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番外編
誓い―壱―
しおりを挟む「近頃は、何だか楽しそうですね、殿」
「…気のせいだ」
葵の父、笹野清政の部屋を目指し、颯爽と廊下を渡っているのは、言わずと知れた、義久と秀之である。
――和睦を…?
――…なるべく早く。
あの日から、幾度も訪問を重ね、漸く両国間のわだかまりも消えつつあるが、ここで手を抜いてしまっては元の木阿弥。
義久は、本日も和平交渉のため、清政の元を訪ねていた。
清政も、毎度相手方に訪問させるのは平等ではないと感じたのか、幾度も自ら東雲城に出向こうとしたのだが、それは義久に断られてしまった。
――こう言ってはなんですが、私の国と貴方様の国とでは、力の差があり過ぎるのです。私の国は、大きくなりすぎてしまった。貴方様を私の国へ出向かせてしまっては、殿を人質に取られたのではないか…と、無用な民の混乱を招く恐れがあります。故に、貴方様が此方に出向くようなことは、なるべく避けるべきです。勿論、交渉を中断させる気はさらさらありません。私が、いつ何時でも、伺わせていただきます。
正に、正論。
そして、その言葉の通り、義久が訪問を途切れさせることは、ついぞなかった。
「しかし、殿、一口に『和睦』と申しましても、実際、どうするおつもりなのですか?」
この秀之の問いは、的を射たものであった。
両国間のわだかまりが、領主同士の和睦で、簡単に解決されるとは思えなかったのだ。
「…幾分、卑怯な手を使う」
(和平にかこつけ彼奴を娶ろうなどと……情けない)
義久の沈んだ目の色とは裏腹に、秀之の目は、穏やかに微笑んでいた。
――――……
「よく来てくださった、義久殿」
毎度のことながら、清政の佇まいに、義久は感服していた。
「…はい」
威厳も、思慮深さも、強さをも備え、それでいて、穏やかで、どこか懐かしいような、そんな清政の人柄に、既に義久は惹かれていたのである。
(彼奴のあの性質にも、頷ける)
このような父の元で育ったのだ。
(俺の育った環境とは、比べるべくもない…)
義久は、自らの考えに苦笑した。
今更、そのようなことを考えて、一体何になるのか、と。
過去はもう、変えようがない。
「義久殿?」
「…はい」
「であるから、前回、義久殿が提案しておられたように、葵をそちらへ嫁がせることで、両国間の和睦を結ぶことが決定したのだ」
「…は…」
驚きに、言葉が出なかった。
実際、方法はそれしかない。
しかし、それを何の条件も無しに、いとも簡単に受け入れるとは。
(…どういうつもりだ…?俺の下心に、気づいているのか?)
「ただし、条件がある」
(…あぁ、やはりか)
所詮、この男も、一介の領主。
実の娘であろうとも、何の迷いも無しに、政の道具としてしまうのだ。
何を望む?
財か?領土か?
疑心と落胆に満ちた義久の目を、清政は真っ直ぐに見返した。
「誠に葵を嫁にしたくば、桜をなるべく近くに植えてやってくれ。あやつは、桜のもとでしか生きられぬ………頼む」
そう言って、一国の為政者である清政は、年端のいかぬ敵国の城主に頭を下げた。
その誠実で直向きな想いに、義久が何を言えただろう。
(…やはり、俺の下心には、気づいていたのか)
財も領土も望まず、ただ娘の幸せを願う父の姿。
義久は、ただ精一杯の誠意を以って応えたいと、そう思った。
「…はい、必ず。城に帰りしだいすぐに取り掛かります。その桜が育ち、私が彼女を守れる程の力を得たときには…また、このお話をさせていただきます」
小さな背をしっかりと伸ばし、はっきりとした声でその決意を語る。
瞳には、決して揺らがぬ想いをたたえて。
清政は安心したように笑い、そしてとても愛情深い目で、眼前の当主を見つめた。
もはや迷うことはない。
この幼い殿は、これまで出会ったどんな城主より情に厚く、義を重んじる男だ。
そして誰より心根の素直な、優しい少年だ。
少々分かりにくくはあるが。
(まぁ、我が娘なら大丈夫だろう。きっと分かってやれるはずだ)
まだ見ぬ二人の先行きを、清政は心のうちで言祝いだ。
「それでは、本日はこんなところか。義久殿、今後は話し合うこともないのだが、宜しければ、あと数回、葵の元を訪ねてやってくれ」
義久も、察しが悪いわけではない。
その意を、すぐにくみ取った。
「はい、是非に」
全く見知らぬ男の元へ嫁ぐことになるよりは、少しでも、葵の負担を減らしたい。
その思いは、義久も同じであった。
「…娘を、頼むぞ」
「…はい」
名を名乗る程の勇気は、やはり湧かない。
しかし少しでも、自分のことを、心に留めておいてほしい。
「…なんと、勝手なのだろう」
帰りの道中、自嘲する義久を、やはり秀之は、微笑ましげに見守っていた。
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