架空の雲

笹森賢二

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#07 向日葵

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   ──其の先の黄色の華。


 遮断機を越えて鉄を踏みしめる。夏だと云うのに雪が降った。良いさ。歩こう。傘も要らない。要らなくなった。困ったように笑って傘を差し出す君はもう居ない。

 海星が哂う。僕は屋根から落ちる。真っ青な海に向かって。

 手を引いた。アスファルトは熱く、風は冷たく。不思議な心地だった。そして、君の髪に絡まるように成って居た小さな向日葵の位置を直した。

 ──気づかんかった?
「ああ。」
 ──しゃーないやっちゃな。
「何時ものこったろ。」
 ──せやね。

 手の感触が消えた。知って居る。君はもう。

 皺の増えた掌を眺める。爪が汚れて居た。そう言えば最後に風呂に入ったのは何時だったか。まぁ、良いだろう。気が向いたら湯にでも浸かろう。そう思って酒を呷る。此れは、湯に入るのは大分先に成りそうだ。

 覚えて居る。忘れられそうに無い。右の唇から顎まで伸びた紫。血の後か、単に裂けたのか。どっちでも良い。脳に刻まれたその色だけは一生消えないだろう。

「で?」
 俺は応えない。
「アタシも関西弁なら良かった?」
 応えない。
「それとも、」
 彼女は小さな向日葵の造花を瓶に刺した。
「こっちの方が良い?」
 仕方ないか。
「其のままで。」
 少し驚いた顔が眼の前に在った。
「そう。夕飯、シチューね。ご飯にする? トースト焼く?」
「任せるよ。」
 不満そうな顔を見送る。行先を知って居れば、其れで良い。

 小さな向日葵。小さな紫陽花の髪飾りを添える瞬間に掠め盗った。何人かは気付いた様だったが、何も言わなかった。

 もう何度も見た悪夢だ。

 檜の棺、釘を打つ僕はどんな顔だったのだろう。三度、と言われたが何度も金槌を振るった。止める奴は、誰も居なかった。

「ねぇ、君、このままだと壊れるよ。」
 其れなら、其れで良い。
「アタシが良くない。」
 仕方ない物は仕方ない。
「ね。アタシの目、見て。」
 見れない。
「見ろ。」
 頬を引っ掴まれて見た其の眼は滲んで居た。

 瓶に刺された造花の向日葵。冷たい墓石の前に置く。生花は駄目だと住職は言って居たが水の無い瓶に刺した造花なら良いらしい。
「名前。」
「そっちに彫って在るだろ。」
 線香に火を点す。ついでに母が残した水子にも供えた。
「ねぇ、この子の、」
「死んでから産まれると名前付かないんだとサ。」
 沈黙が続いた。
「から、俺が付けた。」
「ふぅん?」
 答えるだけにして腰を上げた。歩く。道に出ると向日葵が咲いて居た。何れ秋桜に、金木犀に変わって、季節は過ぎて行く。
「アタシは、君が嫌がらなきゃ、」
 柔らかい唇に触れた。俺から出来るのは此れしか無い。
「ふぅん。そう。ね、手、繋ご?」
 触れた手が熱を帯びて居た事には気が付かなかった振りでもして置こう。
(了)
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