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第二部 イェルフの子供たち
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八人目を斬ったところまでは数えていた。
足元には野伏や、同胞たちの骸が、無数に転がっている。
父の形見でもあるイェルフの曲刀は、決して斬れなくなることはない。
しかし重い。疲労は徐々にジイロの動きを鈍らせる。
もはや枷と化したその曲刀を、それでもジイロは握りしめた。いつ斬られたのか、体のあちこちに無数の切り傷を負っていた。
「人間ども」
呪詛の言葉は、物言わぬ野伏の骸に。
悲鳴があがった。すぐ近くだ。
ジイロは駆けだす。
燃え盛る小屋が崩れ落ちた。火の粉が飛び散り、ジイロは身をよじってかわした。
里は炎上した。
家も畑も、懐かしい遊び場も、全てが焼け落ちつつあった。
崩れ落ちた小屋の向こうに、倒れたイェルフと、その前に立ちはだかる男の姿があった。
「あいつは!」
夜襲の日、ジイロの背後を取り、アコイに重傷を負わせた男。
その強さは、他の野伏を遥かに凌駕していた。彼がいなければ、アコイも怪我はしなかったし、仲間も死なずに済んだのだ。
ジイロは男に駆け寄ると、有無を言わさず斬りかかった。
男は不意に現れたジイロの一撃を、その太い刀身で正面から受け止めた。
「殺してやる!」
ジイロは唸った。
男は、歯を剥きだしにして笑った。
凄まじい力で、ジイロは弾き飛ばされた。
背を地面に打ち、激痛が走る。
「!」
咄嗟に身を捻った。男の刃が、背中を掠めて土に突き刺さった。
ジイロは立ち上がり、身構えた。
巨体の男も太刀を構え直した。
男の斬撃。風の唸りが耳朶を打つ。
渾身の力で刃を受け止める。
やはり凄まじい力だった。
「くっ……」
ジイロは押されていた。
力負けしているのだ。こんなことは初めてだった。
これが、人間の強さか。妙に冷静な思考で、ジイロは男を観察した。顎に力を入れ、刃を押し返した。
魔術を失ったイェルフ族は、人間のこの力に敗れたのだ。
いや、魔術はなくとも抗うことはできたはずだ。
ではなぜ俺たちは、人間如きに敗れたのか。今までずっと頭の隅にあった疑問が、氷解したような気がした。
まるで心底から殺戮を楽しんでいるかのような、この男の表情。
これが人間の強さなのかもしれない。必要ならば身内や親しき者でさえ手にかけるという、苛烈な野性の持ち主たち。
「でも、俺はまだ死ねねえ。イェルフの国を作るまでは」
再び渾身の力を込め、男の刃を押し返す。男の目に僅かな驚愕と、狂喜の色が浮かぶ。
二人は互いに弾きあうように、跳び離れた。
「くそ……」
ジイロは慎重に二度、三度と深呼吸した。
汗は出ない。すでに肌が干涸びているのか、喉はからからに乾いていた。火事場に長くいたせいか、皮膚のあちこちがチリチリと痛む。
男は輝くような目でジイロを捕らえていた。これが人間の目なのだ。血走った、鉤爪のような目。
風を切る音。
男の背中に、一本の矢が突き立った。
「ぐっ……」
男が初めて呻き声をあげ、バランスを崩した。
「今だ!」
ジイロは、男の懐に飛び込んだ。
その首に曲刀を叩きつける。
ぼきりと鈍い音がして、男の体がよろけた。
だが刃が通らない。鋼鉄のような皮膚に食い込んだまま、斬撃を止めていた。
男が目を剥き、ジイロを睨みつけた。
「ウガアアアッ!」
その口から、獣の如き咆哮があがる。
「イェルフを舐めるなよ……化け物が!」
曲刀にありったけの力を込め、男の巨体を地面に叩きつけた。
「ぐはッ!」
男の口から、血と唾液が飛び散った。
首が、あらぬ方向に折れている。
ジイロが男の胸を踏みつけた。
男の眼球が、確かにジイロを見た。
嗤った。
ジイロは曲刀を逆手に構えると、男の心臓を目がけて突き下ろした。
肉を断つ感触が、手首を伝わった。
二、三度波打ったあと、男は動かなくなった。
その胸から曲刀を引き抜くと、ジイロは顔を上げた。その先に、弓を持ったアコイの姿があった。
「トリンは?」
「山の道から逃げた。みんなといっしょだから大丈夫だ」
「何で、ついてってやんなかったんだよ」
「……こいつに、借りを返したくてな」
息絶えた男の巨体を見下ろす。
嗤ったまま死んだ、人間という生物を。
「もういいだろ。後は俺に任せて、トリンと合流しろ」
「いや、最長老がまだ戦ってる。手分けして探しだそう」
「そんなのは俺がやるって。おまえはトリンを守ってやれよ」
「僕は……大事なものは、全部守りたいんだ」
二人は、互いに不敵な笑みを浮かべた。
「ほんっとに、ばかな奴だな。アコイは」
「おまえに言われたくない」
燃え盛る炎は、断末魔のように渦を巻き、里を飲み込もうとしていた。
足元には野伏や、同胞たちの骸が、無数に転がっている。
父の形見でもあるイェルフの曲刀は、決して斬れなくなることはない。
しかし重い。疲労は徐々にジイロの動きを鈍らせる。
もはや枷と化したその曲刀を、それでもジイロは握りしめた。いつ斬られたのか、体のあちこちに無数の切り傷を負っていた。
「人間ども」
呪詛の言葉は、物言わぬ野伏の骸に。
悲鳴があがった。すぐ近くだ。
ジイロは駆けだす。
燃え盛る小屋が崩れ落ちた。火の粉が飛び散り、ジイロは身をよじってかわした。
里は炎上した。
家も畑も、懐かしい遊び場も、全てが焼け落ちつつあった。
崩れ落ちた小屋の向こうに、倒れたイェルフと、その前に立ちはだかる男の姿があった。
「あいつは!」
夜襲の日、ジイロの背後を取り、アコイに重傷を負わせた男。
その強さは、他の野伏を遥かに凌駕していた。彼がいなければ、アコイも怪我はしなかったし、仲間も死なずに済んだのだ。
ジイロは男に駆け寄ると、有無を言わさず斬りかかった。
男は不意に現れたジイロの一撃を、その太い刀身で正面から受け止めた。
「殺してやる!」
ジイロは唸った。
男は、歯を剥きだしにして笑った。
凄まじい力で、ジイロは弾き飛ばされた。
背を地面に打ち、激痛が走る。
「!」
咄嗟に身を捻った。男の刃が、背中を掠めて土に突き刺さった。
ジイロは立ち上がり、身構えた。
巨体の男も太刀を構え直した。
男の斬撃。風の唸りが耳朶を打つ。
渾身の力で刃を受け止める。
やはり凄まじい力だった。
「くっ……」
ジイロは押されていた。
力負けしているのだ。こんなことは初めてだった。
これが、人間の強さか。妙に冷静な思考で、ジイロは男を観察した。顎に力を入れ、刃を押し返した。
魔術を失ったイェルフ族は、人間のこの力に敗れたのだ。
いや、魔術はなくとも抗うことはできたはずだ。
ではなぜ俺たちは、人間如きに敗れたのか。今までずっと頭の隅にあった疑問が、氷解したような気がした。
まるで心底から殺戮を楽しんでいるかのような、この男の表情。
これが人間の強さなのかもしれない。必要ならば身内や親しき者でさえ手にかけるという、苛烈な野性の持ち主たち。
「でも、俺はまだ死ねねえ。イェルフの国を作るまでは」
再び渾身の力を込め、男の刃を押し返す。男の目に僅かな驚愕と、狂喜の色が浮かぶ。
二人は互いに弾きあうように、跳び離れた。
「くそ……」
ジイロは慎重に二度、三度と深呼吸した。
汗は出ない。すでに肌が干涸びているのか、喉はからからに乾いていた。火事場に長くいたせいか、皮膚のあちこちがチリチリと痛む。
男は輝くような目でジイロを捕らえていた。これが人間の目なのだ。血走った、鉤爪のような目。
風を切る音。
男の背中に、一本の矢が突き立った。
「ぐっ……」
男が初めて呻き声をあげ、バランスを崩した。
「今だ!」
ジイロは、男の懐に飛び込んだ。
その首に曲刀を叩きつける。
ぼきりと鈍い音がして、男の体がよろけた。
だが刃が通らない。鋼鉄のような皮膚に食い込んだまま、斬撃を止めていた。
男が目を剥き、ジイロを睨みつけた。
「ウガアアアッ!」
その口から、獣の如き咆哮があがる。
「イェルフを舐めるなよ……化け物が!」
曲刀にありったけの力を込め、男の巨体を地面に叩きつけた。
「ぐはッ!」
男の口から、血と唾液が飛び散った。
首が、あらぬ方向に折れている。
ジイロが男の胸を踏みつけた。
男の眼球が、確かにジイロを見た。
嗤った。
ジイロは曲刀を逆手に構えると、男の心臓を目がけて突き下ろした。
肉を断つ感触が、手首を伝わった。
二、三度波打ったあと、男は動かなくなった。
その胸から曲刀を引き抜くと、ジイロは顔を上げた。その先に、弓を持ったアコイの姿があった。
「トリンは?」
「山の道から逃げた。みんなといっしょだから大丈夫だ」
「何で、ついてってやんなかったんだよ」
「……こいつに、借りを返したくてな」
息絶えた男の巨体を見下ろす。
嗤ったまま死んだ、人間という生物を。
「もういいだろ。後は俺に任せて、トリンと合流しろ」
「いや、最長老がまだ戦ってる。手分けして探しだそう」
「そんなのは俺がやるって。おまえはトリンを守ってやれよ」
「僕は……大事なものは、全部守りたいんだ」
二人は、互いに不敵な笑みを浮かべた。
「ほんっとに、ばかな奴だな。アコイは」
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