高時が首

チゲン

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第9幕

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 その日のうちに苦林にがばやし宿まで足を運んだ二人は、翌二十七日には越辺おっぺ川、笛吹ふえふき峠と続けて越え、夜になる前には大蔵おおくら宿まで辿り着いた。
 そして二十八日の朝。
 眼前を都幾とき川が流れている。
 渡しを雇う。
 朝だというのに空は薄暗い。かすかに暗雲が垂れ込めている。
 雨が降らないうちに都幾川を渡りたかった。
 船頭は、薄い髭を蓄えた、三十半ばの口が軽そうな男だった。ときどき由茄に好色じみた視線を送っていたので、照隠はあまりいい印象を持たなかった。
 身の上をあれこれ訊いてこないだけましだったが、自分たちの日頃の生活や、季節折々の山川の様子などを、頼んでもいないのに延々と語ってくる。
 由茄は黙って聞いていたが、さすがに辟易へきえきしているようだった。
「鎌倉は、大変なことになってんだろうなあ」
 突然話題が変わり、照隠は顔を上げた。
 船頭は気付いていない。由茄の表情に微妙な変化が訪れたことに。
「新田の軍勢が、北条の奴らを蹴散らしたっていうじゃねえか。これでちっとは、ましな世のなかになってくれるといいがね。こっちは鎌倉の役人に、尻の毛まで引っこ抜かれてひいひい言っとったんだ」
「鎌倉のまつりごとは、そんなにひどいものだったのですか」
「ひでえもくそもあるか。特にあの北条高時とかいう野郎は、どうしようもねえ腐れ武士だったって話だ。俺だって本当は新田についてって、あいつらをたたころしてやりたかったぜ」
 そう言うと、船頭は鼻を鳴らした。
 地を揺るがすほどの轟音ごうおんが鳴り響いたのは、そのときだ。
 天地が震撼しんかんした。
「ひぃっ」
 船頭の口から、短い悲鳴があがった。
 照隠は舟上で立ち上がった。
 うなり声は、由茄の抱えた首桶のなかからだ。
「まさか、得宗家が目覚めたのか」
 由茄は青ざめた顔で、首桶を凝視ぎょうししていた。
「な、なんだよそりゃあ」
 船頭のおののきは、さらに起こった低い唸り声に掻き消される。
『憎しや新田、憎しや足利』
 首桶から凄まじい妖気が吹きだし、振動が起きた。
「ひえ……」
 船頭は、舟の後ろへ後退った。
 直後、舟が揺れた。
 船頭が動いたせいだろうか。まるで突然に川の水が隆起したようでもあった。
 舟はさらに大きく揺れた。
 由茄が、舟底に手を突いた。
 その瞬間、ついに舟が横転した。
「あっ!」
 三人が川に投げだされた。
 照隠は、咄嗟とっさに舟べりにつかまった。
「由茄!」
 水面に顔を出すと、声を張り上げる。幸い、由茄も船頭も転覆てんぷくした舟のへりにしがみついていた。
 そのとき由茄の腕のなかから、首桶がするりと擦り抜けた。
「ああっ」
 手を伸ばすが届かない。
 首桶は彼女の目の前を、折りからの急な流れに乗って、川下へ流されていった。
「殿」
 由茄が、ためらうことなく、へりから手を離した。
「いかん」
 照隠は手を伸ばした。
 だが川の流れは速く、由茄の姿はみるみるうちに流されていく。
 照隠もまた、躊躇ちゅうちょなく舟べりから手を離した。
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