薄幸の佳人

江馬 百合子

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第五十九話 家族会議

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「さぁ颯馬、揃ったわよ。相談って何なの?」

 若瀬家の食卓は、ある種の異様な緊張感に満ちていた。
 右から、茶子さこ初子はつこ江子こうこと並び、眼前の弟に視線を注いでいる。
 その視線の鋭さに颯馬は生唾を飲んだ。
 自分から呼び立てておきながら、早くもこの状況を後悔し始めている。
 だが、こと恋愛に関して、これほど頼りになる者たちを他に知らなかった。

「ちょっと聞きたいことがあって」

 恐る恐る切り出すと、三人は一様に聞く態勢に入った。
 何だかんだで、皆弟が可愛くて仕方がないのだが、それが本人に伝わっていない以上、この沈黙ほど颯馬を追い詰めたものはなかった。

「……女の人が、髪を切るってどんなとき?」

 予想だにしていなかった質問に、闊達な茶子でさえ、ぽかんとする。皆この質問の意図がうまく飲み込めないようだった。

「うーん、私は雑誌で可愛い髪型見つけたときかな!」

 固まりかけていた空気をほぐすように、三女の江子が元気よく答える。
 すると、次女初子が後を引き継ぐように口を開いた。

「そうね、私は伸びてきて手入れがしにくくなったときとか」

 探り探りの回答だったが、颯馬はどこか安心したように、「やっぱり色んな理由があるよな」と納得していた。
 この感じで答えればいいのかと、お鉢の回ってきた茶子も周りの友人を思い浮かべながら、続けた。

「あとは……気分を変えたいときとか? 失恋したときとか、いい例だと思うけど」

 その瞬間、颯馬の表情が、ぴきりと凍った。
 あまりに分かりやすい反応を示した彼に、三人は困惑する。
 一体全体どうしてしまったのだろう。
 年の割にどこか老成した弟がこんな風に悩み、取り乱すなんて。
 三人は目配せし合い、無言のうちに、初子が探りを入れることになった。
 三姉妹のうちで最もおとなしい彼女は、若瀬家の良心であり、颯馬の良き理解者でもあった。

「身近な人が髪を切ったの?」

 颯馬は首肯する。

「……うん」
「それで、何でその人が髪を切ったのか、気になったってこと?」

 颯馬は、もう一度頷いた。

「……その人に『好き』だと言われたんだ。でも、冗談だと思ってしまって」

 その言葉を聞いたとき、思考が固まってしまった。
 世界中に、ただ二人だけ取り残されてしまったかのようで、何故かそれが嬉しかった。
 そして、それを嬉しいと思ってしまった自分が、まるで見知らぬ他人のようで、どこか恐ろしかった。
 唯一人への執着というのは、こんな気持ちなのだろうか。
 夕焼けに濡れるただ一人の女性しか目に入らないその感覚は、まるで夢の中に立っているかのようだった。
 そのとき、眼前の彼女が、笑った。
 年齢の割に幼く、剥き出しの心を全て晒すかのような、いつも通りの無防備な笑み。
 颯馬はその瞬間、初めて彼女の笑顔に見惚れた。
 瞳を奪われるとはこういうことかと、彼は半ば信じられない気持ちで硬直する。
 どんな美女にも心惹かれることなどなかった自分が、まるで木偶の坊のように、眼前の麗人に惹きつけられている。
 そのとき、唐突に思い至った。
 彼女は、この世に二人といない傾国の美女であったということに。
 気づくと同時に、どうしようもない自己嫌悪に陥った。
 あれほど美を特別視する輩を疑問に思ってきたのに、結局のところ、自分も美人に惹かれているではないか、と。
 颯馬の内面は、様々な感情が吹き荒れ、ほとんど前後不覚だった。
 様々な思い出が、言葉が、顔が、浮かんでは消えていった。
 この中には、彼女の周囲の男性――日向や槙、そして、あの日暗がりの中で会った、彼女の上司と思われる男の顔もあった。
 颯馬の頭は、急速に冷えていった。
 あの日の彼女の表情を、思い出した為である。
 彼女はあのとき、わざわざ店から追いかけ、駆けつけてくれたあの男を、見つめていた。
 暗闇の中でさえ間違えようのないほどひたむきに。
 そして、その瞳の中には、誰もが恥じらうほどの想いが、確かにこもっていたのだ。
 頬を染め、瞳を潤ませて、彼女は確かに、あの男を見つめていた。
 柄にもなくかっと頭に血が上りそうになる。
 それを颯馬は、小さく深呼吸して抑え込んだ。
 突拍子も無い彼女のことだ。
 きっと何か理由あってのことに違いない。
 本番前にちょっと練習しておきたいとか、今の告白に、何かアドバイスがほしいとか。
 いかにもありそうなことだった。
 それだけ信用されているということなのだろう。
 しかし、何故かそれを素直に喜ぶことができなかった。
 それどころか、言いようのない虚しさと苦しさが、喉の奥からせり上がってくる。
 とても冷静なアドバイスなどできそうになかった。
 だから颯馬は逃げたのだ。
 これ以上聞きたくないとばかりに、有無を言わせぬ笑顔を貼り付けて。

「でも、それから彼女と会うことがなくなった。前は毎日会っていたのに。そのときになって初めて、無月さんを怒らせてしまったのかもしれないと気づいた」

 江子は首を傾げながら、「メールで謝ったら?」と提案する。
 すると颯馬は俯いて首を振った。

「謝ったけど、『怒ってない』って。むしろ謝り返されてしまって。直接話を聞こうにも、会えないならどうしようもなかった」

 しかし、それから一週間の後、槙の誕生日会があることは分かっていた。
 だから、それほど焦る気持ちもなかったのだ。
 どちらにせよ、顔を合わせることになるのだから。誤解があるのならそのときに解けばいい。
 しかし、そんな悠長な考えも無月の髪が目に入った瞬間、霧消した。

「腰まであった長い髪が、肩につかないくらい短くなってて……」

 そして、颯馬の顔を見た瞬間、表情が凍りついたのが分かった。
 ほんの一瞬のことだったけれど。
 それがどうしようもなく颯馬の心を傷つけた。
 それから作られたぎこちない笑み。
 何とかいつも通りに振る舞おうとする彼女を見て、颯馬は何が何やら分からなかった。
 あんな顔をされる理由が、自分にはない。
 彼女がどうしてあそこまで自分を避けるのかが分からない。
 心当たりがあるとするならば、それは――

「……颯馬は、もっと、自分に自信を持たなくちゃ」

 珍しく悲しげな声が、茶子の口から零れ出た。
 ふと前を見ると、初子や江子まで、どこか俯きがちに颯馬を見守っている。
 暗くなりかけた空気を、江子がぱっと笑って霧散させる。

「そうよ! 茶子姉の言う通り! あんたパパに似ていい男なんだから」

 初子も穏やかに笑って頷くと、颯馬の手を撫でた。

「『好き』だと言ってくれたなら、それを信じてみてもいいと思うの。会えなくなったっていっても、何の手がかりもないわけじゃないんでしょ?」

 颯馬は、目を見開いて、頷いた。
 そうだ。会えなくなったのではない。
 彼女の方から会いに来てくれなくなった。ただそれだけだ。
 彼女の通う大学も、アルバイト先も、言ってしまえば住んでいる場所さえ知っている。
 それなのに、一度も自分から彼女に会いに行ったことなどなかった。
 待ち合わせを提案するのも、訪ねてくるのも、連絡をくれるのも、全て彼女の方からだった。
 自分たちの関係は、ただ彼女の優しさによって、支えられていたのだ。
 その事実に、愕然とした。
 対等なライバルだと思っていた関係が、全て彼女の努力によるものだったとは。
 そんなことにも気がつかなかったなんて。
 颯馬は唇を引き結ぶと、さっと立ち上がった。


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