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第3章 ケットシー編

39 大蜘蛛の洋館

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 森を抜けると、地平線上に崖が広がっていた。
 晴れていた空はいつの間にか黒い雲に覆われ、雷が近づいているのか時折ゴロゴロと音が聞こえる。
 
「マナト、あれ!」

 横に並んだジュリアンが指差す方向に目をやると、崖の上に古びた洋館が建っていた。

 遠目からでも異質さに気づく。

 もともと誰かの別荘にでも使われていたのか、二階建てで当時は装飾にも拘っていたらしい形跡が窺える。
 こんな辺境地でこれほど立派な洋館を建てるには、相当な金がかかったはずだ。
 それが現在では、見るも無惨に荒れ放題になっている。

 だが、マナトが異様さを感じたのはもっと別の箇所だ。

 それは蜘蛛の糸だ。
 窓やドア、壁に至るまで蜘蛛の糸が絡みつき、まるで洋館自体が蜘蛛の巣のようになっていた。
 いかにもボス戦ですよという雰囲気が醸し出されていて、子蜘蛛を切り過ぎてハイになっていたマナトも少し尻込みする。

 (だって、子蜘蛛より大きな蜘蛛がいるんだろ?)

 正直なところ、洋館に入らずに回れ右して今すぐ帰ってしまいたい。
 だが、多分バーナードはあの洋館に囚われている。
 助け出さなければ、今までマナトがやってきたことが全くの無駄になってしまう。

「あの洋館、いつから建ってるんだ?」

 マナトが尋ねると、ジュリアンは首を捻った。

「族長が生まれる時にはあったって言ってたから、五十年くらい前じゃない?
 狩りは村の近くで済ませるから、僕も初めて見る」

 その時、ポツンとマナトの頬に水滴が落ちた。
 一度降り出した雨はすぐに雨足を強め、マナトたちはやむなく、鍵がかかっていない洋館の玄関扉を開けて、玄関ホールへと入った。

 静寂に満ちた洋館に、キィィッと蝶番が軋む音と、バタンと背後の扉が閉まる音が鳴り響く。

「……………………」

 入った瞬間、マナトたちは想像を絶する光景に絶句した。

 本来なら、左右に部屋に通じる通路があり、正面には二階へと続く階段があるのだろう。
 だが、そこは壁すら見えないほど、大量の蜘蛛の糸で一面覆われてしまっていた。

 蜘蛛の糸は透明だが、重なることで白に見える。
 白の巣窟と化した洋館に、マナトたちは立ち尽くしていた。

「ヤバイな…………」

 驚きすぎて、まるっきり中身のない感想を呟くていることに、マナトは気づかない。

「これはマナトでなくても、ちょっと気持ち悪いな。
 まるで僕たちも蜘蛛になった気分だ」

「! うわわわっ、ジュリアン冗談でもそれは止めろ。
 想像したら鳥肌がっ!」

 腕をさするマナトに、はぁっとジュリアンはこれ見よがしに大きなため息をついてくる。

 (なんだよ、喧嘩売る気か?)

「奥へ進もう。族長を助けるんだ」

 そして先に歩き出したジュリアンは、二階の階段に差し掛かったところで、振り返った。

「マナト、ここまで連れて来てくれてありがと。感謝してもしきれないよ」

 まだバーナードを見つけてもいないのに、ジュリアンは笑顔でそう言った。
 その笑顔が、どこか儚くて消えてしまいそうなのは気のせいだろうか?

「ジュリアン……?」

「——ジュリア」

「えっ?」

 まさか、名前を言い直されるとは思ってなくて、マナトは戸惑いの声を上げる。
 ジュリアンのステータスを見たときに、確かにその名前を見て、聞いてみようとは思っていたが。

「ジュリア、が私の本当の名前。
 次期族長になる為に、その名前は捨てたつもりだったけど、マナトにはそう呼んでもらいたいな」

 無邪気にジュリアン——ジュリアは小首を傾げる。
 そうすると、今までどんな節穴な目をしてたんだと思うくらい、可愛らしい少女にしか見えなかった。

 でも、なぜ今、なのか。
 こんな場所でなくても、この件が上手く片付いて、村へ帰ってからでもよさそうなはずなのに。

「あ、あぁ。それは構わないけど、なんでこんな時に——」

 まるで死ぬみたいに言うんだ?

「キャッ!」

 マナトのその言葉は、近くに落ちた雷鳴に掻き消された。
 ジュリアが猫耳を手で塞いで怯える。どうやら、雷が嫌いなようだ。
 よしよしと猫にするように頭を撫でながら、

 (俺の勘違いか)

 マナトはそう思い直した。
 ジュリア一人では、ここまでたどり着けなかったかもしれないことに、単にお礼が言いたかっただけだろうと。
 
 このとき簡単に考えて問い詰めなかったことを、のちに後悔することなど、マナトは思いもしなかった。
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