縁日ヶ丘物語

尼子猩庵

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閑暇に行ず 2

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 とつじょ侵略して来たゴキブリを、命子は事故以来平気になったと言って勇敢に叩き潰していたが、いくら退治しても転生して来る神出鬼没の妖怪に美那子は半狂乱になっていた。

 排水口や換気扇が疑われていた侵入元が室外機のホースだと判明するまで長く苦しい闘いだった。きっとどこかの部屋でバルサンを焚いたのに違いない、それで逃げ出したのが周囲に散ったのだろうと美那子は誰にともなく呪詛を送った。

 海まで出かけていて、日が暮れかかる。控えめな浜に短い突堤が伸び、先端で釣り人が糸を垂れていた。美那子と命子は突堤の中ごろに座って、コンビニで買って温めてもらったカルボナーラだの焼うどんだの食べながら、小瓶の赤ワインを飲んでいた。

 丸裸な眩しい夕日を命子が携帯電話で撮っていた。「カメラの目が潰れないかな」。遂に夕日が沈むと、西の彼方の工場地帯のシルエットが浮かんだ。南へ煙を流すたくさんの煙突がちかちか点滅し、溶鉱炉から細い炎が立っていた。

 そのあたりにも電車に乗って行ったことが何度かあった。埋め立て地な工場地帯との境界は非常に高い緑色のネットで区切られ、手前にクスノキを基調とした細長い森が沿う。そのまた手前にはわりと幅広な堀が沿い、鴨やさぎや鯉やボラや亀やヌートリアがいた。

 堀に沿うて花壇やベンチが点在する柳の遊歩道だった。風雨に傷んだ看板を読むに、近くの小学校の生徒たちが管理していたらしい打ち捨てられた花壇には、野生化して小ぶりになったムスカリとヒヤシンスが青紫の色を合わせて地面にもこぼれ落ちて咲いていた。

 それは何年も前に舞と歩いた時の光景であった。その近くにある有名な温泉施設へ行くつもりが、迷い込んだ先にたいそう長い遊歩道の伸びているのを舞が喜んで、歩いたのだった。

 命子と行った時にはムスカリもヒヤシンスも季節柄すがたを隠し、代わりに夏水仙が咲いていた。やはり花壇からこぼれ落ちて咲いているのを数輪、持参のスコップとビニール袋で以てこっそり盗掘して帰り、赤銅の団地の花壇に植えた。

 近ごろ見に行っていないけれども、もう無くなっているだろうと思われた。この手の勝手な植栽は何度かやったことがあったけれど、だれか花壇を世話している人が抜いてしまうのだった。

 浜辺を歩いている。今日は海あんまり匂いしないね。海にも体臭の強い日と弱い日があるのよ。途中から砂浜というより黒々とした小石だらけで、足つぼにいいんじゃないのとはだしで歩けば、むりむり痛い痛い、あんがい貝だらけだ。刺さる刺さる。

 それから貝集めをした。きれいと思った貝殻も乾くとたいがい凡庸だった。濡れてるあいだはなんでもきれいね。女の若いのと同じでさ。やがて集めた貝殻から物語を編む。その架空の町のお金は、カラス貝→ツメタ貝→マテ貝→桜貝→宝貝という順に高価になってゆく。一番高価なのはなに? 一番はねえ……諭吉。

 突堤に戻った。そのまましばらく動かなかった。

 こう長くいると、初めから遠く近くすでにいた人々と仲間であるような心持ちになって来る。年ごろがちょっとわからないけれど若いらしいカップル、赤ん坊を抱いて座っているお母さん(潮風に赤ん坊が冷えてしまわないか心配であった)、発達障害らしい青年とその父親らしいおじさん、だいたいこのあたりが本日のメンバーだった。

 たわいない話をしたり、黙って空を見上げたりしていて、ふとふり返るたびまだそこにいるので毎回小さな驚きを覚える。にわか仕込みの二人とは持久力が違うらしかった。

 そこに来ればいつもいる風物であるかのようだった。あるいは人間ではなかったり、この手の暇つぶし――あるいは人生最大の目的――に熟達している高尚な人々であるかのようだった。


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