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#12 真夏の旋律
しおりを挟む──皮肉。
嘘、でしょうか。瑕、ですか? 傷? まぁ、良いでしょう。貴方は何時も其ればかりです。私ですか? ええ。貴方と同じですよ。
雨が降れば思い出す。たっぷりと雨を含んだスカート。重さなんか感じさせない。ふわり、舞う。水の飛沫が広がる。雲をすり抜けた陽が当たる。何かを確かめるように彼女は僕を見る。僕は笑う。彼女も笑った。
空を横切る飛行機雲。不自然に思えたのは、自分の所為だろう。見慣れないと思ったのは、長い間下ばかり見ていたからだ。空が青い事さえ忘れて居たのだ。風が吹く。鳥が飛び虫が蔓延る。世界はそんな物だった。其れさえ、忘れて居た。
キーの高い音が鳴る。麦藁帽子が動く。流れるような旋律が底へ向かって紡がれる。真っ白な部屋の扉が開く。麦藁帽子の少女は惚けた顔をする。指は止まらない。底まで落ちた音がまた高い位置を目指して駆け上がって行く。歯を食いしばる必要もなかった。思うまま、指の進むまま、音は駆け上がって、少女は麦藁帽子を外した。
「傑作、ですかね?」
「さぁ? 其れは私が決める事じゃないよ。」
当然と言えば当然か。顔の無い化け物を幾つも描いた。そいつらの顔は私しか知らない。だから、そいつらも私としか喋らない。
良いだろう。どうせ何もない場所だ。愉しんで行けば良い。
「お腹空いた。」
猫の耳の少女が言う。
「準備できました。」
犬の耳の少女が言う。
「早う、主殿は初動が遅いわ。」
狐の耳の少女が言う。
「皆さんは主様が嫌いなのですね。良かったです。さぁ、主様? 私とゆっくりしましょう。」
狸の耳の少女が言って、紛糾した。私は、煙草を銜えて窓の向こうを見る。青い空に白い雲と、夏の陽射し。うんざりする程鮮明な世界があった。
遅い夕暮れ。虫の声。迎え火。きっとこれは現実じゃない。祖母が迎え火に割り箸をくべる。この為に一年かけて集めていた。大分前に他界した祖父は、どんな気持ちでこの火を見ているのだろう。いつか、死んだ僕はそれをどんな気持ちで見るのだろう。
煙草の煙が雨に叩かれている。夕立だ。特に気にする事もない。空調機械を整えたから、開いているのは俺が座っている縁側のガラス戸だけだ。
「おや、来ましたか。」
「ああ。夏だからな。」
気になるのは、こいつか。
「おい、匂いつくぞ。」
「知らないのですか? 虫除けの香もあるんですよ。」
隣に座られた。今更引っ込める訳にもいかない。ため息は、真っ白な煙に変わった。
「素敵じゃないですか。」
頭を掻いて、もう一つため息。雨には叩かれなかった。気紛れな夕立は鈍い夕陽に変わっていた。
傷。です。貴方の胸に。ざっくりと。何時ですか。未だ、間に合いますか? その為なら、此の身等。
外した天狗の面。他にもそこら中に転がっている。狐、狛犬、犬、猫、河童、仁王。結局何にもなれなかった。
漆黒の闇夜の中、灯篭が流れる。小さな店が幾つかあって、子供達ははしゃいでいた。だから、此の顔は隠さなければ。掻き毟りたい胸は見せるべきじゃない。
「じゃあ、行こう。」
手を引かれた。暗がり。二人分しかない、小さな場所。
「悪いね、こんな場所しか見付けられなくて。」
嗚呼、感情が壊れる。溢れる涙は、多分こいつにだけしか、こいつになら見せても良い。
「良かった。未だ人間だね。なら、大丈夫。私が居るから。」
手を伸ばせば甘えて呉れる。歯を食いしばって、振り切ろうとする。
「良いよ。未だ誰も来ないみたいだ。そんなに苦しい顔するなよ。」
伝える言葉は、感情は。
「ポテチですね。」
「ポテチだね。」
「ワインです。」
「赤だね。」
「チーズは。」
「在庫無いって。」
「むぅ。」
「一人走ったけど、合間に。」
「肉、ですね。」
「赤ワインだからね。」
「焼きにしないのが嬉しいです。」
「だねぇ、燻製肉。良いよね。」
「本来は保存の為ですが、手間は味に直結、です。」
「だねぇ。旨い。」
夏の夕暮れ。蜩が鳴いている。熱を残した空気と、夜に冷える空気が混在している。何時もの堤防の上。川の水は変わらずに流れて居る。触れに行こうか。溜息で諦めた。
「私は構いませんよ?」
振り返る君に見蕩れて居た。
「左様ですか。では、其れも構いません。」
見事な黒髪がふわりと舞った。また前を見た君は足を進める。私も足を動かす。蜩が声を落とした。二人で空を見上げて、笑った。雨は降りそうにない、紫の空が広がっていた。
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