アイロニー・シンフォニー

笹森賢二

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#20 掌の風

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   ──一握りの。



 微かに金木犀の香りがした。時期は合って居るから、何処かで咲いて居るのだろう。咲き並ぶ秋桜は直ぐに見付けられたが、暫く歩いても金木犀は見付けられなかった。そんなものだろう。諦めて公園のベンチに座り、煙草に火を灯した。


 二日続けて同じ公園の同じベンチに座って居る。見上げる楓の葉は未だ青い。否、微かに? 風と空は夏の物とは違って居た。僅かに熱を失った風と色合いの違う空。感覚は奇妙だった。私は今何処に居るのだろう。誰も居ない公園の錆びかけたベンチ。小さな社が二つ。一つには狛犬が二匹。もう一つには何か判らない石の生物が二匹。楓が二本、名前の知らない大きな木、同じく知らない木々と、無数の切り株。見知った風景にも、見知らぬ風景にも見える。季節が変わった所為か、天気が変わった所為か、私が変わった所為か。其れでも、其処に在る物は其処に在るだけだ。
 嘲いながら煙草に火を灯す。何処にでも在る風景だろう。何が如何在っても、其れで良い。


 数匹の鯉が泳いで居る。其の頭上に組まれた木製の構造物は、藤棚だろうか。枯れた蔦が絡まって居る。川と言う程広くはなく、水路と片付けるには広い。流れる水は澄んで居て、小魚の一団が見えた。何かを追って居るのか、何かから逃げて居るのか、其れとも只の習性か。私は如何だろう。彼らよりも劣って居るように思える。只生きるだけ、余計な苦労は増やさない。そんな事さえ私には出来無かった。


 夢や希望は何かと問われても答えられない。その時々に欲する物は在っても、長い時間を考えると直ぐに思考は狭い頭の中で霧散して仕舞う。其れでもせめて、と言うならば、一瞬の快楽。


 所詮は人間と言う動物でしか無い。否、其れですら無いのかも知れない。


 人や物に執着する性質は持ち合わせて居ない。全ては何れ壊れる。其の時、必要な時に在れば良いし、無ければ無いで如何にでも成る。
 だから。
 無垢な人が造った。使い道の無い、想いだけの篭った贈り物には困り果てるしか無かった。


 全ては時と、風と共に過ぎ去った。戻りたい場所、時間、取り戻したい物、何も無い。終わって仕舞ったのだろう。なら、何故? 何故未だ生きて居る? 何に手を伸ばそうとして居る? 意味も理由も喪って、苦痛だけが残された、砂の様な世界で何をしようと言うのだろう。
 不意に一つだけ答えが浮かんだ。「復讐。」


 好きに成った物は幾つか在る。嫌いに成った物も在る。とりあえず、君と僕と人間。


 何時からか遺書の心算で書くように成った。こんな人間が居て、こんな事を考えて、幻視を見て、苦しみ乍ら死んで行った。何処かで誰かが一瞬でも愉しんで呉れれば良いのだけれど。


 春に湿り、夏に腐り、冬に凍る。だから、緩やかに乾いて行く秋が好きだ。嘘だな。単に秋桜と金木犀を好いて居るだけだ。


「其れなら、この手を振り解けば良い。私の様な偏屈な女より他に幾らでも。おや、好みじゃないのかい? 妙だね。そんな筈は無いと思うが。くくっ、冗談だよ。其れに、否、流石に此れは、そうかい。君の様な人も君だけだよ。くくっ、何だね、其の間抜け面は。解ったよ、ほら、耳を貸して呉れ給え。」


 坂を登り切ると何処までも続くような線路を眺める事ができる。跨線橋と言うそうだ。此の路線は田畑を、山を、町を貫き南北へ伸びて居る。初夏の頃、遁走した時も同じような風景を見て居た。遁走の理由は、もう明瞭ではない。恐らく、何もかも、だろう。


 何が起きても時間は過ぎる。大事も小事も其れに埋没し、何れ忘れ去られて行く。
「うっわ、これ今日中に片付くかなー?」
 書斎から妙に明るい少女の様な声が聞こえた。何故か愉しそうだった。やたら大きな地震が起きて、固定していた本棚は無事だったが、収納して居た本は見事な程に飛び出し、散乱した。
「あの先生几帳面っつーか、折り目正しいっつーか。つーかコレ、全部作者別に分けるのか?」
 今度は若い男性の声。
「発行日順でねー。」
「なんかこぉ、綺麗に折り過ぎて、かえって書き難い原稿用紙みたいな人だよな。」
「あははー、その通りだけど、」
 書斎の扉を開けてやる。避難所から水、隣人から保存食や余って居る日用品を頂いて来たのだが、如何した物か。
「君らがだらしないだけと思うがね。」
 二人は作業の手を止め、小さくなった。普段は私の原稿を買いに来る連中だが、今回は安否の確認と片付けの手伝いをして呉れて居る。
「その通りです。」
 小さな声を揃える二人に頂いて来た水と食料を渡す。ため息を吐く。感情が素直に表情や仕草に出て居る。私もそう在れたなら。


 散歩の道すがら、桔梗を見付けた。オレンジ色の秋桜には珍しいと思った。金木犀は金色に輝くような花を覗かせ居る所だった。僅かに冷えた風が掌を擦り抜けて行く。如何やら季節は秋へと移ったようだった。
(了)
 
 

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