イェルフと心臓

チゲン

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第一部 イェルフと心臓

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 山のから、陽が昇りだす頃。
 ウタイは激痛に叩き起こされた。
「あうっ!」
 心臓を握りつぶされるような衝撃しょうげき。まただ。また、あの痛みだ。
 胸を押さえつける。
「く……」
 しばらく我慢がまんしていると、痛みは波のように引いていった。
 硬直した体から、力が抜けていく。
 百を数える間、ウタイは仰向けのまま動けなかった。それから、ほうと大きく息を吐いた。 
 その顔に影が差した。
「まだ痛むか?」
 ポロノシューが、彼女を覗き込んでいた。
「……もう平気よ」
「なら、朝食の時間だ」
 義理は果たしたとばかりに、背を向けるポロノシュー。
「もうちょっと心配しなさいよ」
 まだ少し荒い息の下から、不満をぶつける。
 ぎ慣れた、独特の香りが鼻をつく。
 すでにポロノシュー特製薬草スープが、小鍋のなかでいつもの芳香ほうこうを放っていた。
「またそれ? わたし、食欲ないんだけど」
「食えるときに食っておけ。明日の朝には目的地に着く。後少しだ」
「判ったわよ」
 もはや口答えする気力もない。
 ウタイは、立つのも億劫おっくうだったので、両腕と右足で器用に這いながら、焚き火の側まで移動した。
「……あれ、ひょっとして今、わたしをはげましてくれたの?」
 だが、ポロノシューから返答はない。
 ウタイは諦めて、朝食に取りかかった。
「ああ、もうやだ……」
 体じゅうの血が、このスープと入れ替わっているんじゃないだろうか。ぶつぶつ文句を垂れながらも、半ば無理矢理、胃袋に詰め込んだ。
 その脇で、ポロノシューは無言のまま、自分の包帯を取り替えている。
 何気なく横目で見ていたウタイは、思わずスープを喉に詰まらせそうになった。
 彼の脇腹の傷口が、塞がるどころか、赤黒く変色していたのだ。まるで腐り落ちる寸前の果実のように。
 見ていて気分が悪くなってきた。
「よく痛くない……」
 そう言いかけて、ウタイは言葉を詰まらせる。
 もしかして、彼は痛みを我慢しているのではないか。
 何のために?
 もちろん、護衛の依頼を全うするために。
 ポロノシューは包帯を取り替えると、ウタイの前に座って、何事もなかったようにスープを自分の椀によそった。
 だがその手が不意に止まる。
「どうしたの?」
「この前の生き残りが、仲間を連れてきたらしいな。ざっと十人……いや、もっといるか」
「じゅう……」
 ウタイの顔から血の気が引いた。
 いくらポロノシューが手練てだれといっても、一度にそれだけの人数と相対あいたいするのは厳しいだろう。彼自身、深手を負っているのだ。
 不安が顔に出ていたのか、ポロノシューがウタイの顔を見て、少し表情をやわらげたような気がした。
「そんな顔をするな。必ずおまえを、イェルフの里まで送り届けてやる」
 彼が言うと、本当に何とかなりそうな気になってくる。
 自然と顔がほころんだ。
 しかしポロノシューは、曲刀を手に取ると、見向きもせずに立ち上がった。
「……ばかみたい」
 ウタイは口をとがらせた。やはり気のせいだったのだ。この男が、他人に優しい顔など見せる訳がない。
 命じられるまま、茂みのなかに姿を隠す。
 別れ際、二人の視線が交差した。
「ねえ」
 ウタイは言葉を掛けようとした。
 だがポロノシューの姿は、すでになかった。
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