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#10 蕾
しおりを挟む──別れの詩。
もう何度同じ気分を味わっただろう。もがく程に沈んでゆくけれど殺されはしない。散々苦しんだ後、何事もなかったように波打ち際で目を覚ます。嫌いなのだろうと思う。人も町も世界も全て嫌いなのだろう。本当にそうか? 好きだっただろう。あの人が、あの人の居る部屋が、あの人が歩く町並みが。汚れて見える筈の世界さえ、好いていた筈だ。どうして壊れたのだったか。ああ、僕の力が足りなかったからだ。二十数年前に産まれてからずっと抱えている懸案だ。だからあの人は、あの子は、貴方は僕から離れ、違う幸せに手を伸ばした。恨んではいない。恨むとすれば僕自身の能力の無さだけで、それを他へ向けるなんて馬鹿げている。
今日もまた、酷い悪夢から生還した。休日の部屋に届く光は柔らかで、初春の空気は汗ばんだ肌を冷やしてくれた。頭を掻いて、机の上にあるケトルの電源を入れた。いつからだったか、目覚めると直ぐにそうして珈琲を淹れるようになった。少し胃を悪くして珈琲が飲めなくなった頃があったけれど、それでもケトルの電源を入れるクセは直らなかった。あの頃、あの人が居なくなった頃、白湯を飲みながら何を思ったのだったか。思い出そうとはしなかった。分かったところで何も変わらない。どんなに強く願おうが、僕は僕にしかなれない。それで良いだろう。
着替えをして外へ出た。休日の朝、町は閑散としていた。未だ眠っているのだろう。昼が近付けば煩いくらいになる。裏道に入ると直ぐに墓地があって、桜の並木がある。蕾は未だ固いようだ。その向こうに見える空の青を見る限り、それ程長い時間は掛からないだろうが。ため息を吐きながら足を進めるとあの人が居た。桜の蕾を見上げているようだった。
「ここで待ってれば、会えると思ってたわ。」
少し震えているような声だった。僕は応えないまま足を進める。
「ねぇ、もし、」
足を止めずに唇の前に人差し指を立てた。何もかも終わっているのなら、どんな小さな欠片にさえ触れるべきではない。僕にそう教えてくれたのは他ならぬあの人だったから。あの人は泣きそうな顔のまま笑ってくれた。
僕は只歩き続ける。もし止まってしまえば、色々な感情に押し潰されてしまうから。いつかあの人が僕は蕾だと言っていた。ならば、こんな苦しい冷たさの後に開く花があるのだろうか。まぁ、良いさ。そんな下らない事は桜の花が開いてから考えるとしよう。
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