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第二部 イェルフの子供たち
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アコイの胸は晴れない。
銀色の髪は、少し伸びている。うっとうしいので、そのうち切るつもりだ。
胸が晴れないのは、髪のせいではない。
相手が人間とはいえ、命を奪うのは決して気分のいいものではない。それが例え同情の余地などない、野卑な野伏の集団だとしても。
そもそも、初めに襲いかかってきたのは向こうだ。罪の意識を感じる必要はこれっぽっちもない。
やるせない、というのだろうか、この感じは。
アコイは息を吐く。
いったいいつまで、こんな虚しい日々を繰り返さなくてはならないのか。
最近、人間たちの動きが活発化している。
それは里の誰もが感じていた。
長老衆も、頻繁に寄合を開いているのだが、これといって有効な策も出ないまま終えてしまう。
年寄り、子供も含めて二一六人。当初と比べて、里の人口もだいぶ増えた。この山に移ってきた頃は、一五〇人程度しかいなかった。
もう十三年も前の話だ。その頃はアコイも、ジイロもトリンも、まだ幼い子供だった。
アコイは、この部族が大好きだった。
だからこそ守りたい。皆を……引いては、減少の一途を辿るイェルフ族を。
「本当に魔術が使えたら」
心からそう願うことがある。
かつて、強力な魔術を駆使して地上に君臨していたイェルフ族。だがその栄華は、もはや影も形もない。
唯一の残滓といえるのが、いくつかの部族に遺された秘宝だった。もっとも、その秘宝のせいで人間たちに襲われるのだから、ままならない話である。
アコイたちの部族には、元から秘宝が伝わっていなかった。しかし、ならば安全という訳ではなかった。
奴らは、どこまでも執拗に追ってくる。
「どうして、そっとしておいてくれないんだ」
あるいは尖った耳と、銀色の髪さえなければ。この特徴的な外見さえ隠すことができれば、彼らの社会に混ざっていくことさえ容易だろう。
しょせん彼らは、物事を上っ面でしか判断できない劣等種なのだから。
里が見えてきた。
十三年の間に、畑も開墾し、家も建てた。生活には、ほとんど困らなくなっている。
穏やかで緩やかな時間のなかを、アコイたちは生きていた。
今までは。
畑では男たちに混ざって、女たちも腰をかがめて働いている。アコイの姿を見かけると、にこやかに手を振ってきた。
「怪我はなかったかい」
「アコイがいりゃ、人間なんかちょろいもんさ」
「あんたとは違ってね」
「自分の亭主に向かって、そりゃねえだろ」
何気ない会話に、笑いの輪。
それだけで、アコイの心は安らいだ。そして改めて思うのだ。この日常を守りたいと。
「トリンなら川で洗濯してるよ」
誰かが、気を利かせて、訊きもしないのに教えてくれた。
里を取り囲む堅固な柵の裏手口をくぐり、川の方に歩いていくと、せせらぎに混ざって、男女のはしゃぐ声が聞こえてきた。
木立ちを抜け川原に出る。洗いかけの洗濯物が目に入る。
見知った青年と娘が、膝まで川に浸かりながら、水を掛けあって遊んでいた。
「ちょっと、やめてよっ」
娘は楽しそうに笑っている。
水飛沫が陽光を映し、眩しく輝いていた。
「おまえからやってきたんだろ」
口調こそぶっきらぼうだが、青年も笑みを浮かべている。
飛沫を受け、娘がまた声を立てて笑う。
アコイは目を細めた。
戦いの疲れが、いっぺんに吹き飛ぶ気がした。あの笑顔を見るためなら、どんなにつらく虚しい戦いも耐えられるだろう。
すると青年が、アコイに気付いて、あっと声をあげた。まずいところを見られたと思ったのか、ばつが悪そうな表情を浮かべる。
娘も気付いた。娘は片手を振って、無邪気に彼の名を呼んだ。
「おかえりアコイ!」
「ああ。ただいま、トリン」
裸足のまま川原に駆け上がってくると、トリンは帰還した戦士を満面の笑みで出迎えた。
「大丈夫? 怪我とかしなかった?」
「平気だよ」
「おいおい、俺のときとずいぶん対応が違うじゃねえか」
不満げな声で、青年が川から上がってくる。
「何か文句あるの?」
「……別に」
「ジイロ、そっちの方はどうだった?」
もう一人の幼なじみに、アコイは尋ねた。訊かなくても判っていることだが。
「ちょろいもんさ」
ジイロは肩を竦める。
「人間なんかにやられるかよ」
「油断するなよ。連中もそのうち、本腰を入れてくるかもしれないからな」
「ああ、判ってるって」
軽く聞き流すジイロを見ながら、アコイはやはり一抹の不安を覚えた。彼の腕なら、確かにそこらの野伏に後れを取ることはないだろうが。
「まあ、遊ぶ体力が残ってるんなら、心配ないか」
からかうような視線で、ジイロとトリンを交互に見比べる。
ジイロの頬に朱が差した。
「お…俺はただ、トリンが洗濯手伝ってよーって言うから、付きあってやっただけだし」
「何よそれ。そんな言い方してないでしょ!」
「ハハッ」
見慣れた日常の風景に、アコイは思わず声をあげて笑った。
「僕も手伝うから、さっさと洗っちゃおう」
川面に映った光に、アコイは再び目を細めた。
銀色の髪は、少し伸びている。うっとうしいので、そのうち切るつもりだ。
胸が晴れないのは、髪のせいではない。
相手が人間とはいえ、命を奪うのは決して気分のいいものではない。それが例え同情の余地などない、野卑な野伏の集団だとしても。
そもそも、初めに襲いかかってきたのは向こうだ。罪の意識を感じる必要はこれっぽっちもない。
やるせない、というのだろうか、この感じは。
アコイは息を吐く。
いったいいつまで、こんな虚しい日々を繰り返さなくてはならないのか。
最近、人間たちの動きが活発化している。
それは里の誰もが感じていた。
長老衆も、頻繁に寄合を開いているのだが、これといって有効な策も出ないまま終えてしまう。
年寄り、子供も含めて二一六人。当初と比べて、里の人口もだいぶ増えた。この山に移ってきた頃は、一五〇人程度しかいなかった。
もう十三年も前の話だ。その頃はアコイも、ジイロもトリンも、まだ幼い子供だった。
アコイは、この部族が大好きだった。
だからこそ守りたい。皆を……引いては、減少の一途を辿るイェルフ族を。
「本当に魔術が使えたら」
心からそう願うことがある。
かつて、強力な魔術を駆使して地上に君臨していたイェルフ族。だがその栄華は、もはや影も形もない。
唯一の残滓といえるのが、いくつかの部族に遺された秘宝だった。もっとも、その秘宝のせいで人間たちに襲われるのだから、ままならない話である。
アコイたちの部族には、元から秘宝が伝わっていなかった。しかし、ならば安全という訳ではなかった。
奴らは、どこまでも執拗に追ってくる。
「どうして、そっとしておいてくれないんだ」
あるいは尖った耳と、銀色の髪さえなければ。この特徴的な外見さえ隠すことができれば、彼らの社会に混ざっていくことさえ容易だろう。
しょせん彼らは、物事を上っ面でしか判断できない劣等種なのだから。
里が見えてきた。
十三年の間に、畑も開墾し、家も建てた。生活には、ほとんど困らなくなっている。
穏やかで緩やかな時間のなかを、アコイたちは生きていた。
今までは。
畑では男たちに混ざって、女たちも腰をかがめて働いている。アコイの姿を見かけると、にこやかに手を振ってきた。
「怪我はなかったかい」
「アコイがいりゃ、人間なんかちょろいもんさ」
「あんたとは違ってね」
「自分の亭主に向かって、そりゃねえだろ」
何気ない会話に、笑いの輪。
それだけで、アコイの心は安らいだ。そして改めて思うのだ。この日常を守りたいと。
「トリンなら川で洗濯してるよ」
誰かが、気を利かせて、訊きもしないのに教えてくれた。
里を取り囲む堅固な柵の裏手口をくぐり、川の方に歩いていくと、せせらぎに混ざって、男女のはしゃぐ声が聞こえてきた。
木立ちを抜け川原に出る。洗いかけの洗濯物が目に入る。
見知った青年と娘が、膝まで川に浸かりながら、水を掛けあって遊んでいた。
「ちょっと、やめてよっ」
娘は楽しそうに笑っている。
水飛沫が陽光を映し、眩しく輝いていた。
「おまえからやってきたんだろ」
口調こそぶっきらぼうだが、青年も笑みを浮かべている。
飛沫を受け、娘がまた声を立てて笑う。
アコイは目を細めた。
戦いの疲れが、いっぺんに吹き飛ぶ気がした。あの笑顔を見るためなら、どんなにつらく虚しい戦いも耐えられるだろう。
すると青年が、アコイに気付いて、あっと声をあげた。まずいところを見られたと思ったのか、ばつが悪そうな表情を浮かべる。
娘も気付いた。娘は片手を振って、無邪気に彼の名を呼んだ。
「おかえりアコイ!」
「ああ。ただいま、トリン」
裸足のまま川原に駆け上がってくると、トリンは帰還した戦士を満面の笑みで出迎えた。
「大丈夫? 怪我とかしなかった?」
「平気だよ」
「おいおい、俺のときとずいぶん対応が違うじゃねえか」
不満げな声で、青年が川から上がってくる。
「何か文句あるの?」
「……別に」
「ジイロ、そっちの方はどうだった?」
もう一人の幼なじみに、アコイは尋ねた。訊かなくても判っていることだが。
「ちょろいもんさ」
ジイロは肩を竦める。
「人間なんかにやられるかよ」
「油断するなよ。連中もそのうち、本腰を入れてくるかもしれないからな」
「ああ、判ってるって」
軽く聞き流すジイロを見ながら、アコイはやはり一抹の不安を覚えた。彼の腕なら、確かにそこらの野伏に後れを取ることはないだろうが。
「まあ、遊ぶ体力が残ってるんなら、心配ないか」
からかうような視線で、ジイロとトリンを交互に見比べる。
ジイロの頬に朱が差した。
「お…俺はただ、トリンが洗濯手伝ってよーって言うから、付きあってやっただけだし」
「何よそれ。そんな言い方してないでしょ!」
「ハハッ」
見慣れた日常の風景に、アコイは思わず声をあげて笑った。
「僕も手伝うから、さっさと洗っちゃおう」
川面に映った光に、アコイは再び目を細めた。
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