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#02 ピアニッシモ
しおりを挟む──僅か、響かない声で。
「君、君が見たいものは?」
「世界の終わり。」
「君が欲しいものは?」
「僕の終わり。」
「ふぅ、いつから君はそんな君なんだろうねぇ?」
古川みなもは長い前髪を掻き上げながらそう言った。秋の光が溢れる喫茶店の窓辺は思ったより静かだった。割とどうでも良かった。五月蠅いなら遠ざけてしまえば良いだけだし、静かであるのならば有難い。
「私は来年になればもう居ない。」
みなもは一つ歳が上だから、来年は大学へ進学するか、就職するか、浪人するか家に残るかの選択をする。聞いた限りではどうやら進学するようだ。
「君の話をずっと聞いてやる事はできないのだよ?」
頼んだ記憶はないし、その気もない。そんな明日が来ても僕は朝に目覚めて夜に眠る。たったそれだけの事だ。けれど、みなもや周囲の人間は僕を責める。それではいけないと言う。僕にはそれが理解できなかった。人に馴染み、人のフリをして生きる事が崇高だとは思えない。例えばそれが至上の幸せだとしても享受する気になれない。
「相変わらず、私なんて居なくても気にもしなそうだな、君は、」
その通りだ。彼女がどれだけの言葉を積み上げたかぐらいは知っている。知ったからなんだと言うのだ。僕は僕として此処に在る。唯それだけだ。幸福も不幸もない。居る以上は周囲が存在しなければならないという、唯それだけの事だ。それはみなもでなくても構わないし、他の誰かでも、それこそ、どうでも良い。
「何も言わないのだね。」
僕の言葉が害悪にしかならないと教えたのは誰だったか。あの頃伝えたい事を言葉にして、その全てを「意味が分からない。」と突っぱねたのは誰だったか。幽かに恨んでいる。その一つでも受け取ってくれたのならば、僕は。
「今更言う事もないだろう。」
反射的に口にした言葉は、どうにも意味が足りていなかった。
「今だから分かる事だってあるだろう?」
「今分かれば過去は全て泡となるのかい? それはそれで幸せなんだろうがね、嫌いだよ、僕は。」
全てと引き換えだ。この全ては今日終わる。けれど、その代わり僕は言わない。本当に苦しかったのだと、その後に続く彼女を責める言葉だけを僕は言わない。それで、良いだろう。
「そうか、そうだね、そうかも知れない。」
みなもは幽かに肩を落とした様だった。もう何度も、色々な人がそうするのを見て来たから、今更何かを思う事もない。
「私は君が幸せで居て欲しいだけなのだよ。」
みなもにしては珍しく言い訳のような声だった。僕は少しだけ考えて、黙っていた。僕の捩じれた言葉は吐き出せば吐き出す程空気を悪くするらしい。皆が教えてくれた事だ。これからも覚えていよう。
「今日は帰るよ。明日また誘う。嫌なら嫌だと言ってくれ。」
また僕は黙っていた。否、興味を失って窓の外に視線を移した。秋が深まっている。外に出れば金木犀の香りが在るかも知れない。みなもはため息を吐きながら誰かの肖像画が書かれた紙切れをテーブルに置いて席を立った。少しずつ遠くなって行く小さな背中へ向けて、小さな声で、誰にも聞こえない、どこにも響かない声で、
「みなもこそ、早く幸せになれば良いのに。」
と呟いた。
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