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第9話:幕間
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リハーサルを終えたスタジオの廊下は、どこか冷ややかで、機械的な静寂に包まれていた。
「……一人にさせて」
控え室のドアの前で、美沙姫は細田を振り返ることなく言った。
その声は、糸のように細く、今にも千切れてしまいそうだった。
細田が何かを言いかける前に、ドアは静かに閉じられた。
廊下に取り残された細田の耳に、すぐ近くの角から下卑た笑い声が飛び込んできた。
「……ヒ、ヒヒッ! 監督、最高っすね! まさかあんな……あんなにグイグイ揉ませてくれるなんて……。手、洗いたくないなぁ。今もまだ、指の間にあの感触が……デュふっ」
高木が、自分の太い指を一本ずつ眺めながら、粘ついた笑みを漏らした。
「本当にね。あんな小さなカップの中に、あんなに柔らかいものが隠れてたなんて……。しかも、見た? あの先っぽ。空気触れた瞬間にツンって……。あんなの、僕たちの指があんな風にさせたんだよ。……たまらないよね、美沙姫ちゃんのあんな顔」
宮崎は、恍惚とした表情で天井を見上げ、思い出すように呟いた。
その口調は、狂信的なファンが聖遺物に触れた後のような、不気味な熱を帯びている。
「あ、当たり前ですよぉ。日本のトップアイドルなんだからぁ。それが、お、お金もらって……仕事でお芝居としてレイプできるんだから。あー、本番はもっと……もっとグチャグチャにしたいなぁ……」
「そうだね。彼女も『よろしくお願いします』って言ってくれたし。あんなに従順にされると、こっちも『本気』で応えてあげなきゃ失礼だよね」
二人はリハーサルの興奮を隠そうともせず、細田の前を横切って向かいの控え室へと入っていった。
彼らの通り過ぎた後には、獣のような生々しい体臭と、救いようのない悪意の余韻だけが残された。
ドアを閉めた瞬間、美沙姫は洗面台に駆け込み、胃の底からせり上がるものを吐き出した。
「……うっ、げほっ、……ぅ……!」
胃液の苦い味が口に広がる。
リハーサルで高木の太い指が胸を抉るように動いたあの圧力。
宮崎の、汗でびちゃびちゃになった掌が直接肌に吸い付いた、あの生々しい感触。
そして、ブラジャーがずり落ちて剥き出しになった先端を、確信犯的にひと撫でしていった指先の「悪意」。
それらすべてが、彼女の神経を逆なでし、生理的な嫌悪感として全身を駆け巡っていた。
先ほどのリハーサルは、まだ「指導」に過ぎない。
これから始まる「本番」では、カメラが回り、大勢の男たちの視線という網に絡め取られながら、文字通りすべてを剥ぎ取られる。
(嫌だ……、もう嫌……っ。なんで、私こんなこと……)
視界が歪む。
喉の奥が引き攣り、過呼吸気味に肺が痛む。
パニックになりそうな心を必死で抑えつけ、彼女は反射的に、まだ熱を持っている胸元をシャツの上から押さえた。
男の汗が染み込んだような気がして、激しくこすり落としたい衝動に駆られるが、その時間さえも奪われていた。
彼女は震える指先で、乱れた衣装の襟元を直し、無残にずれたブラジャーを、泣きそうな顔で正しい位置へと戻した。
今ここで崩れてしまったら、外で手薬煉(てぐすね)引いて待っている連中に、何をされるかわからない。
その本能的な恐怖だけが、彼女をかろうじて立たせていた。
(泣いちゃだめ……。今泣いたら、目が腫れちゃう。カメラに……映っちゃう……)
彼女には、この理不尽を跳ね返すような強大なプライドも、女優としての確固たるキャリアもなかった。
ただ、今ここで「女」として完全に壊されてしまうことへの、絶望的な拒絶。
震える指先で目尻を強く押さえ、彼女はただ、鏡の中に映る「蹂躙された後の顔」をした自分を見ないようにして、耐え続けた。
向かいの控え室の半開きになったドアの隙間から、高木と宮崎の声がさらに露骨になって漏れ聞こえてくる。
細田は廊下で石のように固まったまま、その毒々しい会話を聞かざるを得なかった。
「……最後、抜くときに一瞬だけ触ったんだ。美沙姫ちゃんの乳首。あんなに硬くなって、ツンと立ってて……。あれは恐怖なのかな、それとも僕らの手で……ヒヒッ、最高だ。本番はもっと直接、あの熱を感じられるんだろ?」
「な、生だともっと……ヌチャヌチャ、いうのかなぁ……」
高木が、下卑た妄想を膨らませて喉を鳴らす。
「……あー、僕一回、トイレ行って抜いときますわ。このままだと、本番で触った瞬間に……出ちゃう、かもしれないんでぇ。デュふふっ」
細田の拳が、怒りと無力感でみしみしと音を立てた。
美沙姫が一人で絶望に耐えているそのすぐそばで、彼女を蹂躙した男たちが、その感触を肴に下劣な快楽を貪っている。
その汚らわしい現実に、細田は眩暈がするような吐き気を覚えた。
その時、廊下の向こうから、複数の重々しい足音が近づいてきた。
「いやあ、皆さん! 本日はわざわざありがとうございます」
プロデューサーの曽我だった。
その後ろには、高級そうなスーツに身を包んだ、脂ぎった顔の男たちが連なっている。
「曽我さん、実際の美沙姫さんはどうなんだ? 写真より綺麗なのか?」
「本当に脱ぐんだろうね? 安くない金を出してるんだからな。途中で嫌だなんて言わせないぞ」
スポンサーたちの露骨な問いに、曽我は揉み手をしながら卑屈な笑みを浮かべた。
「ええ、実物は写真の何倍も美しいですよ。汚れのない、透き通るような美貌です。それを本番では、すべて脱がせます。前張りも一切なし、生まれたてのままのすっぽんぽんです。どうぞ、特等席でたっぷり堪能してやってください」
「ほう、すっぽんぽんか。それは楽しみだ」
大名行列は下卑た笑い声を残してスタジオへと消えていった。
細田は、ただ立ち尽くしていた。
怒り、悲しみ、それ以上に、自分に対する猛烈な怒り。
目の前でこれだけの悪意が渦巻いているのに、自分は一言も抗議できず、ただ聞いていただけだった。
これからこの部屋から出てくる美沙姫を、地獄に送り出す役目を自分が担う。
その事実に、胃が捩れるような感覚に襲われた。
「……細田さん、美沙姫さんを。時間です」
助監督の無機質な声が、細田の背中を叩いた。
細田は、自分の声が震えないように必死で整え、美沙姫の控え室をノックした。
「……美沙姫さん。お時間、です」
短い沈黙の後、ゆっくりとドアが開いた。
出てきた美沙姫は、洗面台で必死に整えたはずだったが、その表情は陶器のように強張り、指先はまだ隠しようもなく微かに震えていた。
彼女が廊下を一歩踏み出すと、それを待ち構えていたかのように、向かいの部屋のドアが音もなく開いた。
中から出てきたのは、高木と宮崎だった。
二人は一切言葉を発しなかった。
しかし、その沈黙がかえって異様な圧迫感を生んでいた。
高木の濁った瞳は、先ほどまで自分の指が沈み込んでいた彼女の胸元を、記憶をなぞるようにじっと見つめている。
宮崎もまた、シャツの中に手を滑り込ませた瞬間の熱を反芻するかのように、粘りつく視線を彼女に固定していた。
二人は、獲物を追い詰める捕食者のような足取りで、美沙姫のすぐ後ろにぴたりと続いた。
前を行く、今にも折れそうな美沙姫の細い背中。
それを執拗に追い、無言のまま彼女の背後を蹂躙し続ける二つのどす黒い欲望。
細田には、その光景が、清らかな生贄を祭壇へ連れて行く醜悪な行進のように見えた。
自分が彼女をこの場所へ、この男たちの手の届く場所へ連れてきてしまったのだという猛烈な後悔が、細田の胸をえぐる。
スタジオの入り口が見えた瞬間、美沙姫の足がピタリと止まった。
境界線の向こう側に広がる、自分を剥くために配置された冷たい機材の群れ。
そして、リハーサルで辱めを受けた「あのベッド」が鎮座するセット。
この一線を跨げば、もう二度と人間としての日常には戻れない。
本能的な拒絶が、彼女の身体を金縛りにした。
高木と宮崎は、そんな彼女の葛藤をあざ笑うかのように、舐めるような視線を一瞥だけ寄こすと、無言のまま彼女の横をすり抜けて一足先にスタジオの暗闇へと消えていった。
美沙姫が入り口で立ち尽くしていると、曽我が足早に近づき、彼女の細い腕を掴んだ。
「何をしている、美沙姫ちゃん。さあ、こっちだ。まずはご挨拶からだ」
抵抗する間もなく引きずり込まれた先には、パイプ椅子に踏ん反り返ったスポンサーたちが待ち構えていた。
「出資者の方々だ。しっかりお礼を言いなさい」
耳元で低く命じられ、美沙姫は染み付いた習慣に従って深く頭を下げた。
頬を引き攣らせ、必死に営業用の笑顔を作る。
「本日は、お忙しい中ありがとうございます……下田美沙姫です」
丁寧な挨拶。
だが、顔を上げた瞬間に彼女が目にしたのは、スポンサー席の正面に並ぶ、暴力的なまでの大きさのモニター群だった。
これから大勢の男たちの前で晒される自分の全てが、あそこに、逃げ場のない鮮明さで映し出される。
その現実を前にして、笑顔でお礼を言い、頭を下げている自分自身の滑稽さに、彼女は足元が崩れ落ちるような戦慄を覚えた。
スポンサーたちは一見、紳士的な笑みを浮かべていた。
「御子柴監督の最後を飾るにふさわしい、歴史に残る作品を期待しているよ」
「この映画は君の美しさがすべてだ。どれほどのものか、期待させてもらうよ」
口々に向けられる言葉はもっともらしいが、その視線は蛇のように執拗に彼女の喉元や、先ほどまで男たちの手で弄ばれていた胸元を這い、服の繊維を透かそうとするかのように卑猥に動いている。
最後の一人が、ねっとりとした声で囁いた。
「美沙姫ちゃんの『覚悟』……そのすべてを、しっかり見届けさせてもらうからね」
「覚悟」という言葉に込められた含み。
それは、彼女が今日この場で「女」であることを捨て、晒し者になることを指していた。
言葉が喉に張り付き、声が出ない。
そんな彼女の腰に無理やり手を回し、曽我が耳打ちした。
「ほら、『ありがとうございます、頑張ります』でしょ? 」
「……ありがとうございます。頑張ります」
壊れた機械のように繰り返すと、曽我は満足げに彼女を解放し、地獄の祭壇であるセットへと促した。
背を向けて歩き出す美沙姫の背中に、男たちの抑えきれない本音が、止まない羽音のように突き刺さる。
「……たまらんな、あの怯えた顔。本当にあれが全部脱いで、すっぽんぽんになるのか?」
「かわいいよなあ。あんな風に丁寧に挨拶された後に、あの身体を拝めるなんて。ギャップが最高だよ」
セットの端でその光景をすべて見ていた細田が、たまらず曽我に詰め寄った。
「曽我さん! あんな見せ物にするなんて……彼女の尊厳をどう考えてるんですか! 少しは配慮していただかないと……」
だが、曽我は眉一つ動かさず、吐き捨てるように言った。
「君、勘違いするな。映画はスポンサーありきなんだよ。お前の言う尊厳だの配慮だので、この数億の金が動くと思うか?」
曽我は冷酷な目で細田を射抜いた。
「どうしても彼女を守りたいってんなら、今すぐここで、あそこに座ってる連中が出した出資額を全額キャッシュで肩代わりしろ。そうすれば、お前の甘っちょろい意見を考えてやっていいぞ?」
一蹴され、細田は唇を噛み締めて黙り込むしかなかった。
眩い照明の下、死刑台のようなセットの中央で、美沙姫が孤立無援のまま立ち尽くしている。
その姿を遠くから見つめながら、細田はただ、自分の無力さとこの世界の醜悪さに打ち震えることしかできなかった。
「……一人にさせて」
控え室のドアの前で、美沙姫は細田を振り返ることなく言った。
その声は、糸のように細く、今にも千切れてしまいそうだった。
細田が何かを言いかける前に、ドアは静かに閉じられた。
廊下に取り残された細田の耳に、すぐ近くの角から下卑た笑い声が飛び込んできた。
「……ヒ、ヒヒッ! 監督、最高っすね! まさかあんな……あんなにグイグイ揉ませてくれるなんて……。手、洗いたくないなぁ。今もまだ、指の間にあの感触が……デュふっ」
高木が、自分の太い指を一本ずつ眺めながら、粘ついた笑みを漏らした。
「本当にね。あんな小さなカップの中に、あんなに柔らかいものが隠れてたなんて……。しかも、見た? あの先っぽ。空気触れた瞬間にツンって……。あんなの、僕たちの指があんな風にさせたんだよ。……たまらないよね、美沙姫ちゃんのあんな顔」
宮崎は、恍惚とした表情で天井を見上げ、思い出すように呟いた。
その口調は、狂信的なファンが聖遺物に触れた後のような、不気味な熱を帯びている。
「あ、当たり前ですよぉ。日本のトップアイドルなんだからぁ。それが、お、お金もらって……仕事でお芝居としてレイプできるんだから。あー、本番はもっと……もっとグチャグチャにしたいなぁ……」
「そうだね。彼女も『よろしくお願いします』って言ってくれたし。あんなに従順にされると、こっちも『本気』で応えてあげなきゃ失礼だよね」
二人はリハーサルの興奮を隠そうともせず、細田の前を横切って向かいの控え室へと入っていった。
彼らの通り過ぎた後には、獣のような生々しい体臭と、救いようのない悪意の余韻だけが残された。
ドアを閉めた瞬間、美沙姫は洗面台に駆け込み、胃の底からせり上がるものを吐き出した。
「……うっ、げほっ、……ぅ……!」
胃液の苦い味が口に広がる。
リハーサルで高木の太い指が胸を抉るように動いたあの圧力。
宮崎の、汗でびちゃびちゃになった掌が直接肌に吸い付いた、あの生々しい感触。
そして、ブラジャーがずり落ちて剥き出しになった先端を、確信犯的にひと撫でしていった指先の「悪意」。
それらすべてが、彼女の神経を逆なでし、生理的な嫌悪感として全身を駆け巡っていた。
先ほどのリハーサルは、まだ「指導」に過ぎない。
これから始まる「本番」では、カメラが回り、大勢の男たちの視線という網に絡め取られながら、文字通りすべてを剥ぎ取られる。
(嫌だ……、もう嫌……っ。なんで、私こんなこと……)
視界が歪む。
喉の奥が引き攣り、過呼吸気味に肺が痛む。
パニックになりそうな心を必死で抑えつけ、彼女は反射的に、まだ熱を持っている胸元をシャツの上から押さえた。
男の汗が染み込んだような気がして、激しくこすり落としたい衝動に駆られるが、その時間さえも奪われていた。
彼女は震える指先で、乱れた衣装の襟元を直し、無残にずれたブラジャーを、泣きそうな顔で正しい位置へと戻した。
今ここで崩れてしまったら、外で手薬煉(てぐすね)引いて待っている連中に、何をされるかわからない。
その本能的な恐怖だけが、彼女をかろうじて立たせていた。
(泣いちゃだめ……。今泣いたら、目が腫れちゃう。カメラに……映っちゃう……)
彼女には、この理不尽を跳ね返すような強大なプライドも、女優としての確固たるキャリアもなかった。
ただ、今ここで「女」として完全に壊されてしまうことへの、絶望的な拒絶。
震える指先で目尻を強く押さえ、彼女はただ、鏡の中に映る「蹂躙された後の顔」をした自分を見ないようにして、耐え続けた。
向かいの控え室の半開きになったドアの隙間から、高木と宮崎の声がさらに露骨になって漏れ聞こえてくる。
細田は廊下で石のように固まったまま、その毒々しい会話を聞かざるを得なかった。
「……最後、抜くときに一瞬だけ触ったんだ。美沙姫ちゃんの乳首。あんなに硬くなって、ツンと立ってて……。あれは恐怖なのかな、それとも僕らの手で……ヒヒッ、最高だ。本番はもっと直接、あの熱を感じられるんだろ?」
「な、生だともっと……ヌチャヌチャ、いうのかなぁ……」
高木が、下卑た妄想を膨らませて喉を鳴らす。
「……あー、僕一回、トイレ行って抜いときますわ。このままだと、本番で触った瞬間に……出ちゃう、かもしれないんでぇ。デュふふっ」
細田の拳が、怒りと無力感でみしみしと音を立てた。
美沙姫が一人で絶望に耐えているそのすぐそばで、彼女を蹂躙した男たちが、その感触を肴に下劣な快楽を貪っている。
その汚らわしい現実に、細田は眩暈がするような吐き気を覚えた。
その時、廊下の向こうから、複数の重々しい足音が近づいてきた。
「いやあ、皆さん! 本日はわざわざありがとうございます」
プロデューサーの曽我だった。
その後ろには、高級そうなスーツに身を包んだ、脂ぎった顔の男たちが連なっている。
「曽我さん、実際の美沙姫さんはどうなんだ? 写真より綺麗なのか?」
「本当に脱ぐんだろうね? 安くない金を出してるんだからな。途中で嫌だなんて言わせないぞ」
スポンサーたちの露骨な問いに、曽我は揉み手をしながら卑屈な笑みを浮かべた。
「ええ、実物は写真の何倍も美しいですよ。汚れのない、透き通るような美貌です。それを本番では、すべて脱がせます。前張りも一切なし、生まれたてのままのすっぽんぽんです。どうぞ、特等席でたっぷり堪能してやってください」
「ほう、すっぽんぽんか。それは楽しみだ」
大名行列は下卑た笑い声を残してスタジオへと消えていった。
細田は、ただ立ち尽くしていた。
怒り、悲しみ、それ以上に、自分に対する猛烈な怒り。
目の前でこれだけの悪意が渦巻いているのに、自分は一言も抗議できず、ただ聞いていただけだった。
これからこの部屋から出てくる美沙姫を、地獄に送り出す役目を自分が担う。
その事実に、胃が捩れるような感覚に襲われた。
「……細田さん、美沙姫さんを。時間です」
助監督の無機質な声が、細田の背中を叩いた。
細田は、自分の声が震えないように必死で整え、美沙姫の控え室をノックした。
「……美沙姫さん。お時間、です」
短い沈黙の後、ゆっくりとドアが開いた。
出てきた美沙姫は、洗面台で必死に整えたはずだったが、その表情は陶器のように強張り、指先はまだ隠しようもなく微かに震えていた。
彼女が廊下を一歩踏み出すと、それを待ち構えていたかのように、向かいの部屋のドアが音もなく開いた。
中から出てきたのは、高木と宮崎だった。
二人は一切言葉を発しなかった。
しかし、その沈黙がかえって異様な圧迫感を生んでいた。
高木の濁った瞳は、先ほどまで自分の指が沈み込んでいた彼女の胸元を、記憶をなぞるようにじっと見つめている。
宮崎もまた、シャツの中に手を滑り込ませた瞬間の熱を反芻するかのように、粘りつく視線を彼女に固定していた。
二人は、獲物を追い詰める捕食者のような足取りで、美沙姫のすぐ後ろにぴたりと続いた。
前を行く、今にも折れそうな美沙姫の細い背中。
それを執拗に追い、無言のまま彼女の背後を蹂躙し続ける二つのどす黒い欲望。
細田には、その光景が、清らかな生贄を祭壇へ連れて行く醜悪な行進のように見えた。
自分が彼女をこの場所へ、この男たちの手の届く場所へ連れてきてしまったのだという猛烈な後悔が、細田の胸をえぐる。
スタジオの入り口が見えた瞬間、美沙姫の足がピタリと止まった。
境界線の向こう側に広がる、自分を剥くために配置された冷たい機材の群れ。
そして、リハーサルで辱めを受けた「あのベッド」が鎮座するセット。
この一線を跨げば、もう二度と人間としての日常には戻れない。
本能的な拒絶が、彼女の身体を金縛りにした。
高木と宮崎は、そんな彼女の葛藤をあざ笑うかのように、舐めるような視線を一瞥だけ寄こすと、無言のまま彼女の横をすり抜けて一足先にスタジオの暗闇へと消えていった。
美沙姫が入り口で立ち尽くしていると、曽我が足早に近づき、彼女の細い腕を掴んだ。
「何をしている、美沙姫ちゃん。さあ、こっちだ。まずはご挨拶からだ」
抵抗する間もなく引きずり込まれた先には、パイプ椅子に踏ん反り返ったスポンサーたちが待ち構えていた。
「出資者の方々だ。しっかりお礼を言いなさい」
耳元で低く命じられ、美沙姫は染み付いた習慣に従って深く頭を下げた。
頬を引き攣らせ、必死に営業用の笑顔を作る。
「本日は、お忙しい中ありがとうございます……下田美沙姫です」
丁寧な挨拶。
だが、顔を上げた瞬間に彼女が目にしたのは、スポンサー席の正面に並ぶ、暴力的なまでの大きさのモニター群だった。
これから大勢の男たちの前で晒される自分の全てが、あそこに、逃げ場のない鮮明さで映し出される。
その現実を前にして、笑顔でお礼を言い、頭を下げている自分自身の滑稽さに、彼女は足元が崩れ落ちるような戦慄を覚えた。
スポンサーたちは一見、紳士的な笑みを浮かべていた。
「御子柴監督の最後を飾るにふさわしい、歴史に残る作品を期待しているよ」
「この映画は君の美しさがすべてだ。どれほどのものか、期待させてもらうよ」
口々に向けられる言葉はもっともらしいが、その視線は蛇のように執拗に彼女の喉元や、先ほどまで男たちの手で弄ばれていた胸元を這い、服の繊維を透かそうとするかのように卑猥に動いている。
最後の一人が、ねっとりとした声で囁いた。
「美沙姫ちゃんの『覚悟』……そのすべてを、しっかり見届けさせてもらうからね」
「覚悟」という言葉に込められた含み。
それは、彼女が今日この場で「女」であることを捨て、晒し者になることを指していた。
言葉が喉に張り付き、声が出ない。
そんな彼女の腰に無理やり手を回し、曽我が耳打ちした。
「ほら、『ありがとうございます、頑張ります』でしょ? 」
「……ありがとうございます。頑張ります」
壊れた機械のように繰り返すと、曽我は満足げに彼女を解放し、地獄の祭壇であるセットへと促した。
背を向けて歩き出す美沙姫の背中に、男たちの抑えきれない本音が、止まない羽音のように突き刺さる。
「……たまらんな、あの怯えた顔。本当にあれが全部脱いで、すっぽんぽんになるのか?」
「かわいいよなあ。あんな風に丁寧に挨拶された後に、あの身体を拝めるなんて。ギャップが最高だよ」
セットの端でその光景をすべて見ていた細田が、たまらず曽我に詰め寄った。
「曽我さん! あんな見せ物にするなんて……彼女の尊厳をどう考えてるんですか! 少しは配慮していただかないと……」
だが、曽我は眉一つ動かさず、吐き捨てるように言った。
「君、勘違いするな。映画はスポンサーありきなんだよ。お前の言う尊厳だの配慮だので、この数億の金が動くと思うか?」
曽我は冷酷な目で細田を射抜いた。
「どうしても彼女を守りたいってんなら、今すぐここで、あそこに座ってる連中が出した出資額を全額キャッシュで肩代わりしろ。そうすれば、お前の甘っちょろい意見を考えてやっていいぞ?」
一蹴され、細田は唇を噛み締めて黙り込むしかなかった。
眩い照明の下、死刑台のようなセットの中央で、美沙姫が孤立無援のまま立ち尽くしている。
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