灰の瞳のレラ

チゲン

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第27幕

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「もーっ、そこらじゅう探しまわっちゃったよ。まさか女とこんな場所にしけ込んでるなんて、意外とお盛んなんだね」
 デイジアは腰に手を当て、プンプンと怒っている。
「君は?」
 青年は怪訝な顔で、デイジアに問いかけた。
「えー、あたしのこと覚えてないのぉ? ひどぉい」
「あ、その、ごめん……」
 青年が素直に謝る。
 デイジアが、拍子抜けしたように苦笑いを浮かべた。
「なんか素直すぎると逆にやりづらいね。そういやあんたって、昔からそういう奴だったっけ」
「ええと、その、本当に申し訳ない」
「別にいいって。正直あたしも、ほとんど覚えてないし」
「あ、うん……じゃなくて、ちょっと取り込んでいるから、後にしてもらっていいかな」
「うわー、こいつあたしより他の女取りやがった」
「他の女って……」
「ムカついたから、殺すね」
 デイジアが短剣を抜き、青年に向かって飛びかかってきた。
「!」
 キィン。
 固い金属音。
 刃は寸分たがわず、青年の胸に突き刺さ……らなかった。
 その凶刃は、間に割って入った娘に受け止められていた。その手にした短剣によって。
「レラ、きみ……!」
「え、え……レラぁ!?」
 青年とデイジアが同時に驚愕の声をあげた。
「なんであんたがここにいんの!?」
 どうやらデイジアは、しけ込んでいた女の方をよく確認していなかったようだ。
「なに、その格好……どういうこと? あんた、家にいるはずじゃ……」
 口をあんぐり開けて、すっかり見違えた義妹の艶姿あですがたを、上から下までまじまじと見つめるデイジア。
「言いつけを破って、私も来てしまいました」
「来てしまいましたって、あんた……」
「ごめんなさい」
「……お姉ちゃんにバレたら、ただじゃ済まないわよ」
「判ってます」
「ほんとに判ってんの? もー、勘弁してよね」
 長姉のヒステリックを想像して、デイジアが天を仰ぐ。
「レラ、君はいったい……」
 置いてけぼりになった青年が、頭に疑問符を浮かべながら、レラとデイジアを交互に見比べる。ただし、今の二人にそれに答えている余裕はない。
「ていうかさ、勝手についてきたのはいいとして。どうしてあたしの邪魔すんのよ」
 ようやく状況を飲み込めたデイジアは、不機嫌な顔になってレラを睨みつけた。
「それは……デイジア姉様こそ、なんでこの人の命を狙うんですか?」
「はあ? そんなの母様に言われたからに決まってんじゃない」
「でも、母様の目的は王の命のはずです。この人は関係ないじゃないですか」
「え……」
 青年が思わず耳を疑う。事もなげに言っているが、聞き捨てならない内容だ。
「関係ない……ああ、そっか。はは、あははは」
 デイジアが納得したとばかりに、乾いた笑い声をあげた。
「そりゃそうだよね。あんた、覚えてないんだもんね」
「覚えてない……?」
「ていうかさ、ほんとは、あんたがこいつを始末する役だったんだからね」
「えっ?」
「それが急に使えなくなっちゃってさ……あーあ、ホントなら今頃、舞踏会でご馳走食べ放題だったのになー。いい迷惑」
「私が……この人を?」
「デイジアって……まさか、君は」
 青年の顔が青ざめる。どうやらその名に聞き覚えがあるようだ。
「まっ、そういう訳だから。レラ、あんたはおとなしくしててね。こいつ殺した後で、じっくり言い訳を聞いたげるから」
 デイジアが短剣を構え直した。
「待ってください」
 その暗殺者の動線を、レラがさえぎった。
「……どういうつもり?」
 デイジアが、すっと目を細めた。
 レラの頭のなかは、いまだに大鐘が鳴り響いていた。様々な映像の断片が、殴りつけるように駆け抜けていく。
 そのなかにあるのだ。この城で遊ぶ、幼い頃のレラと青年の姿が。
「教えてください。この人はいったい……それに、私はなんで……うっ」
 再び頭痛に襲われ、頭を抱えるレラ。
「レラ!」
 それを青年が支えた。
「へえ。やっぱり母様の言った通り、もう魔術が解けかかってるんだ」
「魔術……それってどういう……」
「てことは、ちょーっと話が変わってきちゃうなあ」
 考え込む仕草をしていたデイジアが、ニヤリと歪な笑みを浮かべた。
「実は、あたし、母様に言われてたことがあるんだ」
 そして、舌なめずりをする。
「記憶が戻りそうになったら、あんたを殺せって。だからぁ……!」
 デイジアが短剣を振りかざした。
 レラに向かって。
「死になよぉっ!」
「デイジア姉様!?」
 キィン。
 再び金属音。
 今度は青年の短剣が、デイジアの刃を正面で受け止めていた。彼がベルトに差していた飾り短剣だ。
「まさか、こいつが役に立つ日が来るなんて思わなかったよ」
「へえ。けっこうやるじゃん」
「さっきは油断したけど、僕だって王族のはしくれとして、護身術程度はたしなんでいるからね。こういうときのために」
「王族……?」
 苦しみながらも、レラは耳聡みみざとく青年の言葉を聞きつけた。
「あれれ。あんた助けてもらったくせに、まだこいつのこと思いだしてないの? やだー、薄情ものぉ」
 デイジアが、ニヤニヤと小馬鹿にしたような笑みを浮かべる。
「レラ、君は逃げてくれ」
 気遣う青年。レラを背にかばいながら。
「やっさしいねー。さすがは王子」
「おう……じ?」
「ほらほら、ちゃんと名乗ってあげなよ。ユコニス王子」
 嫌味を込めた口調で、デイジアが青年をあおる。
「やめてくれ」
 ユコニスと呼ばれた青年が、苦々しげにデイジアを睨みつけた。
「王子……ユコニス……」
 その呟きに呼応するかのように、頭のなかの断片がひとつの形を成していく。
 優しい顔をした少年。
 十年前、迫りくる脅威きょういから必死で彼女を守ろうとしてくれた背中。
「あなたは……」
「レラ、いいから逃げるんだ」
「あんた、自分の心配したら?」
 デイジアが短剣の切っ先を青年に向けた。
「く……」
「先に死にたいみたいだから、あんたから殺してあげるね。ユコニス王子」
 王子……この人が王子。
「お願いだ、デイジア。こんなことはやめて、ちゃんとみんなで話しあおう。そうしたら、きっと……」
「ごめんねー、母様の命令だから」
「デイジア、僕は君のことも……」
「イヤッハァ!」
 雄叫おたけびとともに、デイジアが青年に向かって跳躍ちょうやくした。
 キィン。
 その鋭い凶刃を、青年が短剣で受け止める。
 デイジアが一旦短剣を引き、すかさず二撃目を繰りだした。青年が短剣で受け流すと、その右腕を掻いくぐり、さらに刺突。刺突。刺突。
「ほらほら!」
「くっ……」
 風を切り、金属の交わる音が響き渡る。
 何とか瀬戸際で凌いでいるものの、青年は防戦一方に追い込まれていた。
「どうしたのさ。王族のたしなみってのを見せてよ!」
 デイジアの目は爛々らんらんと輝き、頬は紅潮こうちょうしていた。
「これ、やばい。メチャクチャ楽しい! 人を殺すのって、こんなに楽しかったんだ!」
「デイジア姉様……」
 うずくまり、頭痛に耐えていたレラが、苦しげに面差しを上げた。
 おぼろげな視界のなかで、二人が戦っている。
「こいつを殺ったら、あんたもすぐに後を追わせてあげるからね、レラ!」
 デイジアが狂喜の声をあげる。
「そんなこと、僕がさせない!」
 激しい息の下から、青年が叫んだ。
「ユコ、ニス……」
「レラは僕が守るから!」
『レラは僕が守るから!』
「!」
 その瞬間、記憶の皮紙が開いた。
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