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街へ ②
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一つだけ。
一つだけアンセルには心残りがあった。
ユーゴに襲われて怪我をした時、アンセルは気絶したままイスカンダーの屋敷に連れてこられた。
脚が折れていた事もあり、そのまま療養する事になったアンセルはイスカンダーの命を受けて花の種を育てる仕事を受けた。
必然的に花屋での仕事は出来なくなり、イスカンダーの口添えもあって花屋の仕事は誰かに変わってもらうほかなかった。
自分自身で花屋の主人に話を出来なかった事もあり、アンセルの後任が誰になったかなど全く分からない。
それはしょうがない、と自分の中で納得もしていたが、気になったのは裏庭で育てていた花の苗の事だった。
裏庭では数種類の花を育てていたはずだ。一般的に好まれる花が多かったとはいえ、売り場を切らすことがない状態にするには花が咲く時期をずらしながら世話をする必要があって計画的に栽培しなければならなかった。
知識のなかったアンセルにとって、花の開花を予想しながら数種類の花を育てるのはかなり難しく、試行錯誤しながら仕事をしていた。花屋ではちょっとしたミスが命取りですぐに主人に責められるか身銭を切らされるかしかなく、アンセルの僅かな賃金は更に少なくなっていた。
あの時育てていた花はどうなっただろう。
ちゃんと後任の花卉栽培の雇われ人が育て上げてくれただろうか。
出来るならば、アンセルは一度花屋へ顔を出したいと思った。
主人に挨拶もしなければならなかったし、自分の私物がまだ部屋に残っているかもと思うとずっとその場所に置いておくのも申し訳ない気持ちになったからだ。
ただ、それを言う事をためらったのは、イスカンダーが良い顔をしないと分かっていたからだ。
何度か花屋へ帰られて欲しいと願い出た事があったが、そのたびにイスカンダーの返事はNOだった。
今回はイスカンダーと一緒だ。
ちょっとだけ花屋へ寄ってくれと言えばイスカンダーも無視はしないだろう。
せめて裏庭だけでもチラッと覗いてこれたら。そうしたら、もう満足するのに。
アンセルはそう思いながらもイスカンダーに花屋へ寄ってくれとは言わなかった。
「何か欲しい物はあるか?」
気付くとイスカンダーがアンセルに尋ねている。
期待の籠ったその瞳に、アンセルは静かに首を横に振った。
何も欲しいものなどない。
イスカンダーの屋敷で、アンセルは至れり尽くせりの待遇を受けている。
温かい食事に柔らかいベッド。清潔な衣服。
それまでの生活に比べたら、今の毎日はまるで天国にいるかのようだ。
これ以上何を欲しろというのだろうか。
アンセルは今の現状に満足していた。
何も望まないアンセルに、イスカンダーはただその腕を力強く掴むだけだった。
ひと言も発する事もなく。ただグッとアンセルの身体に触れるだけだった。
そうして2人の乗った馬車は街へと入った。
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