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第五十八話 君のその髪
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颯馬の口から落ちた呟きが、堀家の居間に響いた。
「無月さん、その髪……」
尚も続けようとする颯馬の口を、佐月が目にも留まらぬ速さで塞いだ。
「さぁ、颯馬はお兄さんと一緒にあっちの飾りつけしような! 夏希! 廊下の飾り付けは任せろ!」
「任せた!」
堀兄妹の連携により、颯馬は一言も発することなく連行されて行った。
無月はその様子を見届けると、隣の蜜華と日向に苦笑する。
「そんなに気を使わなくていいのに」
「まぁ確かに、あれはちょっとあからさまでしたわね」
「だが、あいつに髪の話をされると無月も困るだろ。全くどんな神経してやがるんだ」
「颯馬さんのこと、そんな風に言うものじゃないわ」
無月が首を振ると、日向は心底不満そうに眉をひそめた。
詳細は知らないが、大事な幼なじみを振った男なのだ。文句の一つくらい言わせてほしい。
蜜華もそうだろうと促すと、予想に反し、彼女は冷静だった。
「そうですわね……でも、こればかりは無月様の問題ですから。それに、私も多かれ少なかれ、颯馬様のことは好意的に見ておりますわ」
日向様もそうでしょう?
穏やかにそう尋ねられ、日向の口はますますへの字に曲がった。
「……まぁ、悪い奴ではないとは思ってる」
「意地っ張りですわね」
ころころと笑う蜜華と、不機嫌そうで、それでも満更でもなさそうな日向。
あの日向がこんな顔をするなんて、と無月は目を細めた。
惚れたが負けとは、よく言ったものである。
「完全に尻に敷かれてるわね」
「あの日向さんが……槙が見たら倒れるかも」
夏希と一葉は、こそこそと囁き合って肩をすくめた。
「そういえば、肝心の槙さんはいつ来るの? 入ってきたらクラッカー鳴らすんでしょ?」
「もうじき着くみたいだけど」
佐月が焼き上げたパンの周りに、サラダとスープを並べていく。
メインのチキンは既にオーブンの中でこんがりと温まっていた。
一葉はふと、室内に視線を巡らせた。
遠くから聞こえてくる佐月と颯馬の声。
輪飾りを天井に留めながら、談笑している無月、蜜華、日向。
そして、隣で鼻歌交じりに手を動かしている夏希。
ふと目が合うと、彼女は不思議そうに首を傾げた。
「どうしたの?」
一葉は、視線を外して、ミトンを取り、グラタンの位置を整えた。
それから、なるべく何気なく聞こえるように答えた。
「皆が変わらず側にいてくれて良かったなって」
夏希は眉を下げると、くしゃりと笑って一葉の頭を撫でた。
「当たり前でしょ! 心配性なんだから」
一葉から、兄と恋人になったと聞いたときには、正直なところ驚いた。
二人の間にそんな気配など微塵も感じなかったから。
あれほど側にいたのに気付いてあげられなかった自分が、少しだけ悔しかった。
気付いていれば、もっと早くその背中を押してあげられたのに。
苦しむ必要なんてないのだと、伝えてあげられたのに。
夏希は暫く思い巡らすと、その考えを打ち消すように首を振った。
いや、きっと、この二人はあれで良かったのだと。
回り道をしたようだけれど、恐らく無駄なことなんて一つもなかった。
苦しいことも、嬉しいことも、全ての経験が、これからの二人の糧になることだろう。
「幸せになりなさいよ。好きな人が自分のことを好きなんて、そんなの、奇跡みたいなものなんだから」
一葉は、花がほころぶような笑みを浮かべ、一つ頷いた。
「そうだね。うん、こんなに幸せなことってない」
彼を想うとそんな顔をするのかと、夏希は一瞬刮目したが、あえて指摘はしなかった。
この先もずっと、親友の幸せな微笑みを隣で見ていたいと思ったから。
代わりに、少し声を潜めて問いかける。
「ところで、無月さんと颯馬のことなんだけど、本当に颯馬が無月さんを振ったのかな?」
これには、一葉も何とはなしに違和感を覚えていたので、一緒に首をひねった。
「私もおかしいなと思ってたんだよね。いくら颯馬でも、自分が振った人の短くなった髪を指摘するかな?」
「あの驚き方もなんか釈然としないっていうか。まさに青天の霹靂って顔だったし」
そうして暫くの間黙って考え込んだが、結局は二人の問題かと息をついた。
周囲はやきもきしながらも、見守るしかないのである。
「あー! 誤解だったらと思うともやもやする! でも下手に口出しすると拗れるだろうし……!」
「暫く様子を見るしかないだろうね……」
そのとき、玄関扉のカランカランという音が、廊下の先から聞こえてきた。
追って、佐月と颯馬の声と、クラッカーの音が響く。
一葉と夏希、そして、ちょうど飾り付けを終えた無月、蜜華、日向は急いで位置についた。
各々、クラッカーに手をかける。
そうして扉が開くや否や、楽しげに弾ける音が部屋中に鳴り渡った。
「誕生日おめでとう! 槙!」
槙は驚きに目を見張ったが、面々を見回し、心底嬉しそうに、まるで幼い子供のように笑った。
「……ありがとう」
少し震えたその声をかき消すように、背後から佐月と颯馬が背を叩き、その肩を組んだ。
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