葉通り不自然な音はぼくにとって心地よさを邪魔するものでしかない。
 人の声だってそうだ。不愉快でしかない。

 人と街に疲れたときぼくはこの山に足を運んでいる。今日もほんとは大学の授業があったのだが、単位よりも大事なことがあると疑っていなかった。

 ただ僕がここに来るのは山道を楽しむためではない。目的はこの「先」にある。
 坂を登り切ると平坦な道がまっすぐと続く。どんどん歩いて山の奥へと進んでいく。途中植物でふさがれた道を掻き分けながら視界の悪い道を歩くと、そこには大きな湖が広がっている。
 ここがぼくの目的地だ。湖はこの街の川からは想像がつかないほど澄んでいてゴミひとつ落ちていない。湖の周りは人が充分に歩けるほどの場所を残して、あとは木に隙間なく囲まれている。ぼくの背丈の何倍もあるその木々は外のあらゆるものを遮ってこの空間を守っているように見える。
 初めてここを見つけたとき、ここは何か違う世界なんじゃないかと思ってしまった。来た道を大きく引き返して、しかし見慣れた街が山のすき間から見下ろせるとやっぱり現実なんだと冷静になった。再び湖へと戻るとそこには変わらず神秘的と言える場所が保たれていた。
 この湖が現実だと知ったときぼくは思わず泣いてしまった。それ以来ここは今に疲れたときのぼくの癒しの場となっている。

 ここに来て特に何かをすることはない。ただ湖の周りの草っぱらに寝転がりぼうっと空をみたり湖をみたりしている。考え事をしたいときもあるし何も考えたくないときもある。どちらの気分でもここはぼくに心地よさを与えてくれるのだ。

 ただ問題がひとつある。それはこの神秘的な場所を知っている人間が僕だけじゃないってことだ。湖を見渡すと遠くのほうに僕と同じように寝転がったり、散歩したりする人をたまに見かける。
 僕はここに来るときかろうじて歩ける場所を進んできている。途中までの整えられた道とは違い完全に木と植物の中を掻き分けてこの湖を偶然見つけた。
 別の場所から同じようにこの湖にたどり着いた人たちがいるようなのだ。もともとぼくの住んでいる街からこの山をはさんだ反対側には別の街もある。そこから来た人か、もしかしたら僕と同じ街から来た人なのだろう。
 この湖に3回目に来たときだろうか。遠くに2人組の男性を見つけたときには正直がっかりした。自分だけの憩いの場所だったのに。
 しかし何回も通ううちにその男性たち以外にもこの湖に来る人を多くはないが何人か見たときもう諦めてしまった。
 仕方ない。もしかしたら僕のほうが後からここに来た人であの人たちにとっての邪魔ものなのかもしれない。それにあくまで遠くに見かけるだけで顔もお互いよく見えないだろうし干渉してくることもない。それが分かれば同じ癒やしを見つけた同士のようにも感じれなくはない。
 僕はあの人たちの目を気にするのをやめた。同士、あの人たちは同士だ。何よりあんな数人のために僕のこの癒やしの場を捨てることは出来なかった。

 今日も湖には僕以外にも男性の2人組が来ていた。顔はよく見えないが恐らく前に見かけた2人組と同じだろうと思った。なせならあの2人はここに何回も来ていて顔は見えないが、「していること」が毎回同じで特徴的だった。
 明らかに2人とも男性でそれぞれ右手と左手を相手の方へと近づけている。恐らく手をつないでいる。
 そのまま湖の周りをある程度散歩した後湖の近くに腰を下ろし水面を2人でみているようだ。そしてお互いの方を向くと顔と顔がくっつくほどに近づけている。キスしているのだろうか。
 顔が離れると2人は地面に寝転がった。あとは何をしているかはここからはよく分からない。服は脱いでいないから滅多なことはしてないだろう。

 この二人がゲイのカップルだと気づくのにそんなに時間はかからなかった。
 最初は友達同士だと思っていた。僕以外にもいるな人がと思い遠くから見つめていたらどうも様子が違う。今日しているようなことをいつもしていてそれは友達と思い続けるには無理があった。
 なるほどそうゆうことかと納得した自分がいた。この人たちがどの辺から来たのか分からないが、ここを知っている以上近くに住んでいるのだろう。僕のいる街に限らずこの周辺は田舎だ。少なくともぼくは自分の街で手をつないで歩く男性同士を見たことはない。田舎=ゲイのカップルは見かけないと言うこともないだろうが、都会と比べれば価値観が古くて遅れているのだろうとは思っていた。
 そもそもゲイとか関係なく人前で恋愛をすることに抵抗がある人は少なくないだろう。この2人はきっとそうなんだと思った。
 人前では出来ないことをそれでもどこかでしたくて探して見つけたところがここなのか、そんなことを想像するとあの2人に対して、ここは僕の憩いの場所なのにという気持ちがなくなっていった。
 それ以降あの2人を見かけるとこの湖に癒しを求める仲間が来たなと思い、気になることはなくなった。

 視線を2人から空へと戻しぼうっと見つめる。
 今日学校さぼっちゃったなあ。まあ1日にくらい。うーんでもこれがクセになったら…。まあでも…。
 今日は考え事をする日なようで頭の中をぐるぐると言葉がまわる。一度考えだすと気づいたら1時間経っていることなんてよくあることだ。

 「………」

 学校もだしバイトも明日あるな。だるいなー。店長はめんどくさいし。でも1人暮らしだし仕送りだけじゃ生活も遊びもできないしな。
 
 「………」
 
 そもそも仕送り少ないんじゃないか。食費とか生活に使うものとか買ったら足りないんだよな。でも親に仕送り増やしてなんて頼めないし…。

 「あのぉ!」

 ビクッ!
 突然聞こえた人の声に驚いて体を起き上がらせた。見上げるとこちらをのぞき込むようにして男性が横に立っていた。
 「すみません。何回か声かけてたんですけど気づいてなかったみたいだから。」
 男性は戸惑った声でこちらへ話しかけてきた。どうやら少し前からいたようで考え事に夢中で気づかなかったらしい。
 「こっちもごめんなさい。全然聞こえてなかった。それで、なにか?」
 まさかこの湖で人に話しかけられると思っていなかったから余裕のない返事になってしまった。そのことを少し後悔しながら、にしても何のようだと思った。
 2人組の男性がいたほうをみると1人が座っていてもう1人が見当たらない。目の前にいる男性を見ればそういえばこんな色の服だったと思えてきた。恐らく2人組の一人がこちらに来たのだろう。
 「突然声かけてすみません。絆創膏持ってませんか?」
 「絆創膏…ですか」
 絆創膏持ってたっけな。カバンの中を探してみるが見当たらない。
 「えっと友達がケガしちゃって派手に膝がずるむけちゃって」
 男性が説明を続けるがやはり絆創膏は見つからない。
 「すみません。ちょっとないですね。」
 「そうですか。どうしよ」
 「そんなひどいケガなんですか。」
 「結構血が出てて。歩けなくはないんですけど友達半ズボンだから血だらけの足で帰んなくちゃいけないんすよね。傷口も結構目立つから。」
 血だらけの足でも別にいいだろ、最初に思ったことはそれだった。わざわざ遠くにいたぼくに声かけて頼む程のことなのか。
 「目立ちたくないんですか。」
 これまた素直に言葉を出してしまった
 だめだだめだ。いつもだったらもっと上手く話してるだろ。
 なぜかこの湖の前では僕は嘘や機転の効いた言葉が出なかった。
「まぁはい…」
 案の定気まずそうにしている男性。

 そりゃそうだ。

 しかしここまで聞いてこの男性がなぜここまで人目を気にするのかということが強く気になった。ただそうゆう人なのかもしれないが、僕にはそうは思えなかった。
 それが偏見だとその時はまだ気づいていなかった。

 「あのもしかしてあそこの男性とあなたって付き合ってるんですか。」
 ここまでくると僕は僕をあきらめていた。きっとここでは僕は自分の本音を全く隠せない。
 もうこの人にどう思われたっていいや。正直に話してみよう。

 「ずっと見てた訳じゃないんですけど最初自分以外の人がここにいるのが気になって。それでなんとなく友達同士じゃないんだろうなって」 
 
 男性は目を見開いて明らかに動揺していた。返事のない男性に僕はさらに核心をつくことを言ってしまった。


 「だから人目が気になるとか、もしかしてそうゆう感じですか。」

 もうどうにでもなれ。
 この男性に怒鳴られ最悪殴られる覚悟はもう出来た。来るならこい。

 「…はは」

 来るか。怒りの前兆か。

 「ははは!そこまで見られたんですね。これは降参するしかないですね」
 「へ…」

 思わず気の抜けた声が出てしまった。
 怒ってない?

 「怒ってないんですか」
 「怒らないですよ。全部事実だし。僕たちもよくここに人がいるのは分かってましたから。その上でいちゃついてたんだから見られて文句は言えないですよ。」
 「もう絶対殴られると思ってました。」
 「殴りませんよ!そんなケンカっ早いように見えます。」
 「なんか鍛えてそうだし。恋愛絡むと人って怖いことするイメージあって」
 「なんすかそれ。偏見ですよ」
 男性は笑いながら答えてくれた。

 そっか偏見か。俺はろくに話したこともないこの人に偏見を持っていたのか。

 「そしたらそのお詫びってこともないですけどこれ使ってください。」
 僕はカバンからハンカチを取り出して男性に渡した。
 「いいんですか。汚れちゃいますよ。」
 「いいですよ。安物だし。ハンカチ膝に巻くのも目立つかもだけど傷口見えてるよりましだと思いますよ。」
 「ありがとうございます!」
 男性は広い肩幅を丸めて両手を前に出し丁寧にハンカチを受け取った。
 ここで僕は座ったまま喋っていることに考えがいき立ち上がった。立ってもその男性のほうが背が高くて見下ろされることに変わりはなかった。
 「ほんとにありがとう。あのお名前なんていうんですか。」
 きた、この質問がやってきた。ハンカチを渡すことを決めてから唯一危惧していた質問だ。
 僕は少し呼吸を整えた。既に色々と失礼な事を言った。気にするには今更かもしれないが、最後にこれだけは譲ることは出来ない。
 「ごめんなさい。名前は言いたくないんです。聞きたくもないんです。」
 男性は最初に声をかけてきたときのような戸惑った表情をしていた。
 「あなたはすごくいい人だと思う。仲良くもなれるのかもしれない。だけどぼくはこの湖で知り合いを作りたくないんです。」
 男性の目をまっすぐみてぼくは自分の価値観を語り続ける。
 「きっとここで自己紹介してしまったらこれから先、今までどおりここに来ることがきっとお互い出来なくなる。あなたの目を気にするようになってしまう。」
 「それは…」
 男性も僕の目をみて真剣に話を聞いてくれていた。
 「だから自己紹介するのはなしにしてください。」
 僕は最後まで自分の考えを押し通した。どんな返事が来るのか。
 「それは僕もそうかもです。」
 男性の返事はまた予想もしないものだった。
 「何も考えてなかったけどここで知りあいになったら僕もここにあいつと来ることはできなくなってたかも。」
 男性は遠くで座っている自分の恋人へと顔を向けた。
 「たしかに、絶対そうだ。ぼくもあなたの目を気にしてたと思う。すごいですね。気づきもしなかった。」
 「いやいや偏見が強くて人を好きになれないだけですよ。」
 「そうなんですか?俺はとっても頭がいい人何だって思いましたよ。先のことまで考えて、それにさっきのもこっちのことまで考えてくれて。めっちゃ優しい人じゃないすか。」
 「いやいやいや!そんなこと…」
 「まあ今日会っただけなんで細かなことなんて分かんないですけど。でも俺はそう思いましたよ。」
 僕が優しい人。そんなこと考えたことなかった。
 「と、とにかく早くハンカチ持っていってあげてください。待ってますよ彼氏さん。」
 僕は照れを隠しきれず早口で目を逸らして喋ってしまった。
 「そうすね。戻ります。あのこのハンカチは」
 「返さなくていいですよ。もちろん。」
 「そうですよね。ほんと、ありがとうございました。」
 男性は笑って彼氏の下へと走っていった。

 僕の周りに静けさが戻った。時計をみると17時を過ぎている。来てから2時間ほどが過ぎていた。
 そろそろ帰ろう。暗くなるし。お尻をはたいて汚れをおとし背中に手を当ててぐっと背伸びをする。
 男性の方をみると彼氏をおぶって山の中へと歩いていた。きっと山の出口では降ろして歩くのだろうと思うと少しだけおかしな気持ちになった。
 気にしなくていいのに。この言葉だけは最後の最後まで出なかった。湖の力をもってしても言うのがはばかられたのか、何か他に理由があったのか。
 分からない。きっと今日はところどころこのことを思い出して考えるんだろう。答えなんてでないのに。
 湖に背を向けて草を掻き分けて山へと戻る。道なき道を進めば、かろうじての道に出る。すっかり日差しはなくなって辺りは暗くなりはじめている。夜が早い季節は嫌いじゃない。

 街に出ると帰宅中の車がたくさん走っていて、歩道には学生服の人がうじゃうじゃといた。
 いつもならここでイヤホンをつけて音楽でも聞きながら帰るが今日はそのまま家まで歩いた。
 人の声も車の音も嫌いだ。だけど今日はそれも自然の一部だと思えた。
 不愉快でも聞いて帰ろう。
 こうして知り合いの誰にも知られることのない僕の1日が終わった。

 次の日の午後。バイト先のコンビニ。
 「坂口くーんこれやっといてぇ」
 一緒のシフトの主婦から仕事を頼まれた。頼んだ本人が何をしているかというと裏でパソコンを触るフリして携帯で遊んでいる。これで僕が裏に行くとさっと携帯を隠そうとする。バレてないと思っているのがもはや羨ましい。
 一人暮らしの家の近所にあるコンビニで1年のはじめから働いている。最初は通勤は楽だし廃棄の弁当でももらえたら食費が浮くと思って始めたがなかなかストレスのかかるバイト先だった。
 家が近いのをいいことに欠員のシフトに突然放り込む店長、仕事をしない主婦、廃棄ももらえない。メリットを潰してデメリットにこね直したような職場だった。
 絶対すぐやめてやる。そんなことを思って1年近くが経ってしまった。多分もうやめることはないと思う。このコンビニにそのまま就職してしまわないようにだけ気をつけようと肝に銘じている。
 
 言われた仕事を5分ほどで終えレジでの作業に戻った。主婦はまだ出てこない。僕の頭の中はこのおばさんへのヘイトでいっばいだった。
 レジの前にはお客さんが来ていた。
 愛想よくしなきゃ。僕は自分の感情のスイッチを切り替えた。
 しかし一向に台の上に商品が置かれない。
 気になってお客さんの顔をみてぼくははっとした。目の前のお客さんも同じように驚いた顔をしていた。
 「あれ…きみ」
 先に口を開いたのはお客さんのほうだった。僕は何とか冷静さを取り戻し咄嗟に胸元を隠そうとした。しかし時既に遅かった。
 「さか、ぐちくん?」
 見られていた。胸元には僕のネームプレートがあり漢字で名前がかかれていた。
 「ど、どうも。いらっしゃいませ…」
 知り合いとして接するかお客さんとして接するかの判断もつかない。

 がたいがよく僕より少し高い背丈に、何より見たことのある顔。額が見えるほどの短髪の黒髪はそういえばそんな髪型だったなとあの時を強く思い出せた。
 
 やっばいどうしよう。
 主婦へのヘイトは頭の中からなくなりどうしようもないこの状況をどうにかしたいという考えで頭がいっぱいだった。

 このとき1年近く続いた僕の平穏な日々がしっかりと壊れる音をたしかに聞いた。
 「さかぐちくん」あの男性から放たれたこの言葉。嫌いな言葉はいくつもあるが、まさか自分の名前が「破壊の象徴」になるなんて。

 どうしよう……。
 
 この日を境に僕の人生は僕からすれば大きく、きっと他の人からすれば少しだけ変わることになるのだけれどそれはまだ少し先のお話。





 


 

 
 
 
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