虚構の幻影

笹森賢二

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#10 悪夢

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    ──始まりの終わり。


 浮かれていた。今は後悔している。同じ大学に通う細身の美人。余り接点は無かったハズだが、学食で安い飯をついばんでいると話しかけて来た。
「それ、一番安いメニューよね。」
 優しげな笑顔で言う。大概の男は転ぶだろう。
「金欠の学生にはこれで良いんだよ。」
 値段の割には充実している。白飯に一番安い魚。日替わりの味噌汁の具は大根とネギ。漬け物もついている。それで値段はワンコインでお釣りが来る。文句を言う方が間違っている。
「ふぅん。晩ご飯もそんな感じなのかしら?」
 頬杖をつくと長い黒髪が揺れて良い匂いがした。注文はしていないらしいが、何がしたいのだろう。
「適当。炊飯器と米があればなんとかなる。」
 そいつは笑顔のまま続ける。
「じゃあ、今度私が作ってあげるわ。お金は取らないから安心して。」
 そう言うとそいつは席を立った。その時に気付くべきだったのだろう。それでも間抜けな俺は気付かないまま講義を終えて部屋に帰った。時計の針が回る。そろそろ夕飯の支度を思ったら呼び鈴が鳴った。出るとビニール袋を下げたそいつが居た。
「お邪魔しても良い?」
「ああ。」
 下心は当然あった。それ位の美人だった。
「すぐ作るわね。」
 そいつは当然のように台所に食材を並べた。いい加減鈍い俺も気付き始めた。そいつは迷いもせず調理器具を取り出し、食器を揃える。確かに自分が使い易いように揃えているが、そいつは余りにも迷い無く取り出している。そもそも、なんで俺の部屋を知っていた? 友人にでも訊いたのだろうか。共通の友人はいないが、喋りそうな奴はいるか。
「どうかしたの?」
「いや。」
 料理はすぐにできあがった。ナポリタンスパゲッティにキャベツの千切りにトマト。スープは卵が入った中華風だった。
「どうぞ、召し上がれ。」
「ん、ああ、いただきます。」
 考えても仕方がないか。そいつの作った料理は旨かった。普段質素な晩飯しか食っていないせいもあってか一気に食べ切ってしまった。
「美味しかったかしら?」
「ああ、旨かった。」
 そして、そいつは俺を後悔させる言葉を吐いた。
「そうでしょ? だって、パスタのソースにも、ドレッシングにも、スープにも、私の血が入ってるんですもの。」
 そいつの左の指には数枚の絆創膏が巻かれている。果たして俺は、これからどうすべきだろうか?
(了・夕餉)



 内見の時は何の問題も無かった。一回の角部屋だが壁紙やダイニングのフローリングも綺麗に張り替えられていたし、和室の畳も比較的新しい物だった。押し入れの中もカビ臭さは無かった。エアコンもあり、風呂とトイレは別。駅も比較的近い。家賃も手頃で、一人暮らしには広過ぎるくらいだった。不満があるとすれば、妙な事が頻発する事だ。大した事ではない。仕事から帰ると家具の位置が微妙に違う。夜中にベランダの方から音がする。その程度だ。物がなくなったり、壊されたりはしていない。一度管理会社に問い合わせたが、ドアのカギは変えてあると言われていたし、この建物でも近辺でも物騒な事は起きていないらしい。暇を持て余した時に図書館で調べた結果も、何気ない郷土史と他愛の無い新聞記事が並ぶだけだった。
それでも気になるモノは気になる。そこで一芝居打ってみる事にした。有給を取って平日に出社したフリをする。少し離れてから戻り、鍵を開けておいたベランダのガラス戸から部屋に戻る。ベランダの柵に手をかける頃には馬鹿馬鹿しくなっていたが、ガラス戸の向こうの光景を見て、身体が硬直した。すぐに手を離してその場を離れる。台所に誰かが居た。知っている。服装こそ違うが、内見の時、俺を案内していた女の後ろ姿に似ていた。忙しなく手を動かしていたのは、何だったのだろう。狭い台所に置いてあるものは、調味料の類と、歯ブラシ。思わず口を押さえた。俺が毎日使っていたのは。もしかしたらほぼ万年床と化していた布団も? 走りながらぐるぐる周る思考を押さえながら考える。そうだ、まずは警察だ。そう思いながら立ち止まり携帯を取り出すと後ろから肩を掴まれた。冷たい汗が背中を流れ落ちて行く。奇妙にさえ思える熱が耳元で言った。
「ついに見付かっちゃいましたね。」
(了・捕獲)
 
 
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