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16 天秤
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僕は徹底的に蒼士を避けた。喫煙所に居れば踵を返したし、連絡されても返事をしなかった。そのうちに夏休みになり、僕はバイトに精を出した。廃棄のスイーツがご馳走だった。
直人がたまに来た。女好きなのは変わらないようで、自慢気にハメ撮りを見せつけてきた。
「美月がええんやったら乱交してみたいんやけどな」
「僕は女はええわ。グロいもん」
僕が女嫌いになったのは確実に母のせいだろう。それさえなければ僕だって彼女の一人や二人作っていたかもしれなかった。けれども僕は男との行為で十分満足していたし、そうさせてくれた雅彦さんのことは憎みきれなかった。
「女と遊ぶんはなぁ……妊娠させてもたら面倒やしな。その点美月はええわ」
「やろ? またおいでや」
僕の誕生日の前日に蒼士から連絡がきた。明日僕を買いたいと。迷った。無視してもよかった。けれども僕は了解と送ってしまった。
「美月ぃ! 誕生日おめでとう。今年アイスケーキにした。食うやろ?」
「まあ、うん」
ぎこちないのは僕だけ。虎柄のシャツを着た蒼士はいそいそと箱を開けた。
「食いきれんかったら冷凍庫入れといたらええよ」
僕は黙って食べ始めた。味は普通のアイスと変わらなかったがまあ美味しかった。やっぱり多くて残した。蒼士はつらつらと話し始めた。
「理沙なんやけどさぁ、兄ちゃんと同じ大学目指そかなって言ってくれて。まあ在学かぶらんのやけど。めっちゃ可愛ない?」
「せやな」
蒼士はスマホを見せてきた。まだ画面は直っていなかった。金はあるだろうにどうして修理しないのか。
「二人で水族館行ってん。クラゲ、綺麗やろ? ずっとここおったわ」
「ふぅん」
兄妹仲のよろしいことで。僕はというと水族館は小学校の遠足でなら行った覚えがあった。それからも理沙がどうのとよく喋るので、僕は合間を見て口を出した。
「で? やりにきたんとちゃうの?」
「それもあるけど祝いにきてんて」
蒼士は僕の頭を撫でてきた。髪は肩まで伸びていて色は立派なプリンになっていた。
「やめぇや」
「美月って可愛いからナデナデしたくなんねん」
高校時代は姫だった僕だ、そのくらいの褒め言葉で流されるものか。僕は蒼士の手の甲をフォークで刺した。
「そこまでせんでも」
「祝いたいんやったら金出せ金」
「ほな何か食いに行こか!」
あれこれ話し合って高い中華にした。テーブルが回るやつだ。よれよれのTシャツを着ていき、丁寧に接客されてしまったので後悔したが、同伴者も変な格好なのでよしとする。
「美月、食いたいもん何でも頼めよ」
「何書いてるんかわからへん……アオケンサイって何?」
「それ多分チンゲンサイや」
中華なら雅彦さんとも来たことがあったが、あの時は注文を任せきっていたのであった。今回もそうした。
「春巻デカっ! 蒼士こんなに食えるか?」
「いけるいける。スープ取り分けたるから皿ちょうだい」
個室でよかった。僕は出てくる料理にいちいち驚きながら箸を進めた。蒼士だけビールを頼んでいて、そういえば僕も飲んでいい年になったんだなとは思ったが、どうなるかわからないのでやめておいた。
腹はすっかり膨れ、夜道をのんびりと歩いた。ぬるい風が僕たちに吹き付けてきて、夏の終わりはまだ遠そうだった。そんな季節に僕は生まれたのだ。
こんな日くらい、母は僕のことを思い出しているだろうか。それとも酒か男のことしか考えていないのだろうか。最後まで大事にしてくれないのなら最初から生んでほしくなかった。
隣を歩く蒼士を見た。きっと家族から望まれて生まれ育まれ、ここまできたのに違いなかった。何をしても怒らないのもそのせいかもしれなかった。だから僕は試したくなった。
「蒼士……首、絞めさせて」
帰宅してすぐにそう持ちかけた。
「ん? 首? ええけど」
もっと引けよ驚けよ。僕は持てる力全て出して蒼士の青白い首に掴みかかった。蒼士はまるで抵抗しなかったが、酸素を求めているのかぱくぱくと口を動かした。
「かはっ……はぁ、はぁ……」
蒼士はしゃがんで必死に息をした。それでも気が収まらなかったので頭を蹴った。サングラスが吹っ飛んだ。蒼士はそれを拾ってかけて口角をあげた。
「美月ぃ……プレゼントはサンドバッグが良かったん? ええで、なったるで」
「脳みそないんか? ネジ取れとんのか?」
僕はベッドに寝転んで壁を向いた。蒼士はタバコを吸い始めたようで香りがしてきた。しばらくは蒼士の煙を吐く音だけが聞こえてきた。
「今日はなしか?」
「うん」
「また今度な」
「とにかくもう出ていけ」
祝ってもらっておいてこの態度は普通ないだろう。それでも蒼士は優しく僕の肩を叩いて言った。
「ほな行くわ。生まれてきてくれてありがとう、美月」
蒼士が出ていってしまってから、次から次へと涙がこぼれた。
「何がや……何がやねん……」
もうダメだ。何をしても蒼士には響かない。早くこんなヤニカスクソビッチを見限ってほしいのに。揺れてはならない天秤を無理やり押し付けた。
直人がたまに来た。女好きなのは変わらないようで、自慢気にハメ撮りを見せつけてきた。
「美月がええんやったら乱交してみたいんやけどな」
「僕は女はええわ。グロいもん」
僕が女嫌いになったのは確実に母のせいだろう。それさえなければ僕だって彼女の一人や二人作っていたかもしれなかった。けれども僕は男との行為で十分満足していたし、そうさせてくれた雅彦さんのことは憎みきれなかった。
「女と遊ぶんはなぁ……妊娠させてもたら面倒やしな。その点美月はええわ」
「やろ? またおいでや」
僕の誕生日の前日に蒼士から連絡がきた。明日僕を買いたいと。迷った。無視してもよかった。けれども僕は了解と送ってしまった。
「美月ぃ! 誕生日おめでとう。今年アイスケーキにした。食うやろ?」
「まあ、うん」
ぎこちないのは僕だけ。虎柄のシャツを着た蒼士はいそいそと箱を開けた。
「食いきれんかったら冷凍庫入れといたらええよ」
僕は黙って食べ始めた。味は普通のアイスと変わらなかったがまあ美味しかった。やっぱり多くて残した。蒼士はつらつらと話し始めた。
「理沙なんやけどさぁ、兄ちゃんと同じ大学目指そかなって言ってくれて。まあ在学かぶらんのやけど。めっちゃ可愛ない?」
「せやな」
蒼士はスマホを見せてきた。まだ画面は直っていなかった。金はあるだろうにどうして修理しないのか。
「二人で水族館行ってん。クラゲ、綺麗やろ? ずっとここおったわ」
「ふぅん」
兄妹仲のよろしいことで。僕はというと水族館は小学校の遠足でなら行った覚えがあった。それからも理沙がどうのとよく喋るので、僕は合間を見て口を出した。
「で? やりにきたんとちゃうの?」
「それもあるけど祝いにきてんて」
蒼士は僕の頭を撫でてきた。髪は肩まで伸びていて色は立派なプリンになっていた。
「やめぇや」
「美月って可愛いからナデナデしたくなんねん」
高校時代は姫だった僕だ、そのくらいの褒め言葉で流されるものか。僕は蒼士の手の甲をフォークで刺した。
「そこまでせんでも」
「祝いたいんやったら金出せ金」
「ほな何か食いに行こか!」
あれこれ話し合って高い中華にした。テーブルが回るやつだ。よれよれのTシャツを着ていき、丁寧に接客されてしまったので後悔したが、同伴者も変な格好なのでよしとする。
「美月、食いたいもん何でも頼めよ」
「何書いてるんかわからへん……アオケンサイって何?」
「それ多分チンゲンサイや」
中華なら雅彦さんとも来たことがあったが、あの時は注文を任せきっていたのであった。今回もそうした。
「春巻デカっ! 蒼士こんなに食えるか?」
「いけるいける。スープ取り分けたるから皿ちょうだい」
個室でよかった。僕は出てくる料理にいちいち驚きながら箸を進めた。蒼士だけビールを頼んでいて、そういえば僕も飲んでいい年になったんだなとは思ったが、どうなるかわからないのでやめておいた。
腹はすっかり膨れ、夜道をのんびりと歩いた。ぬるい風が僕たちに吹き付けてきて、夏の終わりはまだ遠そうだった。そんな季節に僕は生まれたのだ。
こんな日くらい、母は僕のことを思い出しているだろうか。それとも酒か男のことしか考えていないのだろうか。最後まで大事にしてくれないのなら最初から生んでほしくなかった。
隣を歩く蒼士を見た。きっと家族から望まれて生まれ育まれ、ここまできたのに違いなかった。何をしても怒らないのもそのせいかもしれなかった。だから僕は試したくなった。
「蒼士……首、絞めさせて」
帰宅してすぐにそう持ちかけた。
「ん? 首? ええけど」
もっと引けよ驚けよ。僕は持てる力全て出して蒼士の青白い首に掴みかかった。蒼士はまるで抵抗しなかったが、酸素を求めているのかぱくぱくと口を動かした。
「かはっ……はぁ、はぁ……」
蒼士はしゃがんで必死に息をした。それでも気が収まらなかったので頭を蹴った。サングラスが吹っ飛んだ。蒼士はそれを拾ってかけて口角をあげた。
「美月ぃ……プレゼントはサンドバッグが良かったん? ええで、なったるで」
「脳みそないんか? ネジ取れとんのか?」
僕はベッドに寝転んで壁を向いた。蒼士はタバコを吸い始めたようで香りがしてきた。しばらくは蒼士の煙を吐く音だけが聞こえてきた。
「今日はなしか?」
「うん」
「また今度な」
「とにかくもう出ていけ」
祝ってもらっておいてこの態度は普通ないだろう。それでも蒼士は優しく僕の肩を叩いて言った。
「ほな行くわ。生まれてきてくれてありがとう、美月」
蒼士が出ていってしまってから、次から次へと涙がこぼれた。
「何がや……何がやねん……」
もうダメだ。何をしても蒼士には響かない。早くこんなヤニカスクソビッチを見限ってほしいのに。揺れてはならない天秤を無理やり押し付けた。
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