アイロニー・シンフォニー

笹森賢二

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#15 記憶の欠片

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   ──巡り去る季節。


 真っ白な糸のような雨が幾つも幾つも落ちてゆく。夏の夕暮れ。一瞬程の合間に終わる筈だ。けれど、如何だろう。其の一瞬の間にさえ思う事はあるだろう。

 タバコの煙が雨に叩かれる。俺は恐らく苦虫を噛み潰したぐらいの顔をした。それは眠そうな目で俺を見上げる。
「まぁ、偏屈同士ならこんなもんか。」
 二人分の揃った声だった。二人で笑った。

 紫陽花。君の好きな花。私の好きな花。けれど素直じゃない君は嫌いだと言う。その度、私は笑ってしまう。けれど、邪魔はしないよ。ほら、紫陽花なんかを肴にして、君も笑っている。

 君は何を書いた? え? ほら、言ってご覧? ほら、読んだ人が困っているじゃないか。
 ──知らない。
 良い気なものだね。

 真夏の昼を歩くのは嫌いじゃない。真夏の夜を歩くのも嫌いじゃない。どちらの色彩も好いて居る。光に溢れすぎて真っ白に見える昼も、粘り気のある空気に少し濁ったような夜の色も。
 そう言って君は笑う。……酷く苦しそうに。

 夕暮れを待たずに雨が降り始めた。傘が無い二人は停留所の屋根の下から動けずに居た。共に困り顔ではなかった。不満げでもなかった。只、時よ止まれと願って居た。

 山の中腹。只々広い駐車場。其の中央に立つ小さな時計塔の下で待って居た。一面の山吹色。他に利用客は無いようだった。思えば其の時から。私と、余りにも鮮やかな山吹の光で顔が見えない其の人と、二人切りの世界に居たのかも知れない。

 雨を見ていた。水たまりができるその瞬間を待っていたのだった。雨の降り始めは知っている。水たまりが広がる光景も知っている。けれど、その瞬間は知らなかった。いつも気が付けば水たまりが広がっていた。結局いつも見逃してしまうか、飽きて見るのを止めてしまうのだけれど。

 今日に至るまで幾つかの物語を書いた。余り読まれる事はなかったけれど、構わない。打ち水をする少女。想い人をからかう女性。青い月が照らす真っ白な壁の前に立つ人。砂利を敷いた短い坂の上、古びた離れで湯を浴びる女性。舞うように頭を叩いた麦藁帽子。美しく淑やかな花の名と強さを併せ持つ君。皆其処で生きて居た。
 ならば、其れで良い。

 真夏の夜。其処ら中に見慣れない影が犇めいて居る。ほら、君の背にも。

 音が聞こえる。換気扇の回る音か、外を過ぎる車か。音は声に変わる。ひそひそ、ひそひそ。私を嘲る声か。違うだろう。誰一人、嗤う程私を知らない。

「一生と云う時間は何に使うべきか。」
「僕は答えを持って居ない。」
「君の一生とは何か。」
「無駄。或いは余白。」
「私の一生とは?」
「精々人に愛されるが良い。僕の他のね。」
「何故君はそうなのかねぇ?」
「さぁ? 僕だから? かな。」
「……やれやれ。」

 其れは本当に何処までも広がって居るような星空だった。星の魚を見付けた少女が手を伸ばす。隣の少年は目を凝らす。嘘でも幻でもない。少女の白く細い指は星の魚の鱗に届き、少年は其れを見た。

 空気の温度が変わった。湿度はさして変わらない。此れからだろう。如何でも良いか。ほら、雨が上がる。季節がまた進む。
 さぁ。行き給え。
(了)
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