雨降って地固まる

江馬 百合子

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番外編

誓い―弐―

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 あの訪問から、早一週間。

 三日の内には再び出向こうと考えていた義久であったが、それはかなわなかった。

 原因は、隣国吉田氏の突然の訪問。
 訪問意図を尋ねたところで、適当にはぐらかされ、昨日ようやく帰路につかせたところだった。

「秀之、奴の狙いは…」
「えぇ、恐らくは」

 清政の居城を目指し馬を走らせながら、二人はやはりと目配せをした。
 もし、吉田氏の狙いが、義久を清政の元へと行かせないこと、つまりは足止めだったのだとしたら。

「俺と清政殿との同盟が、脅威となると考えたのか」

 古くから同盟を誓い合ってきたあの国が、よもや自国の動きを警戒してこようとは、と義久は苦笑した。
 それは秀之も同様のようだ。

「こう言ってしまっては何ですが、吉田氏は義久様のことを…」
「信用していない、どころか、疑ってすらいる」

 そうして今度は自嘲気味に笑った。

「分かっていたことだ。あやつと同盟を結んだのは俺の父。代替わりをした今、表面上はその盟約を守ってはいるがといったところか。まぁ、俺にも責任はあるのだろうが」
「義久様の噂はどれもこれも辛辣なものばかりですからね…」

 今度は秀之が苦笑をもらす番だった。

「言ってくれるな」

 これには義久も同意する他ない。
 まるで自分を鬼神であるかのように噂されるのは本意のことではないのだが、人の口に戸は立てられない。
 怯えられ、疎まれて、悲しみを感じないと答えれば、きっと嘘になる。
 しかし、それが他国への抑止力となるのなら。
 その結果、大切なものが守られるなら。

「俺のような幼子の治める国が、他国からの侵略を受けず、反乱も起こらず、豊かに暮らせるのも、それらの噂あってのことだ」

 そう言うと、義久は、あえて不敵に笑った。

「まぁ、意図したことではないのだがな。結果として噂様々だ」

 噂の大半は根も葉もないものばかりだった。
 何故、血も涙もない冷徹君主に仕立て上げられてしまったのかは、想像に難くないのだが。
 大方、反乱でも起こさせようとしたのだろう。だが、それも見事に逆効果となってしまっている。

「…知っていますよ」

 不敵に笑う義久とは対照的に、秀之は義久を寂しげに見つめた。

「貴方様は確かに、噂にあるような惨いことは一切しておられませんが、貴方様の、その頑なさが一層噂に拍車を…」
「言うな」

 秀之の進言を、義久はぴしゃりと止めた。

「…分かっている。分かってはいるのだが…」

 先程までの笑みがすっと消え、目元に影が生まれる。

「俺には、どうすることもできぬ」

 独り、暗闇の中、誰を恨むこともできず、誰に頼ることもできず、それでも何かを守りたい、ともがき続けてきた義久を、秀之は誰より知っていた。

「…知っていますから」

 自分では、義久を救うことはできないのだと、随分前に、気づいてしまった。

 しかし、願わくば、その悲しみに、少しでも寄り添うことができたなら。

 せめて、かの少女が、本当の光を与えてくれるまで。


――――……


「遅かったではないか義久殿。もしやこの話は破談になってしまったのではないかと憂慮していたところだ」

 それは、あながち冗談ではなかったのだろう。清政の表情は真剣そのものだ。

「申し訳ありません…幾分、事情がありまして」

 ともすれば言い訳とも取れる謝罪ではあったが、清政は一切気を悪くしたような素振りは見せなかった。
 それどころか、義久に気遣うような視線を投げかけ、やんわりと続きを促す。

「差し支えなければ、その事情とやらを話してはくれまいか?」

 義久は、慣れない種類の視線に戸惑いながらも、丁寧に頭を下げてことの経緯を話した。
 隠しておきたいことではあった。
 この和睦が他国を刺激する恐れがあると分かれば、機ではなかったと、清政がこれまでの話を白紙に戻しかねないからだ。
 戦を好まぬこの国の当主なら、そのような判断をくだす可能性も決して低くはない。
 義久は、それだけは避けたかった。

(ようやく、ここまで漕ぎ着けたのだ)

 これで、民の不安、飢え、悲しみは、大幅に減る。
 両国は、いがみ合い憎しみ合う関係を脱し、ようやく互いに手を取り合う関係に近づけたのだ。
 無論、傷ついた民の心が癒えるまでは、決して平和を語れはしない。
 それは、何十年先のことになるのだろう。
 それでも、そのきっかけをつくることが出来たなら。

(あの娘は、心から笑える日を迎えるかもしれない)

 いつの間にか頭に浮かんだ柔らかな笑顔に、自ら戸惑う。

(何故、このような場で、あやつの顔が…)

 その当惑顔をどう解釈したのか、清政は「まぁ、落ち着きなされ、義久殿」と穏やかに諭した。

「吉田といえば、義久殿の父君の世代からの同盟国。争いを好まず、常に自国の防衛に努めているような国であろう。この度の和睦、及び同盟によって、二国に同時に攻め込まれることを危惧したのであろうな」

 ただ一通りの説明のみで、ここまで正確に状況を把握してしまった清政に、義久は舌を巻いたが、感心してばかりはいられない。

「はい。私の信用が足りぬばかりに、申し訳ありません。しかし私は、今度ばかりは一切退く気はありません」

 最重要案件は早々に相手に伝えた。
 内心不安の渦巻く義久に対し、清政は何でもないことのように、「それはそうだ」と返した。
 一瞬、呆気にとられた義久に、清政はまた言葉を重ねた。

「私たちがどれ程この日を待ち望んできたことか…」

 その言葉に、義久は確かな安堵を覚えた。
 平和な世を望むのは自分ばかりでないのだと、そう、確信出来たのだ。

「義久殿の父君は、優れた為政者ではあられたが、少々、欲の強い方だった。幾度となく和平を呼び掛けたが、ついぞその夢は果たせなかったのだ。今代の御当主には、本当に感謝している」

 その言葉に、義久は、遠き日の父の姿を思い起こした。そしてそれをすぐに封じる。
 全て、忌まわしい、過去のことだ。

「…お志が同じということで、安心しました」

 かろうじて、それだけ呟く。

「あぁ、私もだ。…して、今後の対応なのだが、何か策はお有りか?」

 清政が、とうとう、核心を突いた。
 だが、義久は怯まない。
 それどころか顔色一つ変えずに、この道中ずっと悩み続けた結果を、淡々と報告した。

「何分、時が短すぎました。故に、考えの足りぬ部分はあるのでしょうが、私は、常套手段に出るべきかと」

 義久の意を察したのか、清政も大きく頷く。

「うむ、そうだな」

 清政の同意を得ることはできる。
 これはある程度の確信を持って言えることだった。
 その上で、義久はより詳細な策を承認してもらわねばならない。

「両国から吉田氏に文を遣わし、同盟を結びます。所謂不可侵同盟です。私は既に同様の同盟を結んでいるので、その強化という形になります。その際、手ぶらというわけにもいきませんので、いくらか用意していただかねばなりません。しかし、大方はこちらでもたせていただきます。何せこちらの信用問題が招いた結果なので」
「……そうか、よかろう」

 予想に反し、清政の発した言葉はその一言だけであった。
 何の意見も反論もしようとしない清政に、義久は内心戸惑う。
 現当主であるとは言え、義久はまだ年端もいかぬ幼子なのだ。そしてそれは、本人も十分理解している。
 だからこそ、戸惑ったのだ。
 何故、自分のような幼子が早急に出した案を、このように鵜呑みに出来るのかと。

「本当に、いいのですか?」

 つい、訝しげにそう問いかけてしまった義久を、清政は至極面白そうに笑った。

「いいも何も、それしかあるまい。この状況においては下手に相手を刺激するのは得策ではないだろう」

 それだけ言うと、清政は、ゆっくりと立ち上がった。

「清政殿…?」

 その場で戸惑う義久に、やはり楽しそうに笑いかけた清政は、障子に向かって歩き出した。

「そうと決まれば私は準備に取り掛かる」

 そして、障子を開き、退出際に一言。

「葵なら、何時もの部屋で待っているぞ」

 すーっと閉じられた障子を呆然と見つめていた義久であったが、数瞬後、ふっと笑うと自身もその障子に手をかけた。


――――……


 その頃葵の部屋では、目も当てられない争いが繰り広げられていた。

「姫様!いい加減になさいませ!貴女様は葵姫様なのですよ!?きちんと髪を結われてくださいませ!」

 そのお梅の剣幕にも怯むことなく、少女は後退しながらも言い返した。

「お梅、今更私が飾り立てたって、もう遅いと思うの。初対面があれだったのだし…私はこのままがいいわ。だって楽なんだもの」
「姫様!!」

 とうとう痺れを切らして追いかけ始めたお梅から、葵は心なしか楽しげに逃げる。
 きゃっきゃとはしゃぐ葵の視界の端に呆然とした義久が映った。
 どうやら、障子を開けてはみたものの入室を躊躇っていたらしい。
 それはそうだろう。
 義久は女兄弟など持っていない。どころか、城内で同じ年端の女子など見かけたこともなかった。
 しかし、女子、特にそれなりの身分の者は、慎み深く、はしたない真似など決してしない、という認識は持っていたのだ。
 それなのに、どうだろう。
 眼前の姫は、髪も結わずに室内を走り回っているのだ。それも、とても楽しげに。
 完全に、義久の理解を超えていた。

 そんな義久の心情などには全く気づかない葵は、そのまま彼の元へと駆け寄る。

「あっ!姫様!!」

 そして、お梅の制止を振り切り、

「ほらっ!逃げますよ!」

 と義久の手を引いて廊下へと駆け出して行った。

 後に残されたお梅は、一時呆然とした後、それはそれは長いため息をつき、その場にへたり込んだのだった。
 その数瞬後、苦笑をたたえた秀之が入室してきてお梅の苦労を労うのは、また別の話。

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