杜鵑草

江馬 百合子

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杜鵑草

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 山の木々は見事に紅葉し、秋の花はひっそりと咲き誇っている。山中が鮮やかに彩られていて、その美しい風景に思わず息をのんでしまった。

 楓は、この景色を少しでも彼に見せることが出来れば…と思い立ち、そして今現在、軽やかに山の中を歩き回り、秋の花を摘んでいるのだ。


 艶やかな髪をはためかせ、着物の裾が汚れようと、それでも夢中で、色めく草花を摘み続けた。


――青く色づく竜胆は、あのお方を思い出させる。

 病が進行するほどに冷たくなっていく、哀しい人。

この頃は、話をするどころか、近寄ることすら許してもらえない。


『…少し、感傷的になってしまいました…』


 楓は一人笑いをこぼすと、また作業に没頭し始める。

 一本、また一本、次々と手の内の花が増えていく度に、なんだか切ない気持ちになってしまう。


『秋の花々というのは…どうしてこうも、美しくも寂しげなのでしょうか…』


 ついつい、そんなことを考えてしまう程に。

 そのとき、ふと楓の目に入ったのは…


『杜鵑草…確か…あの花は…』


 楓は嬉しそうに微笑むと、優しくその花を手折った。


…病に苦しむ彼が、少しでも笑ってくれますように。


――――……


「ただいま戻りました!」

 城に戻った楓は、元気よく挨拶をした。

 今日は無断で山に入ってしまったため、突然の帰りに城中が騒然とする。


「楓様!御無事で!」

「毎度のことながら困ります!」

「何処に行ってらしたのですか!?」

「きちんと供の者を御付けになってください!」

 いつも、悪かったと反省するのだが、耳にたこができる程聞かされている台詞なので、どうしても聞き流してしまう。

 しかし、その次の一言に、楓は目を丸くする。


「殿も、心配なさってましたよ!」

「え…!?」

 あの方が…私なんぞの心配を…?


……ありえない。


 楓は自己完結した。


『確かに…私とあの方は恋仲ですけれど…きっと、何かの間違いでしょう…』


 かつては親しげに接してくれていた想い人を思い出し、楓は切なさで胸がいっぱいになる。
 彼にはもう、愛想を尽かされているのかもしれない。

 楓は、先程摘んできた花々に視線を落とす。

 けして目立つことはない、この花だけれど…確かに、この花に勇気をもらったから。

 彼にどう思われようと自分の気持ちは変わらない。


『杜鵑草…喜んでくださるでしょうか…』

 淡い期待に胸を膨らませながら、楓は城主の自室へと歩みを進めるのであった。


――――……


 部屋の中へ、声をかけるようなことはしない。
 何故なら、断られてしまうから。

 楓は、暫くの間訪れることのなかったその部屋の襖を、豪快に開け放った。

 起きているかと思いきや、目的の人物は穏やかに寝息をたてていた。

 しかし、よくよく観察してみれば、額にはうっすらと汗をかいているし、僅かだが呼吸音も聞こえる。
 何より、咳がひどい。
 たまに咳込む程度だが、寝ながら咳込むだなんて、楓には考えられないことだった。

『これは…起こしては駄目…ですよね…』

 そっと立ち上がろうとした、そのとき…

「何者だ」

 楓の首元に、刃の切っ先が突き付けられていた。

「さ、さすがです…正時まさとき様」

 その声を聞くと、正時はあからさまに眉をひそめた。

「君か…何故君が私の自室にいるのだ」

 刀を収めながら、平淡な声で、そう問われる。
 楓はそれにも全く動じず、笑顔で答えた。

「秋の花が綺麗に色づいていましたので、お届けに参りました」

「…頼んだ覚えは…ゴホッ…」

「正時様!?」

 彼の、異様な程に白い手には、

「………!」

紅葉のような深い…朱。

「横になってください!今、人を…」

 取り乱す楓の手首を正時は強引に掴んだ。

「…騒がないでくれないか」

「しかし…!」

「いつものことだ」

「え……?」

 いつも…?

「いつも…こんなに苦しまれていたのですか…?」

 正時は冷たく笑いながら、さらりと答える。

「もう慣れた。自分の命が、そう長くはないことも知っている。だが、未練や悔いはない。私は天下のために、最期まで働けたのだ」

「そう…ですか…」

「君も、もうここへは来ないほうが良い。
このようなことは時間の浪費に他ならぬ」

「………嫌です」

 消え入りそうな声だったが、それでも、その目は冗談を言っているような目ではなかった。

「…同情か?…そんなものは私には必要ない」

「違います」

 今度は、はっきりと、良く通る声で言った。

「正時様に未練がなくとも、私には…あります」

 正時は、不思議でならないといった顔をする。

「どうして君に未練があるのだ?理に適わないにも程がある」

 楓は、そんな正時に構わず話を続ける。

「私たちが晴れて恋仲となって…もう、どれくらいたったでしょうか…」

「……!君はまだそんなことを…私はもうじき…」

「…関係ありません」


 あまりに強い語気に、正時は圧倒された。


「大切な貴方様は、今、生きておられます。
誰がいつ死ぬかなど、誰にもわからぬことなのですから」


 堪えきれずに正時は笑い出した。


「確かに正論だ。…君には敵わないな」


「そして…私の未練というのは…」


「少し、待ってくれ」


 これから、というときに待ったをかけられ、楓は少々不満げだ。

 正時は、そんな楓の腕を引くと、そっと、その唇を塞いだ。

 唇を離してもなお、楓には何が起こったのか、未だに理解出来ていない。


 一人慌てる楓に、とどめの一言。


「私の妻になってはくれないか…?」


 楓の顔が、みるみる朱くなる。

 幸せ過ぎて、言葉が出てこない。


「残された時間は…君と過ごしていきたいと思っていたのだ。今まで踏ん切りのつかなかった自分が、情けない。このような身の上だが…嫁いでくれるか?」


 楓は持ってきた花束のことも、相手が病人であることも忘れて、その胸に飛びついた。

 おかげで部屋中に花々が散乱したが、正時は楓をしっかりと抱き留めた。


「まったく…君は騒々しいな…」

「正時様!ありがとうございます…!
私…本当に幸せです…!」

「…それは、こちらの台詞だ」

「…え?」

「…私が死んだら、君はどうするつもりだ?」

「御心配には及びません!
 私、これでもなかなか強いんですから!
 だから…安心して待っていてください」

「…黄泉の世界でも夫婦か」

「……お嫌ですか…?」

「いや、さすが私の妻だと思ってな」


 楓の顔が更に朱くなっていく。

 楓は、照れを隠すかのように杜鵑草を掴むと、正時へ差し出した。


「正時様、杜鵑草の花言葉をご存知ですか?」

「……?」


 楓は呆然としている正時の耳元に顔を寄せて、囁いた。


「『永遠に貴方のもの』」


 大切にしてくださいね。と柔らかく微笑む楓を、正時は先程よりも強く抱きしめた。


「やはり…君には敵わない」

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