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一章 公爵様と婚約したのですが
8話 お誘い
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やがてレイチェルはカトラリーを磨いていた手の動きを再開しつつ、クリスティナに問い掛けた。
「随分仲良くなったのね。クリスが異性と軽口を叩き合うなんて」
「……叩いてなどおりません」
数秒の間を置いて、クリスティナがごく小さな声で呟く。
いつもならこちらが問えばほとんど間髪入れず返ってくるのに、今回ばかりは少しの間があったため違和感を覚えた。
「え、でも楽しそうだと思ったけれど」
「レイチェル様にはそう見えるのですね」
心からの本音を言ったのだが、クリスティナはどこか居心地が悪そうに微笑む。
「……なんだか、ライオネル様を傍に置く気持ちが分かるかもしれません。あの性格では、きっと交友関係が広いでしょうし」
遠い目をしながら語るクリスティナの空色の瞳は、複雑な感情を滲ませていた。
この中ではライオネルが年長者のはずなのだが、クリスティナはよく思っていないのだろうか。
いつも明るくこちらを楽しませてくれる人間は、異性であってもそういない。
元来の性格がそうさせているのだとわかるが、ライオネルに対するクリスティナの口調はどこか距離があった。
「……こう言ってしまえばクリスに悪いけれど、二人のやり取りを聞くのが好きなの」
楽しそうで、というのは胸に秘めておく。
あまり思った事をすぐに言ってしまうのは喜ばしくないし、困らせるのはレイチェルの本意ではない。
しかし、口から出た言葉がすべて本音だというのは、クリスティナもわかっている。
だから黙って聞いてくれ、時々相槌を打ってくれる彼女と話すことがレイチェルは好きだった。
「本来であれば、いち公爵様が護衛の任を請け負っていること自体少し……いえ、かなりおかしな話だけれど」
苦笑しながら次の言葉を続けようとした時、不意に扉が開く音がした。
「──何を話しているんだ」
「っ」
低くどこか艶を含んだ声に、レイチェルはカトラリーを取り落としそうになるのをなんとか堪えた。
「旦那様……! お帰りなさいませ」
その人物の来訪に気付いたクリスティナは、間を入れず椅子から立ち上がり、いち使用人としての礼を取る。
この屋敷で『旦那様』と呼ばれる人間は一人しかおらず、加えて落ち着いた低い声の主が誰なのかレイチェルは覚えていた。
「ああ」
カトラリーに落としていた視線をゆっくりと上に向けると、こちらを見下ろしているアレクシスその人と視線が交わった。
自分が見つめられていることを自覚し、次第に頬が熱を持っていくのが分かる。
ほぼ一ヶ月ぶりに顔を合わせた夫は、結婚式の時よりもずっと凛々しく感じた。
「あ、えっと」
遅れてレイチェルも立とうとしたが、それよりも早く手で制され、どこか不自然な体勢のまま固まる。
「……いい香りだな」
小さな声で紡がれた短い言葉が、じんわりとレイチェルの耳に入って溶けていく。
それと同時にアレクシスにされた事、言われた事がまざまざと脳裏に浮かんだ。
『──騎士として、夫として……貴方を生涯、愛し守ると誓おう』
そうして手の甲にキスをされたのだ。
あの時のレイチェルは今のように、いやそれ以上顔が赤いことだろう。
(な、何か言わないと。何か……!)
レイチェルは頭を懸命にはたらかせる。
けれど一ヶ月ぶりに顔を合わせ、アレクシスが声を掛けてくれたのだから、ここで黙っていては駄目だと思った。
妻であっても醜い自分と話してくれるなど烏滸がましい、などと考えている場合ではないのだ。
こうして考えている間にも、アレクシスは返答を待ってくれているのだから。
(差し障りのないことを言わなければ、時間を使わせてしまう)
アレクシスが気分を害さない、それでいて仕事終わりであろう彼が落ち着けるもの。
「あ、あの。良かったら飲まれますか!」
レイチェルはひらめいたと同時にぎゅっと瞳を閉じ、頬を染めながら苦し紛れに言葉を放った。
「ああ、頂こう」
考え抜いた末の精一杯の誘いは、しっかりとアレクシスに届いたようだ。
「っ……!」
表情こそ変わっていないものの、自分の考えを了承してくれたことが嬉しくて、レイチェルの頬が更に熱を持つ。
「──では、紅茶を淹れて参りますね」
黙ってその様子を見守っていたクリスティナが、アレクシスの言葉を聞くやいなや応接室を出ていった。
「随分仲良くなったのね。クリスが異性と軽口を叩き合うなんて」
「……叩いてなどおりません」
数秒の間を置いて、クリスティナがごく小さな声で呟く。
いつもならこちらが問えばほとんど間髪入れず返ってくるのに、今回ばかりは少しの間があったため違和感を覚えた。
「え、でも楽しそうだと思ったけれど」
「レイチェル様にはそう見えるのですね」
心からの本音を言ったのだが、クリスティナはどこか居心地が悪そうに微笑む。
「……なんだか、ライオネル様を傍に置く気持ちが分かるかもしれません。あの性格では、きっと交友関係が広いでしょうし」
遠い目をしながら語るクリスティナの空色の瞳は、複雑な感情を滲ませていた。
この中ではライオネルが年長者のはずなのだが、クリスティナはよく思っていないのだろうか。
いつも明るくこちらを楽しませてくれる人間は、異性であってもそういない。
元来の性格がそうさせているのだとわかるが、ライオネルに対するクリスティナの口調はどこか距離があった。
「……こう言ってしまえばクリスに悪いけれど、二人のやり取りを聞くのが好きなの」
楽しそうで、というのは胸に秘めておく。
あまり思った事をすぐに言ってしまうのは喜ばしくないし、困らせるのはレイチェルの本意ではない。
しかし、口から出た言葉がすべて本音だというのは、クリスティナもわかっている。
だから黙って聞いてくれ、時々相槌を打ってくれる彼女と話すことがレイチェルは好きだった。
「本来であれば、いち公爵様が護衛の任を請け負っていること自体少し……いえ、かなりおかしな話だけれど」
苦笑しながら次の言葉を続けようとした時、不意に扉が開く音がした。
「──何を話しているんだ」
「っ」
低くどこか艶を含んだ声に、レイチェルはカトラリーを取り落としそうになるのをなんとか堪えた。
「旦那様……! お帰りなさいませ」
その人物の来訪に気付いたクリスティナは、間を入れず椅子から立ち上がり、いち使用人としての礼を取る。
この屋敷で『旦那様』と呼ばれる人間は一人しかおらず、加えて落ち着いた低い声の主が誰なのかレイチェルは覚えていた。
「ああ」
カトラリーに落としていた視線をゆっくりと上に向けると、こちらを見下ろしているアレクシスその人と視線が交わった。
自分が見つめられていることを自覚し、次第に頬が熱を持っていくのが分かる。
ほぼ一ヶ月ぶりに顔を合わせた夫は、結婚式の時よりもずっと凛々しく感じた。
「あ、えっと」
遅れてレイチェルも立とうとしたが、それよりも早く手で制され、どこか不自然な体勢のまま固まる。
「……いい香りだな」
小さな声で紡がれた短い言葉が、じんわりとレイチェルの耳に入って溶けていく。
それと同時にアレクシスにされた事、言われた事がまざまざと脳裏に浮かんだ。
『──騎士として、夫として……貴方を生涯、愛し守ると誓おう』
そうして手の甲にキスをされたのだ。
あの時のレイチェルは今のように、いやそれ以上顔が赤いことだろう。
(な、何か言わないと。何か……!)
レイチェルは頭を懸命にはたらかせる。
けれど一ヶ月ぶりに顔を合わせ、アレクシスが声を掛けてくれたのだから、ここで黙っていては駄目だと思った。
妻であっても醜い自分と話してくれるなど烏滸がましい、などと考えている場合ではないのだ。
こうして考えている間にも、アレクシスは返答を待ってくれているのだから。
(差し障りのないことを言わなければ、時間を使わせてしまう)
アレクシスが気分を害さない、それでいて仕事終わりであろう彼が落ち着けるもの。
「あ、あの。良かったら飲まれますか!」
レイチェルはひらめいたと同時にぎゅっと瞳を閉じ、頬を染めながら苦し紛れに言葉を放った。
「ああ、頂こう」
考え抜いた末の精一杯の誘いは、しっかりとアレクシスに届いたようだ。
「っ……!」
表情こそ変わっていないものの、自分の考えを了承してくれたことが嬉しくて、レイチェルの頬が更に熱を持つ。
「──では、紅茶を淹れて参りますね」
黙ってその様子を見守っていたクリスティナが、アレクシスの言葉を聞くやいなや応接室を出ていった。
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