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第3章 ケットシー編

32 事態急変

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 狩り場にしているのは、村の東から南にかけてだそうだ。
 今日は狩りには参加しないマシューが、そう説明してくれた。
 族長の一人娘ということで女の子のジュリアンが参加しているのは特別で、基本は男衆が交代制で行っているらしい。

「獲物を見つけるのは技術より運の部分が多いから、遅いときは半日はかかるかなぁ。
 ここ一週間くらいは、獲物が見つからないから、ずっと遅い日が続いてて。
 幼獣は獲らないようにしてるし、森の恵みが減ってる訳でもないのに、おかしいって噂で持ちきりだよ」

 狩りはいつまでかかるのものなのかと、マナトが質問した答えがそれだった。

 (遅かったら出発は夕方になるか……。ジュリアンのお願いも聞かないといけないしな)

 もっと早く起きていたら、必然的にジュリアンを捕まえるのも早まり、お願いとやらを聞き終えて、返してもらった地図を手に、今ごろ出発出来ていたのかもしれないが。

 (寝るのを削るくらいなら、夜ぶっ通しで歩くほうがまだマシだ)

 それは結局、睡眠時間を削ってるんじゃないのか、という指摘はともかく、さらさら自分のライフスタイルを変えるつもりはないようだった。

「マシュー今日も泊めてもらえないか?」

 一人暮らしのマシューに、昨日に引き続いて負担をかけるのは申し訳なかったが、泊まるなら気心が知れた相手がいい。
 マシューは嫌な顔一つせず頷いた。

「もちろんいいですよ。
 マナトさんさえ良ければ、いつまででも泊まっていって下さい」

 (神だ!)

 マナトなどより、よっぽど神らしい太っ腹さだ。
 お礼を言いつつ、マナトは村に目を向ける。
 ジュリアンを捕まえるために一通り見て回ったが、マシューが時間潰しを兼ねて案内してくれるというので、一緒に歩いていた。

 途中、マシューと同年代くらいの少年たちがいたが、遠巻きに見てくるだけで近づいてこようとしなかった。
 その馬鹿にしたような視線はマシューに向けられ、その隣にいる、よそ者のマナトにも同様の視線が投げられる。

 直接口で言うのではなく、こんな視線を毎回向けられたら、思春期まっ只中のマシューにはキツイだろう。
 よそ者のマナトが怒ってどうにかなる問題ではない。むしろ、それをすれば余計にマシューに迷惑がかかるだろうとは予測がつく。
 残念だが、マシュー自信が解決しないと駄目なのだ。

「すみません」

「謝るな」

「で、でも。僕が村を案内するって誘ったから——」

「俺は嫌なら嫌ってちゃんと断るし、多分一人で歩いててもよそ者ってだけで同じ目で見られたはずだ。
 マシューが謝る理由は何もない。

 それはマシュー、お前自身にも言えることだからな」

「えっ?」

「ケットシー族の狩りがどんなに重要なのかは、正直俺には理解できない。
 獲物を仕留め損なうって言うことの意味も分からないが、それに対して怒るならその場限りであるべきだと俺は思う。
 
 だから必要以上に申し訳なく思ったり、謝ったりしないでいいんだ。
 それに、猛特訓して、奴らを見返してやるって決めたんだろ」

「そこまで言った覚えはないんですけど……」

 (あれ、そうだったっけ?)

 いかにあのとき、燃えるマシューの言葉を適当に聞き流していたか分かるというものである。

「じゃあ、やっぱり俺の無念を晴らすって方向で」

 真剣にマナトの話を聞いていたマシューは脱力した。

「……さっきまで凄くいい話だったのに。一気に適当になっちゃったなぁ。
 でも頑張るって決めたから頑張りますけどね」

「そうそう。若者は苦労してナンボだ」

「って、マナトさんもまだ二十五歳でしょ!」

 マシューに突っ込まれた。
 大人しくて遠慮がちなマシューはどこへいったと首を捻っていると、急に村が騒がしくなった。

「なんだ?」

「なんでしょうね?」

 顔を見合わせて、騒ぎのしている方——族長の家の前へ向かった。
 そして、その目に飛び込んできた光景に、二人とも息を飲んだ。

「これは酷いな…………」

 藁の敷かれた地面に横たわる十人のケットシーたち。
 あちこちに切られたり齧られたような深い傷があり、多量の出血で服が染まってしまっている。
 意識がないほうがまだマシだっただろう。
 数人は意識を失っていたが、残りの者はあまりの激痛に呻いたり叫んだりしていて、その場は大混乱になっていた。
 日本ではおよそ遭遇しない壮絶な現場に、マナトは目を逸らさずにはいられなかった。
 
「一体、何があったっていうんだ?!」

 ここまで怪我人を背負い疲れ果てて、弓を杖代わりに座り込む青年のケットシーに、居残り組の男衆が説明を迫る。
 よく見れば、そのケットシーも無傷ではなく、脇腹から血を流していた。

「モンスターだ! 狩りをしてたら突然、蜘蛛のモンスターかいっぱい現れて……。戦ったけど、どいつも強くて……」

 そのときの恐怖を思い出したのが、ブルッと身震いする。

 マナトは狩りに参加したジュリアンのことが心配になった。

 (ジュリアンは無事なのか?! )

 怪我人の世話や恐慌に陥る人、怒り復讐に叫ぶ人たちで収拾がつかない混乱状態の中、マナトはジュリアンの姿を求めて視線を彷徨わせる。
 
 (いない……。どこだ、ジュリアン!)

 見落としたかと今度はつぶさに見たが、やっぱりジュリアンの姿はなかった。
 もしかして、と最悪の展開が頭をよぎる。

「マナトさん、あれ!」

 そのとき、マシューに肩を叩かれ、視線を森に繋がる道へ向ける。
 ジュリアンが片足を引きずる同年代くらいの少年に肩を貸して、歩いて来るところだった。
 ふらふらと今にも倒れそうだ。
 マナトが駆け寄るのと、ジュリアンが倒れこむのが同時だった。

「ジュリアン!!」

 マナトは倒れこむジュリアンを支える。
 ジュリアンが肩を貸していた少年は、その場に座り込んだ。

「おい、しっかりしろ! おい!」

「…………マ……マ、ナト?」

「そうだ! もう村に着いたんだ、安心しろ」

「よか……っ——」

 言葉が不自然に途切れる。
 急に力が抜けて、支えていたマナトの手が滑った。ジュリアンが仰向けに倒れる。

「!」

 慌てて起こそうとしたマナトは、なぜか手が濡れているのに気がついた。
 息が止まる。
 両手が血で真っ赤に染まっていた。

 驚愕にジュリアンを見ると、

「……あ、……………ああっ、嘘……だ……。嘘だと言ってくれ……」

 彼女は血の海に横たわっていた。
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