【R-18】凛と咲き誇る花よ、誠の下に咲く華よ ー幕末異聞譚ー

月城雪華

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嘉永六年(1853)、春

【幕間】総司の日常

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 蒼馬や凛と鉢合わせた後、総司はゆっくりとした足取りで自室へ続く廊下を歩いていた。

「──にしてもあの子。いやに肝が据わってるなぁ」

 誰にともなく小さな声音で呟く。
 思い返すのは、凛のことだ。
 見たところ五つかそこらの、場合によっては総司がいつも遊ぶ子供達よりも年下の少女。

 丸く大きな紫紺の瞳は時折鋭さを見せ、気を張っていなければこちらが圧倒されてしまいそうなほどだった。
 その凛と出会ってから、実に数刻も経っていない。

 兄に比べ、もしくはそれ以上に落ち着いている印象を受けた。
 総司も知らずの内に、凛という少女に興味が湧いているらしい。
 先程、何故自分の姓を知っているのか鎌をかけてみると、凛は戸惑った表情を見せたもののそれは一瞬だけだ。

 はきはきとものを言うと、続いて殺気で満ちた空気を変えてみせた。
 蒼馬を揶揄うのはいつもの事だが、今日はやり過ぎたと反省しているのも事実だ。

(蒼馬くんがあそこまで怒るとは思わなかった、って言い訳かな)

 蒼馬に話し掛け、相手にされないというのはままある。
 しかし、凛が居た事で普段よりも言動に壁があるように感じた。

(神宮寺、凛……か)

 総司はその場に立ち止まり、庭先に目を向ける。
 高い樹々が植えられただけの閑散とした、なんの面白みもない光景が、この時ばかりは心地好く感じる。

 妹が居るということは、蒼馬と仲が良い少年から聞いて知っていたが、思っている以上に可愛がっているらしい。

「明日から楽しくなりそうだなぁ」

 鼻歌を唄いながら、総司は軽い足取りで再度自室へと歩き始める。
 明日、凛は蒼馬と共に試衛館へ来るだろう。
 その時何を言って揶揄ってやろうか、と今か今かと考えを巡らせた。


 ◇ ◇ ◇


 試衛館での稽古は、周助が来てから始まる。
 門下生が集う稽古場には先に着いて談笑している者や、軽く素振りをしている者、寝転がってうたた寝をしている者、と様々な男達が集まっていた。

「え、凛ちゃん来てないの!?」

 翌日凛も来る事を楽しみにしていたが、稽古場にやってきたのは蒼馬だけだった。

「文句でもあるのか」
「あ、いや。無い、けど」

 ぎろりと蒼馬にけられると、流石の総司も何も言えない。
 凛の瞳の鋭さは、きっと蒼馬譲りなのだろう。

「お前の何に刺さったのかは知らんが、あんまり凛にちょっかいを掛けるな。どうせお前のことだから、俺にしてる事みたく揶揄うんだろう? そういうところが──」

 愚痴に近い自身を批難する言葉の羅列を聞き流し、無意識に総司は蒼馬の顔を見つめる。

(そういえば蒼馬くんの顔って、こうして近くで見たこと無かったな)

 蒼馬を揶揄う事はあれど、その顔立ちをじっくりと観察した事は無い。
 よく手入れされているのか艶のある黒髪に、凛とは違う黒曜石の瞳は今は伏せられている。

 僅かに丸みの残る頬に、きりりと通った鼻筋。
 あと数年もすれば、総司よりも背が高くなるだろう。

(二人とも綺麗な顔で、やっぱり兄妹で。……羨ましい)

 総司の頭をぎるのは、幼少の頃から自分を育ててくれた姉──みつのことだ。
 七つ年の離れた姉とは、もう四年近く会っていない。

(姉さん、は……元気かな)

 総司の家は藩士に仕える家系だった。
 母は既に亡く、父も病で幼い頃に亡くし、以後はみつが育ててくれたようなものだった。
 しかし、時を同じくして跡目問題が発生する。

 その当時、男子は総司のみでまだ幼かった為、このまま断絶すると誰もが思っていた。
 そんな折みつに縁談が出来、婿養子を迎えた事で相続する事が出来た。

『これからよろしくな、宗次郎そうじろう

 みつよりも一つ上の林太郎りんたろうは逞しく、誰の目から見ても聡明な男だった。
 幼心ながらこの男が継ぐのか、と嫉妬に駆られたりもしたものだ。

義兄にいさんにも会えたらいいけど)

 無理かもな、と総司は諦念に至る。
 そもそも自分は強くなる為に、みつの邪魔にならない為に、試衛館に住み込みで稽古をしている。

 試衛館において総司は塾頭ではあるが、まだまだ顔を見せられるほどではないのも事実だ。
 どう足掻こうと周助や勝太には叶わないと、身を持って知っている。

(僕はまだ──)

「なんだよ、そんなじっと見て。気色悪い」
「っ」

 不意に呆れとも付かない蒼馬の声に、総司の思考が現実に引き戻される。
 どうやら蒼馬を見つめたまま、思考だけが明後日の方向へ行っていたらしい。

「ちょっと、それは酷くない?」

 努めていつも通りの態度で、蒼馬に抗議する。
 流石に心の内までは見られていないだろうが、用心するに越したことはなかった。

「事実を言ったまでだ」
「今日はこれで揃ったのか」

 ふいと蒼馬は顔をそむけ、それと同じくして厳かな声が稽古場に静かに響き渡った。

 三代目宗家である周助だ。
 六十を過ぎても精力的で、年若い者には負けないと豪語する通り、ここ数年は敗戦していない。

「お早うございます、近藤さん! 周助先生も」

 すかさず総司は勝太に挨拶をし、周助に声をかけた。

「お早う、総司」

 にこりと勝太に微笑まれると、否が応でも力がみなぎる。
「はは、いつにも増して元気で宜しい。たまには儂の名を先に呼んでくれても良いんだがな」
 総司に苦笑しつつ、周助は定位置である板の間に立った。

「皆、今日も宜しく頼む」

 軽く一礼し、こうしていつも通りの騒がしくも楽しい、試衛館での一日は始まるのだ。
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