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#03 Dear ghost
しおりを挟む──隣に。
小道に漂う湿気を含んだ夜の空気はねっとりと肌に張り付くようだった。先程シャワーを浴びたばかりだというのに、額に汗が浮かんでいる。僕は右手にぶら下げていたビニール袋の中から買ったばかりの煙草を取り出し、封を切った。袋の中に収まっていた酒の小瓶が触れ合って音を立てた。それが合図であったかのように、その人は僕の目の前に現れた。小さな寺の小さな墓地の一角に桜の木が何本か植えられていて、春になれば華麗な花を降らせる。今はすっかり葉を茂らせたその木の下に、真っ白な服を着た人が立っている。近くに街灯があって足元に困らない程度の光はあるが、どうにも鮮明ではない。服が見える。長い髪が見える。桜を見上げる横顔と、服の下から見える肌が妙に白く輝いて見えた。見えているのに、なぜか鮮明ではない。ふと、妙に冷えた風が吹いた。体が震えるよりも前に、その風の中にその人を見失ってしまった事が残念でならなかった。
そんな事があっても日常は淡々と過ぎてゆく。朝になれば目を覚まし、蚊に食われた腕を掻きながら飯を食い、仕事へ行く。汗を流しながら仕事をこなして、夕方になれば家に帰る。晩飯を食いながらぼんやりと考える。明日の事、昨日の事、今の事。どれも大切なものだが、どうも味気ない。元々楽しんで生きている訳ではないが、最近は特に面白くない。気が向かないのだ。何をしていても、あの白く輝く横顔が頭を過ぎる。あの日から毎晩のようにあの道を通るが、一週間が過ぎた今でもあの姿を見る事はできなかった。
さらに数日が過ぎた頃、昼時に妙な話をされた。相手は同期の青年だ。どうやら彼は見える人らしいのだが、何が見えるのかははっきりしない。霊、妖怪、悪魔、天使、あるいは神。当人は余り拘りがないらしい。とりあえずわざわざ見る必要はないものだよ、と彼は笑っていた。そんな彼が冷やし中華を啜りながら一言ぼそりと言った。
「最近ずっと連れてるみたいだが、何だねその子は。」
僕は炒飯をかき込みながら応える。
「どんな子?」
「白い服着た髪の長い女の子だな、否、もう女性と言うべきかな?」
適当に相槌を打ちながら麦茶を飲んだ。
「機嫌は良いみたいだけどね。ところで、何か困った事はないかね?」
彼は喋りながら左手の中指でテーブルを叩いている。どうやら俺の反応が気に食わないらしかった。
「少し気が散るくらいかな。」
「元からだもんな。」
呆れているのかも知れない。
「まぁ、良いさ。もし困った事になったら言ってくれ給えよ。少しぐらいなら力になってあげよう。」
彼は退屈そうに笑いながら食器を抱えて去って行った。僕は何気なく辺りを見渡した。知っている顔と知らない顔しかない。当たり前か。僕も同じように笑い、食器を抱えて席を立った。
また夜になった。明日の予定を確認し、支度を済ませる。余った時間を適当に使って、寝苦しい床に就いた。シーツが湿っているような気がする。今度の休みにでも洗濯しよう。扇風機が送って来る風を浴びながらそんな事を考えていると、いつの間にか眠っていた。
どれくらい経ったのだろう。ふと目が覚めた。タイマーをセットしていた扇風機は止まっている。真夜中らしい。普段は滅多に起きない時間だ。余程室温が高いのかと思ったその時、声が聞こえた。リズムと音階が連なり、旋律を作っているそれは歌だった。知っている歌だった。懐かしくて、心地良かった。少し視線を動かすと、誰かが居た。布団で眠る俺を見下ろすように座っているようだ。あの人だと、直感で分かった。歌が途切れるその瞬間に手を伸ばして、触れる事はできなかったけれど、その人は少し笑ったようだった。
「そのまま、歌ってくれないか。」
また穏やかな歌が流れ始めた。僕はゆっくりと目を閉じて、暖かな夢の中へ落ちて行った。
翌日の昼、いつものように食堂で食事をしていると、件の同僚が隣に座った。
「やぁ、調子は良さそうだね。」
「ああ、昨日はよく眠れたからな。」
彼はそれなら良いと言いながら、僕の肩の後ろ辺りを見た。
「そっちもまた上機嫌だね。何かあったのかね?」
ひょっとしたら夢だったのかも知れないが、と前置きして昨夜の出来事を話してやった。彼は何か不味いものでも食べたかのような顔をした。
「惚気話かね?」
「違うよ。」
彼は僕の肩の後ろに目を凝らし、何かを納得したように頷き、蕎麦を啜った。僕も焼き魚に箸をつけた。
週末、見事な晴天が広がっていたのでシーツを洗った。ついでに掃除も済ませて、外へ出た。真っ青な空から強い日差しが降りてきている。そこら中から湿気と熱が舞い上がり、蝉が五月蝿いくらいに鳴いている。少し寄り道をして、線香と小さな花を買った。住宅が並ぶ小道を抜けて最初にあの人を見付けた桜の木の下に立つ。同じように見上げてみて、やっぱりそうだと思った。小さく息を吐いて、足を進める。石畳を踏み、墓の間をすり抜けてゆく。一つ、それ程大きくない墓石の前に花を添え、線香に火を点けた。手を合わせて、呟く。
「あんまり綺麗になってたから僕もあいつも分からなかったよ、姉さん。」
肩の後ろ辺りで、誰かが笑うような気配を感じた。
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