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#11 開かずの間
しおりを挟む──幻と暗闇。
その精神病院が廃院となってから三年と半年程。然程老朽化が進んでいる訳ではないが、立地条件が悪かった上、スタッフの不足と院長の事故死が原因で廃院となった。引き継ぐ者もなく、取り壊しや別施設への転用も何度か検討されたが、資金問題で中々話が進まないまま現在に至っている、らしい。
「しっかし、確かに絶妙な位置だな。」
ろくに草も刈られて居ない、アスファルトも所々穴が開いている駐車場。友人の運転する軽自動車の助手席で呟く。駅からは遠く、近くに大きな道は通っているが、どの町からも遠い。周囲は木々に囲まれていて、灯りは少ない。
「だろ? ほれ。」
後部座席に居たもう一人の友人がデジタルカメラを差し出して来た。
「ホントに俺一人?」
「当たり前だろ。」
先週末、友人宅で酒を飲みながらトランプに興じていた。酒が回るうちに負けた奴は罰ゲームと言う流れになった。で、俺が負けた。数日前に決まったらしい罰ゲームがこれだ。曰く付きの廃病院の探索。昼でも良いだろうと抵抗したが、夜に決まっているだろうと押し切られ、ついでに曰くについても話された。子供の頃からつるんでいる友人どもは人事になるとこうだった。
曰く。三階の一番奥に隔離室という部屋が三部屋あって、他の患者の迷惑になるような行動をする患者はそこに収容されていたらしい。隔離とは言っても入院患者の殆どは比較的軽度の精神障害者で、身体拘束はせず、窓に格子がはまっているなんて事もなかったそうだ。ただ、一度だけ酷く錯乱して隔離された患者がいて、転院を検討している最中に隔離室で首を括った事があり、以来その部屋は隔離室ではなく倉庫として使われるようになった、との事だ。「一回は綺麗にして、隔離室として使ってたんだけど、その部屋に入れらた患者が、見るらしいんだよ」。真昼の食堂で友人はにやにやしながらそう言っていた。
そして、俺はカメラとスマホをポケットに、ライトを右手に持ってその廃病院の正面玄関に立っている。時刻は午後十一時。丑三つ時を避けたのはせめてもの情けか、帰ってから俺の話を肴に飲む気なのか、どっちでも良いか。本当に誰も管理も始末もする気がないらしく、扉は施錠されているがガラスは抜け落ち、フレームだけになっていた。打ち捨てられて、荒らされ放題なのだろう。一応ライトでガラスが残っていないか確認して足を踏み入れた。ざりっ、と粉々になったガラスを踏む音がした。受付がある待合室は広く、すっかり埃や汚れを被った椅子が並んでいる。一階は外来に使っていたらしく、少し進むと処置室、診察室と並んでいた。そのまま進むと行き止まり、四つ並んでいる診察室の奥にも廊下が通っていて、右手側には施錠された鉄の扉。左手側はそのまま処置室まで繋がっている。恐らく病院のスタッフが使っていたのだろう。鉄の扉は先客が開けようと四苦八苦したような跡があるだけで開かなかった。仕方なく一度エントランスに戻ると、さっきは気がつかなかったが病院の見取り図があった。外来スペースの逆側は病棟へ続いているようだ。面談室、トイレ、エレベーター、ラウンジ、レクリエーション室、調理室。面談室とラウンジの間に階段がある。エレベーターは動かないだろうから、上がるとしたら階段だろう。
「全部回る必要はないか。」
幸い階段には障害物もなく、縁の滑り止めが所々剥がれているくらいで崩れているようすはなかった。二階へ上がると会議室、恐らくさっき通れなかった一階の扉へ続く下りの階段、上りの階段、エレベーター、二階病棟へ続く扉がある。
「二階に用はないんだよな。」
壁に掲げられた二階の見取り図を眺めながら言い聞かせるように呟く。それでも一応写真は撮った。壁の落書きや、ナースステーションの荒らされ具合は要らないか。エレベーターと並んでいる三階への階段には扉が無く、簡単に上り切れた。同じように三階の見取り図を撮り、違和感を覚えた。
「流石に見取り図に隔離とは書けないのか?」
構造はほぼ二階と変わらないが、会議室と一階の診察室の裏へ続くであろう階段は無い。代わりに病室が並んでいるが、この見取り図通りなら噂に聞くような隔離室は無いように思える。てっきり隅に集められて入口は一つ、と思っていたが、これでは病棟に入れば全ての部屋の前を通って一周できてしまう。一応写真に収めて、確認しながら病棟に入ってみる。噂はかなり有名だったのだろうか、相当数の人間が肝試しにでも来たらしく、一階と比べるとかなり荒らされていた。
「さて、こっから本番ってか?」
階段とエスカレーターはほぼ中央にある。そこから東側に破壊されたガラス戸があり、病棟へ続く。見取り図によればそれを囲うように病棟が並んでいる。広さはまちまちだが、全て壁際、窓がついている。中央部は風呂やトイレ、ランドリーにナースステーション、診察室と、もう一つ非常階段があるようだ。
とりあえず東側の病室を見て回る。施錠されている病室はなかった。風呂場の鍵は壊されていて、落書きとカビだらけだったが、廃墟というにはきれいだなと思えた。病室の大きさがまちまちだったのは、収容人数の差らしい。一人部屋と四人部屋があるようだ。どの部屋にも窓があったが、転落防止の為かストッパーが付いていて僅かにしか開かず、ガラスもかなり頑丈なものらしく、壊されている物はなかった。
「わざわざ苦労して割る意味もねぇやな。」
僅かに開いた汚れたガラスを撮った。ベッドは、ほぼ夜逃げ同然だったのだろうか、薄汚れた布団がそのまま放り投げられていた。棚は、恐らく患者の私物だったのか、誰かが持ち去ったのか、多少壊され、汚れているだけで空になっていた。廊下はそのまま南側へ続いている。非常階段とランドリー、食堂だろうか、広めのスペースには見事にぶちまけられた長テーブルとパイプ椅子が散乱していた。壁掛けのテレビが二台あったが、どちらも画面が割られていた。
「勿体ねぇなぁ。」
一通り惨状をカメラに収める。少し歩き回ったせいか埃が舞っている。一度ライトを消して、フラッシュ撮影した。これなら連中もオーブだなんだと喜ぶだろう。そのまま西側へ、と思い、止めた。ほんの少し温度が違うような気がする。幸い食堂から中央の入り口、北側へと続いている。少し足を速めてそっちへ向かうと、東側と似たような風景だった。右手側、壁際に病室、中央側にはトイレがあるだけ。そこから西側へ進む。今度は嫌な感じはしなかったが、妙なものはあった。突き当たりが行き止まりになっている。カメラを操作して見取り図を見直す。本来ならそのまま西側へ進み、そのまま廊下沿いに行けば南側、食堂まで抜けられるハズだ。コンクリートの壁には落書きと、バールか何かで叩いたような跡がある。相当に分厚いらしい。仕方なく写真だけ撮って食堂に戻り、見える範囲で一番綺麗そうなパイプ椅子に座り、スマホを取り出した。
「おぅ、どうした? 何か出たか?」
友人は呑気な声で応えた。後ろが騒がしいのは、後部座席の奴が酒でも呑み始めたからだろう。
「いや、今三階回ってんだけど、全部行かなきゃダメか?」
「当たり前だろ、上まで行けとは言わないが、罰ゲームはちゃんとしろよ。」
予想通りの回答だった。食堂の埃で誤魔化されてはくれないだろう。
「さっさと写真撮って戻って来いよ、それ肴に呑むんだから。」
ため息を吐きながら通話を切った。立ち上がり、西側の暗闇にライトを向ける。風景はさして変わらない。並ぶ病室と、診察室、トイレ。心なしか重い足を動かし進む。こちらの突き当たりはガラス張りの部屋があった。ライトで上を照らすと「乾燥室」の札があった。北側と違ったのは、右手側に向かって一つだけ病室がある廊下と、さらにその先、「隔離室」の札が貼られた鉄製、観音開きの扉があった。当然見取り図には無い。
「マジか。」
とりあえずそこで一枚写真を撮った。瞬間、背中に氷を放り込まれたような感覚に襲われ飛び上がった。温度も随分下がったような気がする。扉に手をかけると、妙に冷たかった。開くなよ、と思いながら扉を引く。俺の希望を嘲笑うように扉はあっさりと開いた。暗い。ライトを向けると、噂通り部屋は三つ、突き当たりに窓はなく、確かに隔離されている。冷たい空気の中をそれでも進む。止ってしまったら、考えてしまったら、後は逃げ出すだけだろう。見取り図では部屋番号が振られていた部屋の扉の横には「隔離A」の札があった。扉は開いていた。ロクに確認もせずにシャッターを切る。仕切りの無い部屋にトイレ、ベッド、小さな棚。後は汚れたコンクリートの壁だけ。ピントも何も考えずに写真を撮り、次へ向かった。「隔離B」となっていた。中身はAと同じだった。最後、「隔離C」。ここが噂になっている部屋らしい。さっさと済まそう。同じように写真を撮る。意外な事に何も起こらなかったが、「恐らくあのベッドの柵にシーツか何かで」と考えかけた所で踵を返した。その時。
「もう帰っちゃうの?」
恐らく幻聴だろうが、やや幼いその声に俺の糸は切れた。冷たい床を蹴り、廊下を駆け抜け、階段を駆け降りる。気が付けば外に出ていた。よく冷房の効いた部屋から真夏の炎天下に出た時のように一気に汗が噴き出して来た。息を切らせながら友人達の乗っている車に近付くと、気が付いたらしくヘッドライトを点けてくれた。
「おぅ、早かったな。どうだった?」
息を切らせて助手席に座る俺に相変わらず運転席の友人は呑気に言った。
「どうせ何もなかったんだろ?」
後部座席にはすでに酔っ払いがいた。
「と、とりあえず帰ろう。」
あの幻聴がついて来ないとも限らない。察した訳ではないのだろう、友人はのんびりとサイドブレーキを外してギアを入れた。
一番近い友人のアパートに戻ると、俺はすぐに缶ビールを空にした。続け様にもう一本、半分程一気に呑んだ。兎に角早く酔いたかった。友人どもは嬉々としてデジカメとノートパソコンを繋いで早速データを取り込んでいた。
「おい、アル中、一気飲みして倒れんなよ?」
軽口もろくに耳に入って来ない。タオルで汗を拭いて三本目の封を切った辺りで漸く落ちついて来た。
「んー、ちょっと廃墟っつーにはきれいだな。」
「あ、でも二階辺りから良い感じだよ。」
二人はディスプレイ一杯に映る画像を眺めながら呑気に酒を呑んでいる。
「お、オーブ映ってんじゃん!」
「埃に反射してるだけだろ? わざわざ懐中電灯消してさ。」
けらけら笑う二人を眺めながら俺はすっかり脱力して缶に口を着けていた。その時、一人が俺を見た。
「なぁ、お前良くこの扉開けたな?」
「あ? きれいなもんだったぞ? 見た目より軽かったし」
ディスプレイを覗き込んで、凍った。隔離室前の扉には、黒ずんだ手形が無数に付けられていた。
「で、隔離Cっつったよな?」
「ああ。」
友人が画像を切り替えて行く。扉の横の札は順に、隔離A、隔離B、最後は、「備品倉庫」となっていた。内部の画像も俺が見たものとは違っていた。確かに他の部屋と同じだったハズなのに、滅多に使わなくなった物や、隔離室用だろう備品がベッドや棚、床に転がっていた。
「お前、何見て来たんだ?」
それよりも、あの声の主は誰だったのだろう。俺は、あの僅かな時間でどこへ迷い込んでいたのだろう?
(了)
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