イェルフと心臓

チゲン

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第二部 イェルフの子供たち

3頁

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 アコイの胸は晴れない。
 銀色の髪は、少し伸びている。うっとうしいので、そのうち切るつもりだ。
 胸が晴れないのは、髪のせいではない。
 相手が人間とはいえ、命を奪うのは決して気分のいいものではない。それが例え同情の余地などない、野卑やひな野伏の集団だとしても。
 そもそも、初めに襲いかかってきたのは向こうだ。罪の意識を感じる必要はこれっぽっちもない。
 やるせない、というのだろうか、この感じは。
 アコイは息を吐く。
 いったいいつまで、こんなむなしい日々を繰り返さなくてはならないのか。
 最近、人間たちの動きが活発化している。
 それは里の誰もが感じていた。
 長老衆も、頻繁ひんぱんに寄合を開いているのだが、これといって有効な策も出ないまま終えてしまう。
 年寄り、子供も含めて二一六人。当初と比べて、里の人口もだいぶ増えた。この山に移ってきた頃は、一五〇人程度しかいなかった。
 もう十三年も前の話だ。その頃はアコイも、ジイロもトリンも、まだ幼い子供だった。
 アコイは、この部族が大好きだった。
 だからこそ守りたい。皆を……引いては、減少の一途いっと辿たどるイェルフ族を。
「本当に魔術が使えたら」
 心からそう願うことがある。
 かつて、強力な魔術を駆使して地上に君臨していたイェルフ族。だがその栄華は、もはや影も形もない。
 唯一の残滓ざんしといえるのが、いくつかの部族にのこされた秘宝だった。もっとも、その秘宝のせいで人間たちに襲われるのだから、ままならない話である。
 アコイたちの部族には、元から秘宝が伝わっていなかった。しかし、ならば安全という訳ではなかった。
 奴らは、どこまでも執拗しつように追ってくる。
「どうして、そっとしておいてくれないんだ」
 あるいは尖った耳と、銀色の髪さえなければ。この特徴的な外見さえ隠すことができれば、彼らの社会に混ざっていくことさえ容易だろう。
 しょせん彼らは、物事を上っ面でしか判断できない劣等種なのだから。
 里が見えてきた。
 十三年の間に、畑も開墾かいこんし、家も建てた。生活には、ほとんど困らなくなっている。
 おだやかでゆるやかな時間のなかを、アコイたちは生きていた。
 今までは。
 畑では男たちに混ざって、女たちも腰をかがめて働いている。アコイの姿を見かけると、にこやかに手を振ってきた。
怪我けがはなかったかい」
「アコイがいりゃ、人間なんかちょろいもんさ」
「あんたとは違ってね」
「自分の亭主に向かって、そりゃねえだろ」
 何気ない会話に、笑いの輪。
 それだけで、アコイの心は安らいだ。そして改めて思うのだ。この日常を守りたいと。
「トリンなら川で洗濯してるよ」
 誰かが、気をかせて、きもしないのに教えてくれた。
 里を取り囲む堅固けんごさくの裏手口をくぐり、川の方に歩いていくと、せせらぎに混ざって、男女のはしゃぐ声が聞こえてきた。
 木立ちを抜け川原に出る。洗いかけの洗濯物が目に入る。
 見知った青年と娘が、ひざまで川に浸かりながら、水を掛けあって遊んでいた。
「ちょっと、やめてよっ」
 娘は楽しそうに笑っている。
 水飛沫しぶきが陽光を映し、まぶしく輝いていた。
「おまえからやってきたんだろ」
 口調こそぶっきらぼうだが、青年も笑みを浮かべている。
 飛沫を受け、娘がまた声を立てて笑う。
 アコイは目を細めた。
 戦いの疲れが、いっぺんに吹き飛ぶ気がした。あの笑顔を見るためなら、どんなにつらく虚しい戦いも耐えられるだろう。
 すると青年が、アコイに気付いて、あっと声をあげた。まずいところを見られたと思ったのか、ばつが悪そうな表情を浮かべる。
 娘も気付いた。娘は片手を振って、無邪気に彼の名を呼んだ。
「おかえりアコイ!」
「ああ。ただいま、トリン」
 裸足のまま川原に駆け上がってくると、トリンは帰還きかんした戦士を満面の笑みで出迎えた。
「大丈夫? 怪我とかしなかった?」
「平気だよ」
「おいおい、俺のときとずいぶん対応が違うじゃねえか」
 不満げな声で、青年が川から上がってくる。
「何か文句あるの?」
「……別に」
「ジイロ、そっちの方はどうだった?」
 もう一人の幼なじみに、アコイは尋ねた。訊かなくても判っていることだが。
「ちょろいもんさ」
 ジイロは肩をすくめる。
「人間なんかにやられるかよ」
「油断するなよ。連中もそのうち、本腰を入れてくるかもしれないからな」
「ああ、判ってるって」
 軽く聞き流すジイロを見ながら、アコイはやはり一抹いちまつの不安を覚えた。彼の腕なら、確かにそこらの野伏におくれを取ることはないだろうが。
「まあ、遊ぶ体力が残ってるんなら、心配ないか」
 からかうような視線で、ジイロとトリンを交互に見比べる。
 ジイロの頬に朱が差した。
「お…俺はただ、トリンが洗濯手伝ってよーって言うから、付きあってやっただけだし」
「何よそれ。そんな言い方してないでしょ!」
「ハハッ」
 見慣れた日常の風景に、アコイは思わず声をあげて笑った。
「僕も手伝うから、さっさと洗っちゃおう」
 川面に映った光に、アコイは再び目を細めた。
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