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12章
移動手段 ②
しおりを挟むそれがどうだ。
目の前にいる美女は辺境伯の奥方だという。
それも、野獣よりも強い辺境伯を『損な役目』だと軽んじた物言いをする。
それが辺境伯の伴侶である気安さから来る軽口ならばいいのだが、人生経験の乏しいアンセルにはどう反応を返せばいいのか分からない。
「ね、アンセルだってそう思うでしょ?辺境伯なんて仕事が多くて雑務ばっかりで。冗談も言えないし、笑わないし、つまんないって。」
「え、え?」
「イゾルデ、それは誰の事を言っているんだ。」
「もちろん、辺境伯さまのことよ。私の大切な辺境伯さまのね。」
女性にしては身長の高いイゾルデと元々背の高いイスカンダー。2人は和やかに座って話しているのに、周囲の空気は徐々に張り詰め、緊張感を増す。その真ん中に位置するアンセルは、少しずつ、少しずつ喉が詰まってくるの感じる。
2人の間に通う緊張感に気持ちが張り詰め気を失いそうだ。
ひゅー、ひゅー、と喉が鳴ってくるのは息が詰まるから。
小さなアンセルにこの空気は重い。
次第に目の前が暗くなり、フッと意識が遠のく。
「あっ、イスカンダー大変。アンセル、大丈夫?」
「すまないっ。無意識に空間を圧迫してしまったのかもしれん。アンセル、平気か?」
気付くとイスカンダーの膝の上に頭を乗せて横抱きにされ、2人に上から顔を覗き込まれていた。
「す、すみません。」
「いや、アンセルが謝ることはない。我々2人のせいだ。」
優しく頭を撫でられ、アンセルは瞳を閉じる。
「少し休んでから字の勉強を始めましょう。イスカンダー、あなたは仕事をしなさい。」
イゾルデの言葉にイスカンダーは躊躇した。撫でられた手がピタっと動かなくなる。
アンセルはそんなイスカンダーの手が額に触れるように少し動かし、瞳を閉じたまま口を開けた。
「イスカンダー様、僕、少し休めば大丈夫です。お仕事に行ってください。僕は大丈夫ですから。」
「いや、でも……。」
迷うイスカンダーだったが、アンセルがイスカンダーの時間を奪う事を酷く厭う事を知っていたので渋々腰を上げる。
「では仕事をすることにしよう。アンセルの体調がよくなったら呼んでくれ。さぁ、私が部屋まで連れて行こう。」
「それでは今までと変わりませんっ。」
イスカンダーの言葉にアンセルは焦る。
どうしてもイスカンダーの時間を奪ってしまうのかと心を痛めた。
「ふふ、それ私が解決してあげるっていったでしょ。エドマンド、持ってきて。」
ソファーの傍に立っていたイゾルデがアンセルを見下ろしながら答えた。
パンパンと手を叩いて、イゾルデがエドマンドへ合図すると、扉を開けたエドマンドはキイキイと少々音を軋ませて車いすを押して入ってきた。
「これならアンセルも自分で移動できるわ。自走できるように調整してあるし、誰かに抱き上げられるわけじゃないし、ね。」
ニヤっと、これまたイスカンダーに似た顔でイゾルデが笑う。
その顔を見たイスカンダーの顔が微妙に歪んでいたが、車いすに視線が釘付けになっていたアンセルが気付くことはなかった。
「これ、僕が使ってもいいんですか?」
「ええ、アンセルの為に用意したのよ。たくさん使ってちょうだい。」
イゾルデの言葉にアンセルの顔が輝いた。
その顔を見て、使用を禁止させることなど出来ない。
イスカンダーは悔しそうにイゾルデに頷いて許可を与えた。
「ありがとうございますっ。イゾルデ様、大切に使わせていただきます。」
興奮したのか、顔色も戻り、これならば勉強も始められるだろう。
イゾルデはそれでは勉強を始めましょう、とアンセルに告げた。
「は、はいっ。大丈夫です。」
嬉し気なアンセルを膝上に抱いていたイスカンダーはそのまま屈強な筋肉でアンセルを抱き上げて立ち上がると車いすへ近づいた。
横抱きの状態は脚がプラプラして少々不安定になる。
思わず目の前のイスカンダーの首元をギュッと抱きしめ顔を埋めてしまった。
首元に感じるアンセルの可愛い息が胸をくすぐる。
イスカンダーは口元に笑みを浮かべたまま優しく車いすへアンセルを下ろした。
アンセルの顔が近くにあってそのままイスカンダーはアンセルの頬へ口付けた。
「これからも車いすに移動させるのは私の仕事だ。絶対に他の者に頼んではいけないよ。」
「はい……。」
優しい口付けにポッと頬を染めたまま返事をするアンセルの顔をするりと撫でて、イスカンダーはイゾルデに向き合うと、
「それでは、頼んだ。」
と、どこか得意そうな顔でひと言、告げた。
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