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15章
花の名前 ①
しおりを挟むコンコン
「誰だ。」
「イスカンダー様、アンセルです。」
「アンセル?」
夜の帳が落ちる頃、イスカンダーの私室を訪れたのはアンセルだった。
最近は車いすで移動する事にも慣れ同じ階層ならば自分で車いすを操作して移動するようになっていた。
乗り降りに手間取る事もあるがコツも掴んで自分だけで準備も出来るようになった。
アンセルは少しずつ行動範囲を広げ始めている。
加えてイゾルデとの勉強も順調に進んでいる。
基本的な文字は覚え終え、読み書きに関して不自由に感じる事は無くなっていた。
今は日常的なマナーをイゾルデから学んでいる。
「そんな必要ありませんよ。」
と言ったアンセルに
「どこで暮らす事になっても知識やマナーは知っていて損はないのよ。」
とイゾルデに諭された。
テーブルマナーも立ち居振る舞いも、誰とどんな時にどんな話をすればいいのかも。
社交術までもイゾルデは何故かアンセルに教える。
「僕、そんな偉い人に会う機会なんてないと思いますよ。」
上流階級であろう人物の系譜を見せられた時は流石に辞退願った。
自分に関わりがあるとは思えなかった。
イゾルデは少し考え、「必要になったら言ってね」と言ってアッサリとその紙を片付けた。
毎日の授業の成果をイスカンダーに伝える約束もイスカンダーの都合が良い時間にと続けられている。
それは夕食を食べた後のゆっくりとした時間であったり、陽の光の中でのお茶の時間であったりとまちまちではあったが無くなる事はなかった。
今日はイゾルデと勉強している最中にイスカンダーがやってきてひととき過ごした。
今は歴史書を少し読み進めているところなんですよ、と報告するとイスカンダーは真面目な顔で頷いた。
その際、今日は仕事が立て込んでいるから、と夕飯は共に出来ないと伝えられていた。
もう今日は会う事が出来ないと寂しくなったアンセルをイゾルデは優しく見守った。
「こんな時間にどうした?もうとうに寝る時間だろう。」
「はい、いつもならこんな時間まで起きてなんていられません。でも今日はイゾルデ様に興味深い話を聞いたのでイスカンダー様にお話ししたいと思ってしまいました。」
そう言ってお伺いを立てる。
「ほんの少し。ほんの少しだけでいいのです。お話を聞いていただけますか?イスカンダー様もお疲れでしょうし、すぐにお暇しますから。」
同じ屋敷にいるのにお暇とは、これ如何に。
言い回しに何だかおかしくなったイスカンダーはクスリと笑った。
「大丈夫だ。まだ私が寝るには時間が早い。さぁ、中に入りなさい。そのままでは風邪をひく。」
アンセルは今になって自分の姿に気付く。
寝間着の上に薄いガウンを羽織っただけの格好だ。
屋敷の主に会いに行くには時間も格好も不適切だった。
「あ、あのっ。こんな格好で申し訳ありませんっ。僕、イスカンダー様に話を聞いて欲しくて。衝動的に出てきてしまいました。」
「今頃焦ってどうする。いいから入りなさい。」
イスカンダーの言葉に恐縮しながら部屋に入る。
自分の部屋と同じような、どことなく違う甘い香りが漂っている。
香でも炊いているのだろうか。アンセルは思わずスンスンと鼻を鳴らして匂いを嗅いだ。
キイキイと車いすの車輪が音を立てる。
「本当に大丈夫ですか?イスカンダー様もしかしてお仕事中だったんじゃ……。」
イスカンダーの私室には大きくて重厚なデスクがあって、その上にまだ数枚の紙が置かれているのがチラリと見えた。
「気にしなくてもいい。少し手持ち無沙汰に眺めていただけだ。あんな紙切れよりアンセルの話を聞く事の方が何倍も大事だろう?」
そう言ってイスカンダーはアンセルをソファーに促した。
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