【R-18】凛と咲き誇る花よ、誠の下に咲く華よ ー幕末異聞譚ー

月城雪華

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嘉永六年(1853)、春

試衛館の面々 壱

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「──星満ち満ちたりと言えど」

 蒼馬が動く度、高い位置で結んでいる髪が揺れる。
 長い手をひらめかせ、力強く地を踏む足。
 朗々とした低く重厚な声音は、耳に心地よく響く。

 何より、演じている時の蒼馬は妖艶だ。
 そのさまは一種の浮世絵のようで、凛は無意識のうちに感嘆の溜め息を吐いていた。
 預かっている扇を持つ手が震え、凛は思う。

(やはり兄上は凄い)

 蒼馬との交流は、京へ行った時から少しずつ途切れていった。
 しかし、風の便りで『凄い役者が出た』やら『これで鷹城屋たかしろやの未来は安泰だ』やらと噂が流れる度、蒼馬が活躍している事を嬉しく思ったりもしたものだ。

 結局のところ、蒼馬とこうして共に過ごす事もあと数年で終わりが来るだろう。
 少なくとも五年足らずでこの地を去り、蒼馬は一座の者達と京へ上る。

 その一年後には凛も追うように上京するが、それとこれとはまた別の話だ。
 その出来事以上に、凛にはやらなければいけない事があった。

(私がどうして過去へ来てしまったのか、兄上がいる間に探さなければ)

 証拠となる何かがあって過去へ思考だけが飛んでしまったとすれば、蝦夷にある凛の身体は死したも同然だ。
 ただ、そんな事が本当にあるのかという疑問も残る。

(夢という事もあるけれど……これは紛れもない現実、なのかもしれない)

 凛の記憶にある限り、この光景は一度見て知っている。
 たまたま蒼馬に用があり、『稽古をするから見ていくか』と訊ねられ、喜んで応と言ったのだ。

 武に優れ、少しずつだが板の上に立つようになった蒼馬が凛には自慢だった。
 蒼馬のように強くなりたい、と思った事は数えきれない。

 しかし、そんな幼心に抱いた淡い気持ちもとっくに捨て去った。
 凛は名実共に京で『鬼姫おにひめ』と揶揄され、恐れられてきたのだ。

(私の予想が外れていればいいのに)

 夢の中で幼い頃の記憶をもう一度懐古しているとは、それこそ夢であって欲しかった。
 次に目が覚めた時には蝦夷に居て、謹慎が解けた暁には八郎や仲間達の菩提ぼだいとむらおうと考えが変わりつつあった。

(あのまま死んでは、八郎さんに申し訳が立たないもの)

 腹には八郎との子が宿っている。
 元より気を失うように意識を手放したからか、次に目覚めた時には現実に戻っているかもしれない。

 そんな願いともいえる八郎への想いに没頭していると、稽古をする蒼馬と目線が合った。
 しばし瞳を絡め合わせ、ようよう蒼馬の方から視線を逸らす。

「よし、ここまでにするか」

 言いながら蒼馬は歩み寄り、行儀良く広間の隅で正座をしていた凛の隣りに腰を下ろした。
 その拍子に、畳が僅かにきしんだ音を立てる。

「もう……ですか?」
「ああ、今日はこれで充分だ。怪我をした可愛い妹を送り届けないとだからな」

 淡く微笑み、軽く頭を撫でられる。その手つきは優しく、心地よい。

「え」

 蒼馬が稽古をする時は常に障子が開け放されている為、外の景色が分かる。
 慌てて立ち上がり、外へと続く縁側に出ると太陽が今にも沈み掛けており、空は美しい茜色に染まっていた。
 凛が思っていた以上に、いつの間にか時が過ぎていたらしい。

「ずっと正座していたから痛いだろうに」

 脚の痛みを気にも止めない凛に苦笑しつつ、蒼馬が後ろから着いて来る。

「さ、行くか」

 蒼馬が先に草履を履くと、凛に背を向けた。

「はい?」

 図らずも素っ頓狂な声が漏れる。

「どうした、乗りな」
「え!?」

 蒼馬の意図は分からなくもないが、もう子供ではない。

(こ、この歳でおぶわれるなんて……! 絶対に嫌!)

 今は見た目こそ子供でしかないが、凛の精神はこの世の酸いも甘いも知った大人だ。
 そう言ってしまえたら、どんなに楽だろう。
 いや、仮に言ったとしても到底信じてくれない事は目に見えていた。

「わ、私は一人で帰れます!」

 凛はせめてもの抵抗に、背を向けている蒼馬にえた。

「駄目だ」

 それを厳しい口調で蒼馬が諭す。
 あまりにも苛立って、凛は距離を取るべく右脚を踏み出した。

「何故ですか!? 私はこうして歩け──っ!」

 けれど、その場にがくりと膝を着く。

「そら見ろ、今になって痺れてるだろう」

 呆れともつかない声音が僅かに高い位置から降り、凛の闘争心に火を付けた。

「こ、これくらい……」

 元々凛は負けず嫌いなたちだ。
 そんな妹の性格を分かっているのか、蒼馬がこちらを振り向きざまに言った。

「大丈夫だと思っても後から辛いのはお前だ。それに──怪我をしてるって忘れたか?」
「うう……」

 しかし、この兄にただの一度も口論で勝てた試しがない。
 抵抗しても正論か、凛の核心を突く言葉で叩きのめされるだけだ。

 言外にその言葉の意味を滲ませ、凛の逃げ場を無くす。
 蒼馬はそういう男だった。

 「分かったらおいで」

 加えて凛の口から了承の言葉を待っている為、尚のこと性格が悪い。
 ただ、そこまで憎みきれないのが蒼馬だ。

「今日だけ、ですからね」
「ん」

 渋々と言ったふうで頷くと、蒼馬は柔らかく微笑んだ。
 その甘い笑みを人に見せないとはいえ、こうも笑顔を向けられては凛の頭の処理が持たない。

(どうしてこの人は……!)

 溜め息を吐きそうになるのをどうにか気力で堪え、きっと目尻に力を入れる。
 凛の記憶にある限り、蒼馬にはずっと甘やかされてばかりだ。
 それは下の弟妹もという訳ではなく、凛がすぐ下の妹だからだろう。

「よ、っと」

 凛は蒼馬に背負われる形で、伯父の屋敷を出た。
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